日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

【筑紫の国&火の国歴史探訪 2日目その3】上岩田遺跡【福岡県小郡市】

2018-07-03 21:49:08 | 歴史探訪
 神社マニアのことを「神社er」と呼んだりしますが、私は古代官衙マニアなので「官衙er」でしょう。

 きっと今後は「官衙ガール」とかも出てきますよ。

 古代史では古墳や埴輪がブームになっていますが、次は絶対官衙が来ます!

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 小郡官衙遺跡を見た後は、一連の御原郡衙のなかで最初に造られた役所の跡である上岩田遺跡へ向かいます。

 この公園が怪しいなあ。

 公園名が書かれた標柱があります。



 「ふれあい磐戸公園」か・・・

 違うかなあ。

 でも遠くに基壇のようなものが見えますよ。

 あ、電車!



 しかも1両編成!

 それはそうと、これは基壇だよなあ。



 やっぱりここだ。



 説明板発見!



 しかし、やっぱり電車が気になります。



 電車じゃないですね、気動車ですね。



 いいねえ、ローカル線のホーム。



 甘木鉄道の松崎駅です。

 古代史に戻りましょう。

 下高橋官衙遺跡でもお話しした通り、古代御原郡の最初の役所がここ上岩田遺跡でした。



 昔から瓦が出土することが知られており、古代寺院跡だと思われていたのですが、発掘の結果、寺院の機能を備えた役所であることが分かり、時代的には大化改新(645)の少し後なので、郡がまだ評と呼ばれていた時代に当たり、正確には郡衙とか郡家などとは言わず、「評衙」とか「評家」などと呼ばれ、全国的に見ても珍しい遺跡です。

 しかも、寺院としても評の役場としても北部九州では最古級のものなのです。

 遺跡はⅠ期(7世紀後半~8世紀前半)、Ⅱ期(8世紀中ごろ)、Ⅲ期(8世紀後半)、Ⅳ期(9世紀前半)というように変遷し、Ⅰ期は天武7年(678)の筑紫国地震を境にⅠa期とⅠb期に分かれます。

 基壇の上に登ってみます。



 この基壇はⅠa期のもので、東西18.2m、南北15.3m、高さ1.3mを測り、基壇上には金堂(仏堂)が建っていたと推定されています。

 見つかった無数の地割れ痕は、筑紫国地震の被害を物語っており、この地震で金堂は倒壊したという説が有力です。

 筑紫国地震のあと、役場の機能は小郡官衙遺跡へ移りましたが、寺院としての機能はどうなったのでしょうか。

 小郡市内井上に井上廃寺跡という遺跡があるのですが、倒壊した建物に使っていた瓦は、井上廃寺を建立するために使われたと考えられています。

 なお、現在見ることのできる基壇は公園の整備のために綺麗に復元されたもので、発掘調査の結果からは基壇の周辺に建物跡がいくつも見つかっています。

 既述した通り、上岩田遺跡は9世紀前半まで存続していますが、役場や寺院の機能が移転した後も、役場の「支所」的な施設として存続したようです。

 ※今年(2018年)3月22日に小郡市埋蔵文化財センターを見学し、上岩田遺跡から出土した遺物を見ました。そのときのルポルタージュは、こちらをご覧ください。

 お、大砲ラーメンがありますよ。



 食べたいなあ。

 でも時刻はまだ7時22分です。

 早朝から稼働したので、この時間までにもう3か所も遺跡を見てしまいましたよ。

 今日はまだまだ見まくるぞ!



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【筑紫の国&火の国歴史探訪 2日目その2】小郡官衙遺跡【福岡県小郡市】

2018-07-03 21:17:16 | 歴史探訪
 昨日まではエミシだなんだと東北の古代史について語っていたわけですが、今週末は福岡へ行くので、脳内を北部九州の古代史にスイッチングします。

 私はカチカチとどの地域のどの時代にでもスイッチングできるのが特技といえば特技かもしれません。

 ツアーや講座で話していてもすぐに脇道にそれてしまい、歩きながら喋るときはその時その時で思いついたことを話すのですが、以前、アンケートで「どの場所でどういう話をするかちゃんと考えて欲しい。思い付きで話さないで欲しい」とご指摘されたことがあり、「話題が広すぎて散漫」というご意見もいただいたことがあります。

 ただしその反対で、「脇道に逸れるのが面白い」とか、「与太話でもいいのでずっと話していて欲しい」というような意見もいただいていますので、ベストは尽くしていますが、なかなかお客様全員を喜ばせるのは難しいですね。

 さて、今回は前回の記事の続きで、郡衙跡についてお話しします。

 ⇒前回の記事はこちら

*     *     *


 大刀洗町から小郡市へやってきました。

 小郡官衙遺跡はこの辺にあるはず。

 おや、線路があるぞ。

 電車だ!



 いいねえ、西鉄だよ。



 関東の皆さん、「西鉄」は西武鉄道の略じゃないですよ。

 西日本鉄道です。

 そういえば、今の西武ライオンズは昔は西鉄ライオンズでしたねえ。

 私が子供のころに遊んだ野球盤のなかで古いものだと、まだチーム名が「西鉄ライオンズ」になっていたのを思い出します。

 おっと、遺跡はここだ。



 コウエン ヲ アルイテ、コダイ ヲ ユメミテ クダサイ・・・

 先ほどの下高橋官衙遺跡では「これが郡衙だ!」と熱く迫られましたが、こちらでは60代前半の柔和な表情のお役人さん(おそらく年齢的には嘱託か)が迎えてくれます。

 ハロー。



 では、公園に足を踏み入れます。



 おー、かなりの数の柱列が再現されている!



 でもこれでは何か分かりませんね。



 公園の入口部分は、第二期西方官衙群でしたか。





 弥生時代前期の貯蔵穴も見つかっているんですね。



 ということは、郡衙が造られるよりもずっと前から集落があった複合遺跡ということになります。



 今度は第一期が出てきました。





 やっぱり、説明板を見ないとわからないですね。





 ・・・と思いましたが、この説明板でもよく分からない。



 第三期が出てきました。





 バスケットの練習をしつつも、スマホは気になるようです。













 別の説明板も現れましたが、やっぱり分かりづらい。



 第一期から第三期までと弥生時代前期の遺跡を一度に再現しているので分かりづらくなっていますが、発掘の結果分かったことをなるべく多く見学者に見せたいという熱い思いは十分伝わってきます。

 公園内をぐるっと一周して最初の場所へ戻ってきました。

 ここにもパンフレット入れがありますね。



 このトイレは屋根の上が展望台になっているようです。



 登ってみましょう。

 電車を見るのにもいいですねえ。



 タミヤのマークが見えますよ。



 そうじゃなかった、遺跡だった。



 今日初めて来て、ザーッと歩いた感じでは分かりづらい感じがしたので、ここはもっと詳細な資料を片手に各時期の建物跡を探ってみると楽しく見学できるでしょうね。

 つづいて官衙3連発ということで、上岩田遺跡へ向かいますよ。

 ⇒この続きはこちら



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【筑紫の国&火の国歴史探訪 2日目その1】下高橋官衙遺跡【福岡県三井郡大刀洗町】

2018-07-03 20:25:27 | 歴史探訪
 今週の金曜日から2泊3日でクラツーにて吉野ケ里遺跡ほかをご案内してきます。

 テーマは邪馬台国と宗像大社と筑紫君磐井の乱という非常に欲張りなツアーです。

 このツアーは私が企画したものではないのですが、とてもありがたいことに何度も担当させていただき、福岡や佐賀の遺跡を実際に見る機会を多くいただいています。

 なので、行くたびにどんどん知識が増え、さらに楽しく考察できるようになってきており、クラツーに対しても、もちろん参加してくださるお客様たちに対しても大変感謝しています。

 このお仕事をいただく前は北部九州については書籍での知識しかなかったため、お客様をご案内するためには実際に現地を見ておかなければなりません。

 そのため、昨年の6月17日と18日に下見に行かせていただきました。

 そのうちの1日目の探訪の様子はすでのこのブログでお伝えしています。

 ⇒6月17日の探訪の様子はこちら

 このときの探訪から1年以上時間が開いてしまいましたが、久しぶりに記事にしてみます。

*     *     *


 初めての佐賀・福岡探訪の2日目。

 少しでも多く時間を確保したいので、朝5時半にホテルを出ます。

 お世話になったアンカーホテル博多。



 今日はまず、官衙跡めぐりをしますよ。

 最初に向かうのは三井郡大刀洗町にある下高橋官衙遺跡です。

 大刀洗町といってもピンとこない人も多いと思いますし、いやいや、大刀洗と言ったら旧陸軍の飛行場じゃないかと息を荒げる方もいらっしゃるかもしれません。

 旧陸軍の飛行場に息を荒げる理由は私には想像できませんが、私も今回初めて来たので、まったく土地勘のない場所をカーナヴィと紙の地図の両刀を使いこなし、多分この辺りだろうなあという場所へやってきました。

 よくよく注意しながら低速度で車を走らせていると、ありました!



 下高橋官衙遺跡、発見。



 説明板もありますよ。





 駐車場もちゃんとあるので、車から降りて確認してみます。

 こちらには全体図があります。





 これが郡衙だ!



 おう、そうだ。

 キミの言う通り、見紛うかたなき郡衙なのだ!

 説明板に書かれている通り、下高橋官衙遺跡は奈良時代の御原郡の郡衙跡です。

 郡衙というのは郡の役所ですね。

 古代史マニアはこういった古代のお役所の跡に来るとニッコニコなのです。

 国指定史跡・下高橋官衙遺跡には、東側の郡庁・曹司院域である馬屋元遺跡と、西側の正倉院域である上野遺跡が含まれています。

 東側の郡庁・曹司院域は、いまだ中心建物は発掘されていません。



 公園としての整備が進んでいる(といってもまだまだこれからですが)のは正倉院域です。

 説明板が見えますね。





 おや、この施設は何でしょうか?



 望遠鏡のように覗けるようになっているようです。



 この施設は「れきしびじょん」というのか・・・

 覗いてみましょう。

 おお、正倉院の建物群が立ち現れた!



 アナログな仕組みですけど往時の様子を少しでも分かってもらいたいという気持ちが伝わってきて好感が持てます。



 地表にも説明板が埋め込まれていますが、草が生えてしまうと埋もれてしまいますね。





 お、パンフレット入れだ。



 こういうのがあるとありがたいですよね。

 ところで、昔も今もお役所は移転することがあり、御原郡の郡衙もどうやら2度移転したようなのです。

 初めはまだ「郡」ではなく「評」と呼ばれていた7世紀中葉に、小郡市上岩田に寺院としての機能も併せ持った施設として存在しました。

 それを上岩田遺跡といいます(この後訪れる予定です)。

 つついで、天武7年(678)の大地震でその役所が倒壊した後は、同じく小郡市小郡に移転します。

 そちらは小郡官衙遺跡と呼ばれており、こちらもこの後行く予定です。

 さらに8世紀後半になると、ここ下高橋官衙遺跡に郡役所の機能を移転したわけですが、移転の理由は分かりません。

 ということで、次は小郡官衙遺跡へ行きますよ。

 なお、今回の旅のお供は史跡巡りに最適なコンパクトカーであるトヨタのヴィッツです。



 ⇒この続きはこちら
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