幸川玲巳のコトノハいろいろ日記

2013年4月~2015年5月まで
ヤプログで書いていた記事を
まとめております。

自分に怒ってもいいし自分を責めてもいい

2015-03-05 15:35:47 | happpy

今年に入ってからイベントなども含め

本当にたくさんの方の鑑定をさせていただいております。

ざっと数えると、のべ100余名の方の鑑定を

させていただいたことに気づいてちょっとびっくりしてます

そのうち人間関係の悩みがほとんどだと思いますが

ざっくりいうと

「自分と他人との違い」が原因で

怒ったり、悲しんだり、さみしく感じたり、疎外感を味わったり

屈辱を感じたり、憎んだり、もどかしさを感じたり

・・・・まぁ、さまざまな感情が生まれることで

悶々状態に陥ってる方がご相談くださるわけです。


皆さまのお悩みを聞きながら

わたしも過去同じようなことで悩んでいたなぁと思うことも多いですし

わかっていたようで、わかっていなかった!と

気付かされることも多々あります。


最近もプライベートである知人に「いらっ」とさせられました。

彼女は社会人になってから知り合いになって

年に1度とかそういうペースでお茶したり

食事したりと、細々とご縁が続いている人なのですが

ある晩、久しぶりに彼女からラインがきたのです。



いろいろ話を聞いて欲しいのでわたしに会いたいとのことで、

わたしとしてはスケジュールの

確認をしてから連絡をしようと、その場では返信しなかったのですが

翌朝

「ブログはアップしてるようだから時間はあるとは思うんだけど

私も忙しいので早く返事をして」


と言った旨のメールが届き

正直、久しぶりと言っていいぐらいの激しい怒りを感じて

朝からイライラしていたわけです。



この彼女、国語の先生なので言葉も巧みで

普段から(わたしのイメージでは)ずげずげと

物を言うタイプなので、慣れていたつもりだったのですが

もう、この日はあまりの怒りで、

「まじ死○!!!!」といった罵詈雑言を本気で

送りつけようかどうしようか悩んでいたのです。


わたしは比較的、怒りは顔に出ますし

彼女よりももっと親しい間柄の人には、


隠すことなくぎゃぁぎゃあ怒るので

これまで物凄く怒ったとしても悩みはしませんでした。


これって周囲は本当に大迷惑かもしれませんが

わたし的にはいつもスッキリとしていたのです。



今回は、怒る側から怒りをぶつけられる側に

変わったから?かと思ったのですが



これまた、普段から、ぶつけられた怒りは

即倍返し!!!というのが

わたしのプライベートでの在り方だったので

彼女にだってそうすればいいのです。



ところが、そうできなくて、今回、悩んでしまったわけで


わたしなりに

「本当は怒りをぶつけたいのに

ぶつけられない理由」があるのだろうなと思いました。


しかもそのときは

「なぜその怒りがぶつけられないのか明確にすることができない」

もどかしさを感じて、本当に半日以上悶々としていました。


彼女とは、見ず知らずでもなく、利害関係があるわけでもないのですから

いつものように

「わたしも忙しいんで、あなたのあの件はとりあえず後回しね」と

ずげずげ言ってくる人には100倍で返せばいいし

そうしたって一向にかまわなかったのに

なぜか返信をためらってしまっていたのです。



仮に利害関係があって、怒りをこらえなければならない場合だったとしたら

それは怒りをこらえる理由が明確だから

そうできることもあります。

たとえば、お客様から理不尽な怒りをぶつけられたとしましょう。

でもわたしの場合「お客様は時に理不尽」という

価値観をもっているので、そういう場面では

これも仕事のうちだと割り切って対応したり、

場合によってはこちらに非がなくても謝ることができます。


それなのに、今回はどうしてわたしはこんなにも

いらだってしまったのか、いつものように

彼女に言い返すことすらできなかったのか

本当に久しぶりに真剣に悩んでいたのですが



ある瞬間はっ!!!!!!!


と腑に落ちました。


腑に落ちたのは自分がこういう思考でいることに気付いたからです。



理不尽な怒りをぶつけてくる彼女はまさしく私の普段の姿。

→彼女に怒りを感じるのは、そんな自分に怒りを感じることと同じ。

→彼女に怒りをぶつけるのは、普段の自分の行いを

自ら否定し、糾弾するようなものじゃないか!

→自分否定はいけないといつもみんなに言ってるじゃないか。





=自分を否定してはいけない。

自分の行いを間違ってると言ってはいけない。




というものすごく真面目というか、理不尽というか

めちゃくちゃな考えに心が支配されて

身動きとれなくなっていたのでございます。



わたしはいろんなところで「自分を大切にする話」をしていますが

自分を否定する話はしてきませんでしたし

自分を否定することはよくないよ。的な話をしていました。


でも、今回のことで気づいたのですが


人のことをもちろん否定していい。

でも、時には自分のことも否定していい。

理不尽な人には怒ってもいいし、当然、自分にも怒っていい!



ってことです。お姫様ごっこをやっていて

「自分は悪くない」で癒されてきたわたしなので

なんだか、融通が利かなくなっていたようです。


本当の意味で自分を大切にするということは

自分を馬鹿にすることも、自分をコケにすることも

ぜんぶ、ぜぇぇぇんぶひっくるめて

「いいんじゃないの?」って言えるようになるってこと

なのですよね。







わかっていたようでわかっていませんでしたけど

彼女のおかげで気が付くことができたのです。


すとんと腑に落ちたあと、すぐに彼女に

「そんな拗ねないでちょんまげ。(←彼女は国語の先生なので

こういう言い回しが大嫌いなのをわかって送るわたし)

お茶おごってあげるから♡」

と優しい?メールを返すことができました。


そしてこれまた彼女から

即効で「泣き笑い」のような変な顔がスタンプが送られてきたので

本当のところは何を感じどう思ってるかはわかりませんが・・・。


自分を責めない、自分に怒らない。自分に優しくする。

これも真実ですし

自分を責めてもいい、自分に怒っていい。自分を否定する。

これも真実。 頭がごちゃごちゃしそうですが

要するに、自分に対しては、すべてまるごと、どんなことも

どんな扱いもオッケーにすることが

本当の意味で自分を愛することなのだと思います。


まだまだ修行が必要のような気がしますが

誰かとのかかわりの中でしか

こういった大事なことには気が付かないものですね。


わたしにとって久々の

どか~~~んと腑に落ちた気付きをくれた

憎たらしい知人に感謝です
















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