日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

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エミシのリーダー・アテルイ(阿弖流為)はヤマト人か?それともアイヌか?

2018-06-30 10:23:47 | 歴史コラム:古代
 前回の記事との関連で、今回はアテルイについて少しお話ししようと思います。

 ⇒前回の記事はこちら

 エミシのなかで最も有名な人物といえば、やはりアテルイ(阿弖流為)でしょう。

 アテルイの生年は不明ですが、8世紀後半に生まれたと思われ、現在の岩手県奥州市一帯のエミシのリーダーとして活躍し、当該地域の内国化を目論んだ桓武天皇の派遣した軍隊を打ち破った人物として有名です。



 アテルイが巣伏の戦いで紀古佐美を打ち破った事実は、単なる地方の合戦の一つとしてあまり重要に思われていないように感じますが、日本の歴史において天皇の軍隊を地方の一豪族が打ち破ったということは前代未聞なわけです。

 このことをまず私は強調したいです。

 アテルイは最終的には坂上田村麻呂に降伏し、上洛して死刑に処されるわけですが、彼はいったいヤマト人なのでしょうか、それともアイヌの先祖に当たる続縄文人なのでしょうか。

 アテルイが活躍した胆江地方(胆沢と江刺の総称)では、前回お話しした通り、5世紀の時点でヤマト王権の影響下にて角塚古墳が築造され、近くには中半入遺跡と呼ばれる豪族居館や集落が造られました。

 この角塚古墳の被葬者がそのまま胆江地域を治め続け、アテルイに至ったのであれば話はシンプルなのですが、6世紀の時点でこの地域だけでなく北東北一帯でいったん古墳文化は途絶え、純粋なヤマト人はいなくなってしまいました。

 ただしその後、7世紀にはまたヤマト人の集落が急増していることから、このときに関東地方辺りからやってきて胆江地方に住み着いた人の子孫がアテルイと考えていいと思います(7世紀にどのような歴史背景で関東地方から人びとが移住してきたかに関しては前回の記事をご覧ください)。

 そうなると、エミシのリーダー・アテルイはアイヌとは関係なく、普通の(?)ヤマト人ということになりますが、一般的なケースでは外部から新たな支配者がやってきた場合は、もともとの在地の有力者の婿に入ることが多いので、もしかしたらアテルイも母方の血統では続縄文人といということになるのかもしれません。

 さて、問題はアテルイという名前です。

 当時のヤマト人(律令国家人)の名前と比べても異質な感が否めず、アテルイだけでなく、日本書紀や続日本紀などに登場するエミシたちの名前をアイヌ語由来と考える研究者もいます。

 ここで一つの仮説ですが、7世紀に再度ヤマト人が北東北へ進出した際、もともと当該地域に居住していた続縄文人と血縁関係を結んだ場合は、岳父などの人物からアイヌ語の名前を付けてもらったと考えることはできないでしょうか。

 そのほうが地元の人びとにとっても安心感がありますし、2世以降は引き続きアイヌ語の名前を付けられ、その中からアテルイのようなリーダーが出てきたのではないでしょうか。

 それが5代100年も続けば彼らはすでにヤマト人という感覚はなくなり、律令国家の領域外において自立して生活している人間としてのアイデンティティが確立されていったのでしょう。

 この私の考えと同じようなことを言っている方は管見に触れる範囲ではいませんので、いたとしても大変な少数意見だとは思います。

 一つの考え方としてご承知おきください。

 なぜヤマト人という感覚がなくなったのかというと、彼らが住んでいた地域がヤマトの支配下に置かれることがなかったからです。

 大化改新以後の律令国家は、新たに進出した地域に城柵を造り、支配が安定すると郡を設置して住民を戸籍に登録し、税を取るようになります。

 そうされてしまった地域に住む人々は完全にヤマトの支配下という意識が植えつけられると思いますが、7世紀にアテルイらの先祖が進出した胆江地方は、結局その後も律令国家の支配が及ばない状態が続いてしまいました。

 胆江地方と同じく、国家の先兵として送り込まれたにも関わらず支配が及ばなかった地域に住んでいたヤマトの人々は、代を重ねるにつれ、おのずとヤマト人というよりかは、「律令国家の範囲外に住む独立不羈の北東北人」というアイデンティティが確立されていったのではないかと私は想像しています。

 そして彼らが政治的理由で「蝦夷」と呼ばれ、国家から討伐される対象となってしまったのです。

※     ※     ※


 西新宿のクラブツーリズムにて毎月やっている東北地方の歴史講座の次回、7月14日(土)は、アテルイが降伏した後の歴史についてお話しします。

 興味のある方は、クラブツーリズム公式HPを見てみてくださいね。

 ⇒クラブツーリズム公式ホームページ内講座案内ページ

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