日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

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【近代日本考古学の出発点】大森貝塚【モース博士と相沢忠洋さんが通信対戦!?】

2018-07-29 13:01:45 | 歴史探訪
 今日は引きこもりDayなので、さきほど素麺を茹でて缶ビールを飲みながらランチを済ませました。

 こういう怠惰な日もたまにはいいですね。

 ところで、私は歴史ツアーを企画して現地をガイドする仕事をしていますので、日本各地の著名な遺跡のほとんどを探訪しているように思われるかもしれませんが、決してそうではありません。

 元々は城マニアで、古代史などの別の時代の遺跡や寺社仏閣を訪れるようになってからはまだ10年くらいしか経っておらず、しかもマイカーを手に入れてまだ2年ですし、経済的に困窮していることもあり遠くの遺跡にはなかなか行けません。

 たまたま、仕事の関係で最近は徐々に全国各地にフィールドが広がってきて、ようやく少しは知見が広がってきたような状況です。

 そのため、なるべく機会を設けて、著名な遺跡は見ておこうと心掛けているのですが、今年の1月4日に、大森貝塚を見てきました。

 有名な遺跡なのに、生まれて初めて行ったわけです。

 今回はその時の様子を簡単にレポートします。

*     *     *


 電車に乗って大森駅に到着しました。

 東口には以前、Princess Puddingの「海賊姫」のPV撮影のために知人のスタヂオに行ったことがありましたが、今日は西口に降りました。



 累計で2度目の降車となります。

 大森貝塚に関しては予備知識はほとんどありませんが、歴史探訪の際はむしろ予備知識がない方が楽しめるような気がします。

 ただ、大田区側と品川区側の2ヶ所に見るべき場所があることは知っていますので、まずは大田区側から見てみようと思います。

 ちなみに、大田区の大田は古い地名ではなく、戦時中まであった大森区と蒲田区が昭和22年にくっついて大田区になったんですよ。

 池上通りを北上し、ほどなくNTTデータ大森山王ビルに到着しました。



 大森貝塚の2ヶ所のポイントの内の一つですね。



 「大森貝墟碑」の説明です。



 現在では貝塚と呼ばれますが、当時は貝墟だったんですね。

 発起人の欄には著名な歴史家の方々の名前が並んでいます。

 日中であれば石碑の見学ができるようです。



 中へ潜入してみましょう。

 お、ビルの壁に説明板がありますよ。



 モース博士のことが書かれていますが、モース博士は研究だけでなく人格も優れていたようですね。

 会いたかったなあ。

 ところで、この説明板が作られたときはNTTはまだ日本電電でした。

 奥まった線路際には写真で見たことのある碑が立っていました。



 そっかー、昨年は発見140周年だったんですね。



 まずは一つ見ましたので、次は遺跡公園を目指します。

 歩道の床には縄文土器が描かれています。



 歩いていると道端に説明板を発見しました。



 凄いですね、個人の電話番号まで書いちゃいました。

 もちろん、今は通じないので安全ですよ。

 池上通りを振り返ります。



 あ、ここはもう大井6丁目なので品川区に入っていますね。

 大森貝塚の公園に到着しました。



 大森駅からここまでダイレクトに歩いてくれば10分も掛からないですね。

 そうか、ここは公園ではなく庭園なんですね。





 モース博士がいらっしゃいました。



 ちなみに、群馬県みどり市の岩宿遺跡では同じようなスタイルの相沢忠洋さんにお会いできます。



 お二人を並べると、最新の土器型および石器型の端末で対戦ゲームをしているようにも見えませんか。

 多分それは「発掘ゲーム」で、敵キャラとしてF村氏が登場して発掘現場を混乱させます。

 品川区はモース博士の出身地である米国のポートランド市と姉妹都市なんですね。



 では、庭園内を散策しましょう。





 おや、この施設はなんでしょう?



 入口の案内図でいうところの「④貝塚展示ブース」ですね。





 弥生時代や奈良時代の遺物もでているということで、それも詳しく知りたいです。



 遺跡庭園の東側には京浜東北線などの鉄路がありますが、ここから北上していくと、都内では北区までずっと縄文時代の海岸線になります。



 つまりは、西から延びる武蔵野台地の東の突端部分ということになり、家康の江戸城もこの地形を上手に活用して造られています。

 「⑨貝塚学習広場」に設置してある説明板はかなり充実していますよ。



 こちらの絵は実年代に関しては最新研究とずれていますが、土器のデザインの傾向を掴むのにはとても分かりやすいと思います。



 縄文時代と現代とは、だいぶ海岸線の位置が違いました。



 他にもまだまだ説明板が並んでいて、読み応えがあります。





 というわけで、なかなか楽しい公園でした。

 「⑨貝塚学習広場」に設置してある説明板のお陰で知識が深められるところも魅力の一つですね。

 さて、ここからさらに池上通りを北上すると品川歴史館があるのですが、今日は1月4日ということでまだオープンしていません。

 そしてさらに北上すると古代の東海道に繋がるのですが、今日はここから東へ向かい、続いて鈴ヶ森の刑場跡へ行ってみようと思います。

 (つづく)

日本考古学の原点・大森貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
加藤 緑
新泉社

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1 コメント

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グッドタイミングです。 (りひと)
2018-08-01 18:48:01
ありがとうございます。行きたかった所です。
いぬ埋葬されてますね。いい感じ。
涼しくならないといけないと思っていましたので嬉しいです。

そう以前鈴ヶ森も行きたくって。あと海岸線もどの辺だったのかハマっていた時期あります。

で今筑紫磐井さんにハマってましてその辺りにある磐井神社に行こうと思ってます。
貝塚って小さい貝を大量に消費しているのだから加工場みたいに解釈もされてるらしいですね。
すると保存食工場ですかね?
東京でも楽しめそうですね。情報ありがとうございます。1/4って私は目黒七福神だったかな?あの時もひょっとしてお会い出来るか?なんて思ってましたけどこの辺りにいたんですね。4119

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