日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会(旧東国を歩く会) ~日本各地の古代・中世史探訪~

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天武天皇の正体は?

2012-05-03 14:44:52 | 歴史の謎
 古代において天皇位をめぐるもっと大きな内乱であった「壬申の乱」(672)の勝利者として有名な第40代天皇の天武は、古来より謎が多い天皇とされています。

 まず、当時の各代の天皇のなかで異例なこととして、生年が分かりません。天智天皇の弟ということになっていますが、天智天皇の何歳年下なのか分からないのです。

 なので、昔から天武天皇の年齢の研究はいろいろな人がやっていますが、定説というものはありません。

 また、天智天皇の娘を4人も妻にしているのも異常です。

 つきつめて考えると、そもそも天武天皇は天智天皇の弟(舒明天皇と皇極(斉明)天皇の子)なのか?もしかすると、違うのではないかと考えられます。

 では、天武天皇の正体はいったい誰なんでしょうか?

 7世紀の後半から8世紀の初めにかけて、藤原氏を覇権に導いたのは藤原鎌足の子・不比等(ふひと)ですが、不比等には貞慧(定恵。じょうえ)という兄がいました。

 貞慧は、皇極天皇2年(643)に生まれ、11歳のときに遣唐使として唐に渡り、天智称制4年(666)に帰国直後病死したといわれています。24歳でした。

 しかしこの貞慧がどうも怪しい。

 本当は貞慧は帰国後、死なずに活動していたのではないでしょうか。

 貞慧帰国後の大事件といったら、壬申の乱(672)です。

 もし貞慧が生きていたとしたら、30歳です。

 ちょうどいい年齢ではないでしょうか。

 天武天皇になるとしたらです。

 そう、貞慧は生きながらえて、天武天皇になっていたのではないかと私は思ったのです。

 私以外にも貞慧が天武だと思った人がいるかWebで調べてみたところ、他にもいるようですが、決定的な証拠を提示している人はいないようです。

 不比等は、万世一系の天皇家による日本国統治という構想を考えて『日本書紀』で具現化しましたが、その不比等の兄が天武天皇だったとしたら・・・。

 しかしここでもう一段階あります。貞慧は、実は不比等と肉の兄弟でない可能性が高いのです。

 というのは、『多武峰略記』によると、貞慧の母は最初孝徳天皇の妃でしたが、妊娠した状態で鎌足に譲られたというのです。

 つまり、不比等の兄・貞慧の本当の父親は孝徳天皇だった・・・。

30                   34
敏達――押坂彦人大兄皇子―+――――――舒明
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             |       +――――天智―――大友皇子(弘文)
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             |       |    40
             |       +――――天武(通説)
             |       |
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             +茅渟王―+―皇極・斉明
                  |
                  | 36     40
                  +―孝徳――――天武(貞慧。本説)

 天智天皇は、中大兄皇子として実権を握っていた時代(653)に、孝徳天皇の反対を押し切って、皇極や皇后・百官を率いて難波の宮から大和の飛鳥に戻ってしまいました。

 取り残された孝徳は、難波にて天智を怨んだまま崩じています。

 貞慧が天武だとすると、実の父の仇ともいえる天智の跡をついだ弘文天皇(大友皇子)を殺し、天皇位を奪還したというのが壬申の乱の筋書きになります。

 天武が壬申の乱を起こして天皇位を奪うことができた理由については色々考えられますが、「天武=貞慧=孝徳の子」の線でいくと納得できることもあるのではないでしょうか。

 「天武=貞慧=孝徳の子」という事実がなぜ後世に伝わらなかったかについては、また今後考察してみたいと思います。




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10 コメント

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気になる方が同じです。 (りひと)
2017-08-28 08:41:34
今後の研究が楽しみですね。
今までの先入観が外れると見えない部分が見えてきますね。

定慧さんが天武とはポジション的に妥当に思いますね。旧石器からの血筋のある定慧が消えて天武がそこへ入り、奥様も入ってきているので不比等は旧石器からの血がないけど情報はあり水面下で動いていそうです。

孝徳さんも好きな天皇さんなのですが、難波で天智天皇を恨んでいるのですね〜?それも納得です。難波はおそらく旧石器の方が関わっている地で天智天皇を怨んでいるとなると理解し易いです。

本当は怨む事なかったんだといいのですが、今にも繋がるしがらみですね。

鎌足も架空っぽいですね、あるときは定慧になっていそうで。阿武山も定慧っていうのなら荒らされずに残ったのも妥当のように思いました。

各部門の専門家さんの研究が楽しみですね。9936
鎌足 (稲用)
2017-08-28 20:00:12
おーっ!鎌足が架空、というのは、とてもいい着眼点ですね!
日本書紀は不比等がプロデュースした本なので、彼の都合の良い内容に書かれているのは当たり前ですから、鎌足の件ももっと深く追求したいです。面白いテーマを与えてくださりありがとうございます。
私は天智と天武は兄弟ではないと思っており、天武のバックには新羅がいると思っています。
今後が楽しみですね。 (りひと)
2017-09-08 15:21:29
この辺りは、後の藤原氏に関わる事なので興味持っている私的な研究家もまたプロの研究家にお任せしたいですね。どんどん発表してほしいですね。明らかに私みたいな感覚の説は淘汰されていくのでいくら出ても考えるきっかけになりいいと思います。日本って周りみて多数派だと安心して言うので少数派は全くモヤモヤで終わってしまうって事も多いでしょうから。ただそれって怖いんですよね!流れが正しいならいいんですけど変な流れだったら。一人なら弾圧されていないし、それを弾圧したら人権侵害ですもんね、組織ないと安心です。一番不幸なのは、自分の関わる先祖の思いで今の現世が苦しんでいる事。神も仏も今生きる者を応援しているはずです。一番怖いのは人間の念ですよね。勝手に思い混んで相手に威圧したりではなく、あるがままでそれに従ってあやまる所はあやまればいいのかもと。父の件もそう、男がやたらやられるんで理由は先祖ではなく、人間の念でしょうね。その人間たちを助けられたり和解できたらもう来ないんじゃないかなあと。
専門家には甘いって言われますけど、体当たりでやってます。自分に帰ってくるだけなのでそれは因果の法則で納得です。
家族の関係では藤太が関わるようなのですけど将門は大好きです。将門が夢ででも良し!と行ったら会いに行こうと思います。

人間間違ったら戻せばいいんです。反省しないでスルーしているとまたどんどん追い打ちくる。浪人した先輩の方が魅力あったりしたなあと。その後が大事ですね!その方が人間として魅力あるのに。

で今の日本の政治も女性や若者にやたら厳しいですし、男の嫉妬が一番歴史の中での原動力になっているようにも思いますね。女はいつの世も道具にするのはやめて欲しいです。

みんなに平等に人種でも1つの能力でも親でも血筋でもなく、実際出来る事で判断して欲しいですね。鎌足さんのモデルがそういう人であって欲しいですね。

今城の博物館の中にあった阿武山の模型の前でおじさんと話したのは、あれほど豪華に天国に送られた理由は人徳でしょうね!いくら威張っていても死んでしまえばおそらく義務感しか生まれない。けどあそこは盗掘されなかった奇跡もありますが、残された者たちが自分たちの持っている技術を全て動員したんだと感じましたよ。おそらくネットワークも使って。慕われ度が副葬品で分かります。

今考えているのが鎌足の鎌なのですが、これ、漆とるための鎌ではないかなあと。闘うことと無縁で知性と人望があったのではと。漆関係の方探してみてます。あと鎌足神社は須賀川だったか福島にあるのと鎌倉にあるようです。足もキーワードにしてます。平家も関係ある場所ですよね。源氏より平氏の方が縁ありそうに思うのは私だけかな?

で誰もそう思わないんですけど藤太と鎌足も同じイメージです。で彼らがいないと歴史が変わってくるのもあり、また絶対に戦わないと思う相手(ムカデとか)をやっつけている事実。蝦夷とか入鹿も同族のようなイメージでして。平氏のプロは同族同士で良く争うとか教えてくれましたけどそこまでやるのかなあと。歴史が正しいならもちろん認めて次の一歩を進めます。揉めやすい家柄だとね。すると現世でも役立つので。

鎌足今後何か分かるといいですね!
悪い人でもいい人でもそれが事実なら認めて、それを現世の生活で活かすのみです。人に流されないように自分で判断して良さそうなら同じような境遇の方にも惜しまず伝えて行きたいですね。
歴史なんて役に立たないっていう方もいますけど結構役に立つのは感じてます。土地との縁とかも。

なので今後も各地の隠れた歴史を紹介してくださいね。1878、2524
カマタリ (稲用)
2017-09-11 12:40:47
考えれば考えるほど、鎌足の不思議さが気になってきます。仰る通り、「鎌」と「足」を気にするのもよいかと思いますが、古代人なので「カマタリ」という音の意味も考えたいですね。
古代史は面白いです。
父の関係が進みました。 (りひと)
2017-10-16 09:27:46
薬師のお守りの夢から薬師如来のいる所はかなり気になってしまっているせいなのか?面白い県を超えた繋がりが個人的に出てきてます。

で定恵さんの以前コメント書いた記事探してきましたよ。今週は何気に落ち着かずだったので最新記事が頭に入ってこないので今後じっくり拝見させて頂きます。

で定恵さんは天武との接点が強いのが分からなかったのですが先ほど義淵さんが気になって調べたら気に入られてそうですね。私は天武は苦手なのですが定恵さんが近くにいたのならそのあとそこに入り込むのは簡単だったろうと思いますね。
定恵さんが桑を伝えたなんて説もあるのできたきた〜!と。だって漆関係なら布も作らないといけないので妥当だと思います。遣唐使も実は唐じゃなく須賀川辺りとのネットワークを持った定恵が養蚕伝えたんじゃないかなあと。天武が全て囲っちゃったかな?仏教等もいわきとのネットワークは律宗辺りとは後に縁あちそうですけどこの時にもすでにあったように感じます。須賀川には養蚕の神社もありますし、鎌足神社もあります。ここが孝徳とも繋がりそうですよ。知識が少し追いついてきました。

調べた神社がお花の鉢植えが消えてしまうという事件の近江八幡で桑の付くお寺でお薬師さんがいらっしゃる地形的にも山の尾根の麓の場所が義淵さんと関わるようです。で父の関係のある沙沙貴神社ともいい軌跡の場所。祖母のお蚕さんと父や乃木さんが絡んできそうです。でそこと定恵ですね〜?スクナヒコナ(種子)や五十猛(木)も同じ系統に入ってくるように思います。

で更に興味深いのが高麗福シンさんが弟いるのか?で義淵さんと絡むみたいなんですよね。高麗って名字貰って返したとの説が結構私気に入ってまして気になっている方です。関東と歴史の中枢の方との間パイプ役でのパイプが渡来で片付けられちゃうとうまく奈良時代より以前の近畿や全国と関東や東北の接点も全く見えなくなっちゃいますよね。

場所的には高市がおそらくその接点があった場所みたいで高はコマと思いきや高尾張、市は龍じゃなく日本由来の辰で和邇、このミックスが起こった地なのかもしれませんよ。祖母は高で父は市関係だと。近江も奈良もそれぞれの故郷の群馬も山形も接点繋がってくると面白いし、現世の実生活にも役立ちそうです。
稲用さんも縁がありそうですよね。

という事で個人的な事つらつら書きましたけど、定恵は大事ですよ!天武と被らないと個人的には嬉しいですけど、かぶったとしてもそこは許して、持統さんの系統と違う性格に職人の国はNOと言いたいですね。質を極める事重視はの国では、短期収入は見込めないので撤退して欲しいですね。歴史での失敗を反省して活かせるか?日本も変わってくるといいですね。1285

世の中的には藤原不比等嫌いでも、定恵と鎌足は調べて区別しないと思う壺です。藤原貰った時にすでに生まれているはずなので。1285

専門家が興味なしなら、歴史好きのお爺ちゃんお婆ちゃんに興味持って貰えるといいなあと思います。2856
Unknown (稲用)
2017-10-22 09:47:45
不比等の生きた時代はもう7世紀後半から8世紀なので、立派な「歴史時代」だと思われて、日本書紀の後半の記録や日本後紀に記されていることは間違っていないと思われがちな気がします。

でもそれは危険ですよね。なにしろ歴史は勝者が作りますから。一緒研究しても解明できないことがほとんどだと思いますが、私の場合、研究テーマとは別に、エンターテイメントとして歴史を楽しむこともしますのでとても楽しいです。
歴史の中は手口のヒントになります。 (りひと)
2017-11-28 20:11:02
時代が変わってもやっている思考回路みたいなのはどうも変わらずです。

で実際やった人はまず自分からそれを主張する人ではないのだろうと。言わずともみんなついてきますから言う必要ないんです。つまり言う人はその行為自体でそうしないとやばいと思ったから記事書いたりしたんだろうと。同じような手口は現世でも結構あります。日本人素直ですからね。疑わない人種ってある意味素敵ですけど、今正念場ですね、今後にとっては。

得意だった歴史をテスト対策で子供に子供に教えようとしてもどうもその手口が見え隠れしちゃうんで教えられずです。自分が知りたいと思うまで放っておきます。

何事も人から推薦される事で分かります。自分でこれやったというタイプは日本ではあまり好かれにくい。ただ人間動けるのは60年だとすると三世代消えるとあとは書物等で先入観入れられちゃいます。そこも面白い。お父さんが分からない人とか父が話題になく突然孫が出てくるとか?

空白ほど想像力を掻き立てますよね。

稲用さんが近江から奈良へかつてに都をベースに古墳という実証を訪ねるのもとても興味深いです。天武あたりの藤原宮から平城京はとてもメジャーですけどそこに行くまでどこに都があったか?をたどると結構人が動いていたんだとびっくりしますよね。動く意味も考えてみるとヒントになります。

人間のやる事にはどうも意思が現れちゃうので時系列で並べたりやった事を並べるだけで個性が見えてきます。

で問題児は言ったことが出来ない事、出来ないのに出来るという事。違う誰かがフォローしていたらその言ったもん勝ちです。本当に出来るかはやらせてみたら分かるし、面倒だから出来ない人にはやらせないですもん。

言霊の国に生まれたら、言ったら実現するべく努力しないといけない。その言葉と行動がミスマッチだと自分にトラブルが起きます。

色々な部分で何かを伝えたとのエピソードは、実は文字通りに解釈しなくても見えてくるものがあります。なぜそう書かれたのか?で損得を考えればすぐ分かります。

出来る人がその仕事に付く事がベスト。
稲用さんは、応援しております。考古学の世界でも縁ある人が関わると出てきたりってあるように思ったと聞きましたよ。その人しか出来ない事をさも自分がやったように主張したらその後ボロが出てきます。歴史でも手に負えなくて探したとかのエピソードhありますよね。そこに掘り所もあります。

日本もその時代からおかしくなった事、変えていかないとまた呪い合いの時代になっちゃいます。
比較の問題でここがいなくなったら自分にポストがくるなんて発想ではなく、そのライバルよりも自分がふさわしいだけの何かを信じて努力出来るか?ですね。そこは、古代の天皇でも面白いエピソードありますね。兄弟でも資質はちがうのでどちらか適任かはお互いが納得したらその周りは文句言いようがないです。今世も候補がい過ぎた時代よりは大変ではないのでしょう。

天武の頃は相当大変だったでしょうね。
ギフト(神から与えられた才能)は、それぞれなので無理に人の所に侵食しないで自分に合った所で幸せに暮らした方が精神的には楽でしょうね。
天武さんのギフトも鎌足のギフトも不比等のギフトも違うはず、単純にまとめた集団として色わけせず研究してくれる方が増えるといいですね!
3123、5360
鎌足の件もモデルがいないならそこにいるかいないかでどう変わるか?ですね。鎌足よりその母のが大事で鍵のように思います。現世は女なので女には加担していこうとも思います。どうも母が一番影響及ぼし易いのも昔も今も変わらずですね。
女性の力 (稲用)
2017-12-07 17:40:42
最後のセンテンス、まったくその通りだと思います。天皇だってお母さんがいたわけで、もちろん今の普通の人のようにお母さんに直接育てられるわけではないとしても、お母さんの発言や考え方からは影響を受けると思います。そしてさらに奥さんの力。奥さんの発言力は強いと思いますよ。

聖武天皇が国分僧寺だけでなく尼寺も建てたのは、奥さんが「男だけずるいわねえ」と言ったのがきっかけだと勝手に妄想しており、講義でもよく話します。
鎌足について (りひと)
2017-12-08 19:30:44
久々に情報をやっと落ち着いて見れたので報告です。鎌足の孫が出てきた神社が富賀岡八幡宮の由来に出てきて調べよう調べようと思いながらスルーしてたんですけど、昨日の事件でさっき必死で写真探しました。撮っていないんでびっくり。画像検索でやっと出てきました。鎌足の孫の藤原豊城卿が下総守へとのお話で創建と。きた〜孫ってやつ。で砂地開拓っていうのは砂町ですからありで深川はその後太田道灌挟んで徳川時代です。朝調べたら家光の辺りだろうと。でその時八幡像が深川へ動いて行くんです。その辺りは事件もあるのでスルーします。

でその藤原豊城って誰?父は?母は?と調べみましたが検索では出ない。そこで思ったのが、豊城入彦命さん。同じ字ですね〜?おまけに茨城千葉では結構祀ってます。で鎌足もさっきどこで生まれたか?と私が気になる奈良の高市なんでびっくり。で孫が茨城辺りの派遣されたらと。逆説では元々地主の可能性もありますし。わけわからんです。どっちが古いかは明確ですしかなり興味深いです。まずは報告。

でちょうどお返事見て思ったのが尼寺です。
色々な方の説がある中で、日本に仏教がくる前に尼寺がすでにあったというお話もありますよ。なので天皇は両方作ったのではなく尼寺に男の僧の寺を全国に作ったとも思えますよ?真実かどうかは各専門家にお任せします。
事件も男女の争いにもなってしまってますのでこのタイミングなのでコメントしておきます。

で古代の歴史で思う事は、現世でも嫁姑女は大抵大変です。この時代も母と息子は大抵生まれた環境が同じなので適応しますが、嫁は実家引きずります。嫁は相当怖いですよ。息子逃すのも大抵実家でしょうね。また逆に女系であれば婿は適応しても孫がどっちに引っ張られるか?で相当変わってきます。

鎌足の所も相当大変だったろうと。歴史上兄弟とされる天武にも娘を引っ張られているのをみると理由がありそうですね。さっき鎌足のイメージになかった外交的な役割をしていた可能性や神事的な役割を辞退したとの話もありびっくりです。
トリック的な情報だとしてもいい先入観外しになり一からまた積み上げるきっかけにもなりそうですよ。

支配的役割を拡大したい時は、結婚でが手段ですよね。あー怖い。東北もその関係も相当ありそうですね。うちの祖母の家も父の家も親戚と結婚結構あったみたい、遠いと言ってましたけど。それも安心材料だったんだと理解しだしましたよ。
身分名字などが出来た時代は相当大変だったでしょうね。鎌足架空になるとどうなるのか?その筋が豊城入彦命系で妥当かどうか?探ってみます。強いのは確かですし、巫覡気質もどうもありそうですから繋がりそうな気もしますね。

6407みたら消してしまってオッケーです。1306
面白いです。 (りひと)
2018-12-03 12:19:58
天武が貞慧なら八角墳ありですね、野口の。
でまたお母さんは多治比の方じゃないかな?

で鎌足は多分巨勢氏かな?と副葬品は巨勢谷あたりの物と似てないかな?

気になってきましたよ。慕われ度での古墳の規模考えると巨勢系の大きな石室と石棺の古墳と八角墳が近くにあるのもそこも多治比さんがたちがいたからかと。軽という地域も考えると更に面白くなりますね。

福島いわき辺りに尼寺あれば奈良のこの辺りにもありそうなんですよね。廃寺で見えてくる所ないかな?3316

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