日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

塚廻り4号墳|群馬県太田市 ~墳丘の埴輪樹立の様子がほぼ完ぺきに再現された帆立貝形古墳~

2020-06-26 16:52:33 | 歴史探訪


 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


群馬県太田市龍舞町3089外



現況


埴輪樹立が復元されているが登頂は不可能

史跡指定


群馬県指定史跡
名称:塚廻り古墳群第4号古墳
指定日:昭和52年9月

国指定重要文化財
名称:上野塚廻り古墳群出土埴輪
指定日:昭和60年6月

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             


築造時期


古墳群は6世紀中葉から後葉(「塚廻り古墳群 パンフレット」)

墳丘


形状:帆立貝形古墳
墳丘長:22.5m(現地説明板)
段築:なし
葺石:なし
埴輪:あり

主体部


2基の主体部
両主体部ともに箱式石棺

出土遺物


墳丘:円筒埴輪、人物埴輪、馬形埴輪、器財埴輪、家形埴輪

 

3.探訪レポート                         


2019年1月23日(水)


 ⇒前回の記事はこちら

 朝子塚古墳の後は、同じ太田市内にある塚廻り(つかまわり)古墳群を目指します。

 4号墳が復元されているということで見に行きましょう。

 古代には矢場川が渡良瀬川の本流だったといわれており、その矢場川河岸の広大な沖積地が展開しています。



 広いねー。

 古墳はどこにあるんでしょうか。

 見渡す限りの平野なので墳丘があれば目立ちそうなものの、そこがこんもりとした森になっていれば見つけやすいですが、整備されていると却って見つけづらいんですよね。

 あ、見つけた。

 ようやくたどり着きました。



 この低さでは遠くからは見つけられないですね。

 乗用車1台分の駐車場がありますよ。

 停めます。



 あ、でもここは正確には駐車場じゃないですね。

 一応、道の一部のようです。

 田んぼの中の道で舗装されていない道路に繋がっているので滅多に車は来ないと思いますが、誰か来たら避けます。

 古墳周辺の風景。



 さっきと変わりませんね。

 今見ると低地感が濃厚なのですが、確かに沖積地ではあっても微妙に標高が高い(高かった)のです。

 微妙というのはたかだか1mだったりもするのですが、そういったわずかな差であっても水の危険が及ぶかそうでないかが決まるため、低地にある古墳や古代集落はわずかな高みに造られています。

 では、古墳を見てみましょう。



 盛り土の復元はほとんどないようですが、埴輪の復元は豪華ですね。

 立派な標柱がありますよ。



 説明板。



 復元された埴輪について書かれていますね。

 ここの売りはまさしくこれで、往時の埴輪の並びを忠実に再現しているところなのです。

 本物は群馬県立歴史博物館に保管してあるそうですが、展示してあるとは書いていませんね。

 お、パンフレットとか入ってるかな?



 何もない!



 説明板その2。



 ここに書かれている通り、ほ場整備の際に発見されたというのが当時としては画期的なことで、普通はこのような低地には古墳は造られなかったというのが昔の考えだったのです。

 しかも古墳は地下に眠っていることもあるため本当に貴重な発見でした。

 墳丘がある古墳が地下にあるというと意味が分からないかもしれませんが、古墳がある場所自体が地盤の沈降によって低くなることがあり、さらに墳丘が削られて低くなったその土地に土が堆積して行くと古墳は地下に潜ってしまうのです。

 墳丘がなくなってその上に土が被っても周溝の跡は明瞭に残ったりするのですが、この古墳の凄いところは先ほども言いましたが埴輪列がはっきりと分かっていることですね。

 その埴輪たちを見てみようと思いますが、この古墳群の面白い点をもう一点指摘します。



 この図に記されている11基の古墳のうち、帆立貝形が5基もある!

 これだけ帆立貝形が密集している古墳群も珍しいです。

 では埴輪。



 これらの埴輪は復元当時は普通の埴輪の色のイメージだったのですが、時間が経って色あせてしまいねずみ色になってしまいました。

 これはこれで須恵器の埴輪のようで面白いですが、本物は須恵器ではなく土師器ですからね。



 帆立貝形古墳は主として古墳時代中期(5世紀)に各地でたくさん造られたのですが、なぜこの形状になったのかは誰にもわかりません。

 帆立貝形古墳の築造と形象埴輪の普及が同時期であることから、一説には円墳に埴輪祭祀のスペースを設けるために考案されたという説もあります。

 その場合、造出付き円墳とどう違うのか、という問題もはらんでしまい、そもそも、当時の人が造出付き円墳と帆立貝形古墳をどのように区別していたのかは誰にもわかりません。



 説明板にも書いてありましたが、前方部は王権(首長権)の継承儀式を再現しているのかもしれませんね。



 もっと間近に寄って見てみたいのですが、生垣が巡らされているので近くに寄ることはできません。

 円丘の方は裾の円筒埴輪以外はそんなに立っていませんね。



 墳丘上には家形埴輪と盾形埴輪、それに大刀埴輪が並べられています。

 しかしここは埴輪祭祀を勉強するうえで格好の遺跡ですね。

 高崎市の保渡田八幡塚古墳は言うに及びませんが、塚廻り4号墳もなかなかいいです。

 しかもこの田園風景がとても気持ち良い。

 『群馬の古墳物語 上巻』を読むと右島先生もすごく気に入っているようですが、私も少しここで休憩してから次に行きたいと思います。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・「塚廻り古墳群 パンフレット」 太田市教育委員会文化財課/編 2012年
・『群馬県古墳総覧』 群馬県教育委員会/編 2017年
・『群馬の古墳物語 上巻』 右島和夫/著 2018年


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