日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

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【クラブツーリズム】ツアー初の日向峠越えに挑戦しましたが・・・【北部九州古代史ツアー 第3日目】

2018-07-09 19:16:39 | 歴史探訪
 元々私は小学校6年生の時に歴史が好きになり、20代半ばから本格的に史跡巡りを始めました。

 といっても、当初は戦国時代の城めぐりがメインで古代史には興味がなかったのですが、30代後半から古代史への興味が異様に増幅してきて、今ではクラツーでお仕事をするときはすっかり古代史の人のようになってしまいました。

 古代史は中世以降と比べても分からないことが多すぎて、かつ古い時代は文字資料が限られていることから、考古学の成果を援用しつつ、アカデミズムの偉い先生から私たちのような在野の研究家や愛好家まで、皆さんそれぞれが好き勝手なことを言えるのが最大の魅力かと思っています。

 このような古代史のツアーですが、私はいつもお客様に対して、なぜ自分は古代史を研究しているのか、どのようなことに興味があるのか、ということを最初にご説明し、ツアー中も自分の考えをはっきり言います。

 もちろん自分の考えは「答えのない歴史」において、一つの考え方に過ぎず、決してそれを押し付けることはなく、お客様の考え方を否定することもありません(もちろん、例えば「魏志倭人伝」に奴国の人口が2万と書いてあるのを5万だと勘違いされていたりする場合はきちんと間違いだとお伝えしますが、こういったことではなく「考え方」は否定しないということです)。

 さて、このような態度でご案内していると、「先生の考え方は僕と一緒だ。初めて同じ考え方の人に出会えて嬉しい」などと言われることもあり、そう言われるともちろん私も嬉しいです。

 もちろん反対意見の方もいらっしゃると思いますが、お客様のほうが私よりも人生の先輩であることがほとんどですので、その辺は大人な対応をしてくださっているのかなと思います。

 今回はお客様からある書物をお勧めいただいたので、さっそくその日の夜にAmazonで注文しておきました。

【決定版】 邪馬台国の全解決 中国「正史」がすべてを解いていた
孫 栄健
言視舎


 今日の昼に届いたのでさっきまで少し読んでいたのですが、面白い本で「なるほど」と思うことがたくさん書かれています。

 自分の考えを押し付けるようなスタイルではなく「参考までに聴いてくださいね」的な文面なのが好感持てます。

 ところで、これからツアーの3日目の様子を簡単にご報告しますが、3日目は極端に写真が少ないのでご了承ください。

 そして、伊都国歴史博物館のボランティアガイドの方と話していて、ちょっと気になったことがあったので、それについて少し調べてみました。

 それについてはルポルタージュの後に述べますので、そちらもぜひお読みくださいね。

 ⇒昨日の記事はこちら

*     *     *


 昨夜は変な寝方をしてしまい、6時半に目覚まし時計で目が覚めたものの、4時に就寝したのでまだ眠い状態です。

 ということで、今日は朝食はいいや。

 普通なら朝からモリモリ食べるのですが、今日みたいによっぽど眠い時はキャンセルします。

 出発は8時10分。

 今日も天候は晴れてはいませんが、雨は大丈夫なような感じです。

 最初の探訪地は奴国の中心と目されている春日市の須玖岡本(すぐおかもと)遺跡ですよ。

 8時55分に到着し、さっそく遺跡公園内をご案内します。

 いつもなら奴国の丘歴史資料館を見学するのですが、ちょうどいま設備更新中で7月20日まで展示室は休館となっています。

 つづいて糸島市の伊都国歴史博物館へ。

 こちらでボランティアガイドの方に展示物の解説をしていただきますが、45分しか解説の時間がなくて申し訳ないです。

 伊都国歴史博物館も展示が豊富なので、全部解説していただいたら倍くらい必要かと思いますが、今回のテーマである魏志倭人伝関連に絞って解説していただきました。

 前回来た時になかったもので、唯一展示物の写真撮影OKなのが、国内最大の銅鏡(直径46.5㎝)のレプリカです。

 製造時の状態を復元したもので、ちゃんと鏡として機能していますよ。



 分類的には内行花文鏡(ないこうかもんきょう)と呼ばれるものです。



 ただ、色味に関しては他の説もあり、果たしてこんな金ピカな色だったのかは異論もあるそうです。

 つづいて平原王墓へ行きますよ。

 今回は今までと違って中型バスなので、その利点をドライバーさんが存分に生かして道を選んでくれるお陰で、移動がスムーズにいきます。

 いいねえ。

 ところで、平原王墓は伊都国で3つ見つかっている王墓のなかでもっとも新しい墓で、時代的には卑弥呼の時代と合うとの指摘もあります。

 そのため、卑弥呼の墓と考える人もいますし、地元の考古学者である故原田大六氏は天照大神の墓だと考えていました。

 こうやって考えが広がるところが古代史の面白いところですね。

 もしアマテラスがここに眠っているとすると、今回のツアーでは、卑弥呼と筑紫君磐井、そしてアマテラスにも会えたことになります。

 ということで、見学の後はお楽しみのお昼ご飯。

 いつもの「万中」で鶏肉とキノコの鍋料理です。

 12時ピッタリに到着。



 ※この写真を含め以下4点は2018年2月19日撮影

 万中さんにもいつも良くしていただき、ここの食事はお客様からとても評判が良いですよ。







 では午後の探訪を開始します。

 いつもですと午後は福岡市博物館と板付遺跡だけなのですが、今回は先述した通り奴国の丘歴史資料館の見学ができなかったので、その穴埋めのために吉武高木遺跡を組み込ませていただきました。

 吉武高木遺跡は「やよいの風公園」という史跡公園になっており、私自身お客様をご案内するのは初めてで、もしかするとクラツー全体でも初めてかもしれません。

 今回は中型バスということで、ドライバーさんは山越えのルートを選んでくれました。

 なんと、平原王墓でいつも説明する、日向峠を越えてくれるということなのです。

 これは嬉しい計らいですね。



 日向峠が近づいてきました。



 ワクワクしてきますねー。

 ・・・ところがです!

 ここでまたハプニング発生!

 なんと、ここ数日の雨のため日向峠は通行止めになっていました!

 悔しい・・・

 仕方なく戻り、山を迂回して国道202号線を通って移動することにします。

 202号線はいつも混むので、ドライバーさんも「通りたくないなあ」と言っていましたが、その道を通らざるを得ません。

 そのため、今日はここまで順調でしたが、ここにきてだいぶ移動に時間を取られてしまいました。

 添乗員さんには言いませんでしたが、もう5分遅れたらお客様に謝って吉武高木遺跡はカットしてもらおうと思っていました。

 でもギリギリの時間で到着。

 今日の公園はなぜか賑わっています。

 私がパンフレットを取りに総合案内所へ向かうと、若いママさんたちが大勢いて、私たちのバスのほうを見て「こんな何もないところに何しに来たのかしらね?トイレ休憩かしら」と話しているので、去り際に「歴史のツアーでここを見に来たんですよ。東京から」と伝えると、驚いた表情をしている方もいました。

 地元の方でもかなり歴史が好きじゃないとこういった遺跡の価値は分からないのが普通ですよね。

 これであのママさんたちが自分たちが住んでいる場所が実は歴史的にすごい場所だということに気づいてくれれば嬉しいです。

 時間の都合で公園全体をご案内することはできずに、お客様には申し訳ありませんが、つぎの福岡市博物館へ向かいます。

 福岡市博物館に到着して、なんとかオンスケジュールに戻しました。

 そして最後は板付遺跡です。

 その時によって違うのですが、今回は弥生館にて学芸員の方から解説をいただくことができてありがたかったです。

 解説の後は実際に遺跡を見て、時刻は17時に。

 これにて今回のツアーは終了となります。

 とくに1日目は大変な目にあって、お客様にもかなり負担をかけてしまいましたが、2日目の吉野ヶ里遺跡が想定外の晴れ模様で、お客様からは「奇跡の3時間」と言われ、お客様の表情を拝見していると、最終的にはまずまず満足してくださったかなと思います。

 こういった宿泊のツアーの場合は、お客様同士も長く一緒にいますので、お一人様参加であってもそもそも歴史に興味があって参加しているわけですから、すぐに意気投合する方々もいて、3日目にもなるとバスで移動中も後ろのほうから楽しそうに話している声が聞こえてきて、そういう声を聴いて私自身も幸せな気持ちになります。

 ということで、福岡空港で飛行機のチケットをお配りして解散となりました。

 これで私も任務終了です。

 福岡空港から帰るときは、飛行機に乗る前に必ず立ち寄る店があって、そこでカツカレーとビールを頼むのがルーティーンだったのですが、そのお店が閉店してしまったため、今回は新しい店を探します。

 結果的に豚骨ラーメンの「一蘭」にしました。

 昨日も豚骨ラーメン食べたのに・・・

 カウンターで誰にも邪魔されずに食べることに集中できるお店ですね。



 面白いシステムですよね。





 あー、美味しかった。

 今度は甘いものが食べたくなりました。





 お、これも美味い!

 日持ちしないのでお土産には適していませんが、今度来た時もこれ食べようっと。

 飛行機は19時発。

 定刻に離陸しました。



 飛行機大好き。



 羽田空港に着くころにはもちろん夜です。



 ということで、無事に東京に帰ってきました。

 22名のお客様、添乗員さん、ドライバーさん、そして関係者の皆さん、今回もありがとうございました。

 福岡には何度も行かせていただいているおかげで、場所によっては資料館などで古くからの友人のように迎えてくださる方もいて、私も毎回行くのが楽しみです。

 私の母方が代々九州人だから贔屓するわけではないですが、九州の人たちは親切な方が多いですね。

 歴史好きのお客様たちと一緒にまた秋にお邪魔いたします。

*     *     *


 さて、冒頭にお伝えしましたが、伊都国歴史博物館にてちょっと気になったことを少しお伝えします。

 ガイドさんの話によると、伊都国の中心である三雲遺跡から日向峠を越えて東の方向に遺跡が一直線に並んでいるとのことでしたので、さきほど地図で確認してみました。

 今回のツアーでは惜しくも日向峠を越えることはできませんでしたが、伊都国の最初の王墓である三雲南小路王墓を起点として、東の方向に線を引っ張ってみます。

 筑紫野市と太宰府市の境には宝満山という山があり、昔から修験の山として有名で、なんとなく気にはなっているもののまだちゃんと調べていませんが、試しに宝満山まで線を引いてみました。

 その地図がこれです。



 ※「Yahoo!地図」より追記転載

 なんと、伊都国の三雲南小路王墓と魏志倭人伝には出てきませんが、サワラ国の王墓と考えられる吉武高木遺跡の王墓、それに奴国の王墓が一直線に並んだのです。

 しかも、この3つの王墓はすべて、弥生時代中期に北部九州で発生した最初期の王の墓で、被葬者はほぼ同時代に生きた人びとなのです。

 まさか、3つの国の人びとが計画的にお墓の経度を揃えたなんてことはないですよねえ・・・

 さらに、吉武高木遺跡に行くと古代から信仰の山であったことが想像できる飯盛山もその線上に並んでしまいました。



 ※やよいの風公園から見上げる飯盛山(2018年3月22日撮影)

 うわー、面白い・・・

 というかヤバイ。

 現状のところまだ考察はできていませんが、とりあえずこの事実だけお伝えしておきます。

 追記:

 この線を西へ引っ張っていくと神集島の最高所を通り、秀吉の朝鮮出兵の時に本陣となった名護屋城の本丸にぶち当たります。

 さすがにこれは偶然でしょうね(笑)








 


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