ふわり、お茶時間~お茶とともに~

月1カフェのお知らせと、ブログ企画の全国のお菓子と合わせる中国茶台湾茶の更新が主です。
お茶とお菓子、お茶と人。。。

大連旅行2日目その8 大連賓館のお外

2007-08-27 17:40:36 | 中国旅行/2007.05大連・旅順

ちょっぴり遠出して旅順から戻ってきた後は、一度ホテルで一休み。

写真は部屋から撮った雨模様の大連です。 見にくいのはご愛嬌^^;

一休みしている間に・・・・・・ゴロゴロガッシャーンうへぇっ

でも明日には日本へ帰らなくちゃいけないし、お土産全然買ってない。お茶も買いたいしどーしよー。いやこりゃ行くしかないよー行ってこよー。 と、友人と二人で雨の中タクシー呼んでデパートまで行って来ました。

ラマダホテル(最初に泊まる予定だったところ・・・)の真向かいにある勝利百貨でお買い物。ここね・・・ガイドブックにも「無尽蔵にショップが入る、大連駅前の地下迷路」と書いてあって、方向音痴な女二人の買い物は大変でした!たたた、確かに迷路でした小さいお店がひしめきあってるし、同じようなお店がいっぱいあるし。

おおーい、ここはどこじゃ~!

この日の晩御飯はホテルで食べるつもりでいて、出てくる前に何時までやっているのかと聞いたら「21時」(←やはり愛想ナイ・・・笑)ってホテルマンが言っておりましたので、さっと行ってさっと帰ってくるつもりだったのですよ。

予定では20時にはホテルに帰ってる予定だったのですよ。

なんとか、なんとか中国で流行ってるCD2枚買って、友人はお茶買って。

迷子だ~と言いながらデパートから這い出てホテル着いて20時半

部屋に帰って荷物放り込んで食堂向かって20時40分

す、滑り込みセーフッ!

・・・と、思いきや。そんなすんなりいかないのが中国。

奇想天外な晩御飯の始まりでした・・・(次回に続く)

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大連旅行2日目その7 水師営会見所旧跡&203高地

2007-08-10 15:11:37 | 中国旅行/2007.05大連・旅順

すさまじい銃撃戦の跡地・旅順の東鶏冠山(ぱーと1ぱーと2)の後は水師営会見所旧跡へ。

周囲はなにもありません。がらーんと閑散とした場所にあります。

水師営会見所とは、日露戦争においてロシアが降伏した1905年の1月5日、日本の乃木将軍と、ロシアのステッセル将軍の会見が行なわれた場所です。ここでの会見で、およそ5ヶ月にも及んだ戦争に終止符を打ちました。

敷地内にの一角に棗(なつめ)の木が一本立っています。その木の前で会見後の乃木将軍とステッセル将軍が記念撮影をしたのだそうです。

 

ええと・・・お気づきの方もいらっしゃると思いますが、今回写真がありません。なんともあほらしい話なんですが、前の晩に充電して寝るのを忘れてしまいまして・・・。東鶏冠山で電池切れ(没電了!)になっちゃったんです。というわけで、残りの203高地も写真がありません・・・

では、その203高地へ移動しましょうか。(強引に話戻してます

203高地は日本でも映画になってます。位置的には旅順港を見下ろす高台でにある要塞で、ここも東鶏冠山と同様旅順激戦区になった場所です。名前の由来はそのまま、高さが203mある高地だからです。ここも頂上に記念碑があるんですが、けっこう登るのきついです。道は整備されているものの、かなり登らないといけないし、斜面が急です。

この日は朝から天気がぐずついていましたが、なんとか大連に帰るまでは降りませんでした。ですが、ひたすら曇りだった空は、203高地に着くなり深い霧に。たぶん高台だからだと思われます。

よっこいせと登りながら、ガイドさんの「記念碑が見えますよ」の言葉に頂上を見上げると4、50mほど先に聳え立つ記念碑が見えました。この記念碑は乃木将軍がここを訪れた際、爾霊山(霊をなだめる山)と記して立てた弾丸の形をした記念碑です。(中国語の発音で203と爾霊山はかなり似ている)

そんな鎮魂碑を見上げると・・・風に流れる深い霧に覆われて私たちを見下ろしてる。

こ、こわっ!

雰囲気ですぎで恐ろしかった・・・。

でも、頂上についたら観光土産の売り子さんがたどたどしい日本語で商売を始めてました。寒かったんで、私たちが買いそうもないと判断すると即引っ込んだけど。

ここ203高地にて乃木将軍の息子さんもお亡くなりだそうです。そちらも記念碑があるようなのですが、ガイドさんに行きたいと言ったら「そっちは縁起が悪いと言われてます」って断られました。拝むとイケナイ、とか言ってましたが・・・どういう意味かわかりません。

命からがら(大袈裟)また急斜面を降りてきて、もうそのまま大連へ。

帰りの車中は寝てしまったらしく、大連賓館の前でガイドさんに起こされました。なんとか雨は降らずに済んだものの・・・この後雷まで鳴って大雨降りました。 今回は文字だけですが、以上水師営会見所旧跡&203高地でした!

 

最後に・・・なんにも写真ないのもアレなんで。

大連のコンビニで買ったお菓子。ポテトチップスはまぁいいとして・・・。左のお菓子、どこかで見たような?(笑)

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お菓子の味はフツーでした。フツーにポテトとチョコの味でした。

 

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大連旅行2日目その6 東鶏冠山(旅順)ぱーと2

2007-08-02 21:24:35 | 中国旅行/2007.05大連・旅順

今日はこの間の東鶏冠山の続きです。

この間、最後の方で「1904年、再び日本が朝鮮支配権を手に入れようとして日露戦争が勃発します。この時激戦区となったのが旅順というわけです。この戦争で大連・旅順の開発は日本が後を引き継ぎ日本の中国における東北部の拠点となっていったのです。」と書いてますが、そもそもなんで激戦区になったの?というそこのアナタのために解説しましょう!

もともと清(中国)によって要塞化されていた旅順港。ですが、その後ロシアが遼東半島に軍隊を配備した折、旅順港をロシア艦隊の港にしました。つまり、ロシアも日本も、旅順を占拠した方が日露戦争に有利になるわけです。そのため、砲台のあったこの東鶏冠山や、203高地では両国合わせて数万人もの人が命を落としたと言われています。

しかし、ロシア・日本のみが犠牲を払ったわけではないと思います。元は清(中国)の領土なのです。おそらくこの戦争で命を落とした中国人も数知れないでしょう。

さて、と。

コラムはこんなものにして、写真の解説に移りましょう。

一枚目は東鶏冠山の頂上に立っている石碑です。なんか傾いちゃってますが、私の撮り方が悪かっただけです。本物はまっすぐ立ってます。

 二枚目↓

その石碑の横にある説明書きです。

これを読むと、この石碑を建てたのは中国ではなく日本だということがわかります。

石碑を建ててもその意味を失っては本末転倒・・・。

 

はい、三枚目↓

日本軍防空壕(トーチカ?)内。年月のいたずらもありますが、ここも銃撃の爪跡でいっぱいでした。

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歴史のお勉強と、戦争について考えるきっかけになれば幸いです。

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