Reiko's Travel by Camping Car

2004年4月に退職して以来亭主と二人ヨーロッパの国々をキャンピングカーで旅行している、英国在住40年の主婦です。

最後のキャンプ旅行ー帰国後

2017-05-12 15:39:17 | 旅行

 

18日の午前中にはドーバーに上陸。キャンパーに不法入国者の有無を2回も調べられた。厚い雲が覆っている高速道路をロンドンへ向かって走る。道路わきの山桜はもう葉桜に近く、ほとんどフランス北部を走っているのと変わらない。

12時過ぎに無事我が家に着いた。今年3月半ばから娘夫婦と孫のジュードが我が家に寄宿している。彼らの家の改増築を行っているためで、7月までとのことだが英国の仕事は本当に期限で終わることがないから、当分居ついてしまうだろう。

ドアを開けて中に入っての先ず第一声が ”なんだ、これ !!!” 居間全体に散らばる大小のたくさんの玩具、キッチンからダイニングルームいっぱいの箱詰めの食料品。冷凍冷蔵庫は食料よりもワインとビールでいっぱいで、これらを出したり片付けないとキャンパーの食料や冷凍食品が入らない。

午後は丸いっぱいキャンパーから移す荷物に追われ、これでキャンプ生活も終わりだと思うから、常駐されている薬箱や、スペアーの寝具類も家に運び込んだ。

夕方になり一息ついたところで,溜まった郵便物の整理、そこで今までキャンパーの保険を扱っている会社から、今年も更新するかとの手紙が来ていて、本当に驚いた。ポールは今年8月に86歳になる。キャンパーの保険会社には84歳までと明記してあるからすっかりあきらめていた。

翌朝早くに保険の更新、問題なくできて亭主の喜ぶこと。私もこれが最後だと思っていたのでまた希望が湧いてきて今年はどこへ行こうかなどと考えてしまう。

 

 

 

前庭のライラックの花が満開でこの白のライラックはオフホワイトと言われる珍しい色。真っ白の花はよく見かけるが、オフホワイトはあまりない。この木はもう20数年前にこの家に引っ越ししたときにあったもので、それ以来たいして大きくも小さくにもなっていない。

裏庭のリンゴも梨もサクランボも花が終わってしまっていて、今年は暖冬だったとのこと。あるじなしとて、春がやってくれば花は咲き始める。

 

 

 

この八重の紫色のライラックも前の住人から受け継いだもので、巨大な木になっている。

 

 

 

庭のあちこちに勝手に咲き始めるブルーベルは公園や林で見かけるブルーベルよりも確実に大きい。きっと土地が生育に適しているに違いない。私たちの住んでいる地域は1930年前は近くの丘の上にあるお屋敷の庭園だったところで、きっと我が家の辺りは林の中だったのだろうと思われる。

 

 

ピンクのシスタスは今からがシーズン、ポルトガルより1か月も遅いが、ふつうは5月に入ってからだから今年は早い方だ。裏の垣根を覆って咲くのがクレマティス、昨年は垣根の半分が重さで崩れ折れたので、今では半分しか伸びていない。

 

 

前庭の以前は巨大なレッドウッドがあったところは数年前に木を切り倒し、このかわいい花を植えた。今年は大きくなって花盛り、もう20年も前、テームズ川の上流へキャンプに行ったときにパブの裏で新芽をとってきて増やしたもの。思いで深い花だ。

諦めていたキャンパーを売らなくても済むし、今年の10月過ぎからまたポルトガルへ行くと思う。

10月までは孫の面倒や、ロンドンのコンサートホールの徘徊で、またまた忙しい年になりそう。時々はこのブログもロンドンのことを書き加えていこうと思う。

 

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最後のキャンプ旅行ーカレー(Calais)

2017-05-08 15:15:31 | 旅行

ジュミェジーのキャンプサイトからカレーのサイトまでは3時間以内には着くから、この朝ゆっくり朝寝坊して9時過ぎにサイトを出発。

数日前からキャンパー内のバッテリーが過熱し硫黄臭いにおいがしだした。あまり臭いので日中走っている間はバッテリーへ送電している線を切って冷凍冷蔵庫は走っているときのエンジンの発電だけで保冷していた。

 

 

ルーアンへの高速道路へ行くまでの山道は林の中はブルーベルが満開。

 途中まで無料の高速道路はカレーまで205キロだという。12時にはカレーのサイトへ着くだろう。この日から空模様は怪しくなり、雨こそ降ってないが黒雲に覆われてきた。

 

 

高速道路脇道も桜並木があったり、遠くの菜の花畑の色合いが目を楽しませてくれる。

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 カレーの高速道路の高台からドーバーの白い壁が見えた。毎年この辺りを走って来ているのに、こんなに近くに見えたのは今回が初めて。

 

 

キャンプサイトはカーナヴィをセットしてたどり着き、受付でお金も支払った後に、このサイトが昨年とは違うことに気が付いた。

お金も払った後では手遅れで、諦めてキャンパーを停めて電気もメインにつないだが、冷蔵庫は保冷しない。バッテリーが完全にダメになってしまっている。この日は月曜日だからどこかにお店が開いているかと受付へ行って聞いたが、イースターマンディーのこの日はフランスでも祭日でどこも開いていない。諦めて冷凍庫だけは絶対開けないでおこうと決め明日帰国した際は一番に冷凍食品を移し替えること。

 

 キャンプサイトの裏側の小さなシャトー風お屋敷。 周りが堀になっていて、ニジマスらしいのがたくさん泳いでいた。

このキャンプサイトはこの屋敷が所有しているらしい。

 

 

サイトはグイネス(Guines) という小さな町で、歴史的にはフランス領だったり英国領だったりしたからこの町の閉まっていた博物館の前にはヘンリー8世の絵が飾ってあった。

 

 

一応この小さな丘が過去の砦だった。これじゃ英国軍が船で渡ってきてもすぐ降参。仕方がないね。

 

翌朝7時急激にみぞれになり、あられが激しく降った。震えあがるほどの寒さで、ポルトガルが懐かしい。

朝10時半のフェリーに乗るのに9時ころにフェリー乗り場に行けばよいだろうと8時にスーパーへ行ったら閉まっていてディーゼルを満タンにしてカレーの町中を通ってフェリー乗り場へ行くのに道を間違え、焦りまくってやっと着いたところがパスポートコントロールで3台前の車が20分もかかってとうとうどこかへ連れ去られ、フェリーの駐車場について5分後にはわたしたちはもうフェリーに乗っていた。

本当に危ないところだった。

 

  

 

 

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最後のキャンプ旅行ージュミェジーアビー〈Jumieges Abbey)

2017-05-06 10:26:30 | 旅行

 

 

 

キャンプサイトから100メータほど行ったところに大きな教会があった。この日はイースターの日曜日。墓地では故人をしのんでかお墓掃除をしている家族があった。ここはセント・バレンタイン教会という。

 

 

 

アビーへ行く一本道の通りは古い街らしく建物も普通のフランスの家屋からは程遠いチューダー調の木組みの建物が多い。

 

 

通りから見えるアビーの威容。

 

 

 

観光案内所のある建築物も古いらしい。

 

 

このジュミェジー・アビーは西暦654年に聖フィルバートによって創設されたベネディクティン(Benedictine)の僧院で、11世紀ノーマンデーの伯爵であり英国の王であったウイリアム・ザ・コンカーズによってアビー(大聖堂)になり中世まで宗教団体と貴族・王族が権勢を誇っていたが、フランス革命時にはこの僧院は25年も石切り場として運用され巨大な石造りの建築物は取り壊されて今現在残っているのがこれだけ。

2つのタワーは46メーターで、本堂は25メータの高さ。フランスで一番魅力のある遺跡と言われる。

 


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 アビーの奥にあるアボットレジデンス(Abbot's Residence)ではアビーで発掘された彫刻や、壁飾り、屋根飾りなどが展示されている。

 

 この2体のセイントらしき像もほとんど完全な形で残ったのも。

 

  

  上の模型図では修行僧などが生活したであろう建築物は完全に消えて、残っているのはテラスへ上がる石段とテラスの石垣、それにアビーのメインの高い建築物だけ。

 

テラスの向こうに見えるのはレセプションと土産物店。

 

 

 

 

 

 

 

 

アビーの外のスクエアーに置かれてある巨大なかご編みの船。実用には向かないし何か意味があると思うが、観光案内所は閉まっていて分からない。

 

この地域の見取り図で見るとセーヌ川がこんなに大きく蛇行しており、赤で囲まれたところがこのアビーの土地。

 

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最後のキャンプ旅行ールーアン(Rouen)へ

2017-05-04 14:40:39 | 旅行

 

 

イースターの日曜日、朝からルーアン(Rouen)へ向けて行く前にキャンプサイトから10数キロのアンボイス(Amboise)へ寄っていくつもりだった。このアンボイスはかってフランス国王の別荘宮殿だったところで、ブローシャーが素晴らしい。

この町へ入ったところで、すぐキャンプサイトのサインを見つけ、モンテリシャーのキャンプサイトより良かったかもしれない、残念なことをしたと悔やんだ。おまけに宮殿まじかの道路の混雑ぶり、フランス人はイースターでもそんなに大騒ぎで国を挙げて総移動しないかと思ったのに、駐車できるところなど絶対にない。

 

 

 

川向うまで行けば空き地があるだろうと思って行くと、ルアー河は真ん中に大きな中州を作っていて川幅は500メーター以上にもなっている。川向うの道端に停車しても、また歩いて宮殿へたどり着くのも、観光するのも大変で、とうとう諦めて写真を写しただけでルーアンへ向かうことにした。

 

 

ルアー河〈Loire)周辺には40以上の宮殿やお城が存在し、来るたび何軒か見て回りたいと思ったけど、イースターは一番時期が悪かった。

  

毎年4月はフランスもイギリスも菜の花畑が満開で目がさめるほど。

 

 

ルーアンまでは約3〇〇㎞、無料の快適な高速道路を走り、ルーアンの環状道路を過ぎたころから田舎道に入る。山桜がほとんど葉桜になった桜並木。

 

 

  

 

ルーアンから10数キロ、ここはパリから流れるセーヌ川の下流にあたり川は激しく蛇行している。

 

 

 

八重桜は今が満開でこの並木道は真っピンク。

 

 

キャンプサイトの近くの庭に花盛りなのは純白のリンゴの花。我が家のクッキングアップルはピンクの花だから、真っ白のリンゴの花は初めて見た。

 

 

キャンプサイトのお花のデコレーション。こんなハンギングバスケットも有るなんて・・・・素晴らしい。

 

 

イースターの割には道路がすいていたからジュミェジー(Jumieges)のキャンプサイトには午後早くについた。

サイトの女主人は英語がうまく,ジュミェジーアビー〈Abbey)は歩いて15分くらいだとおしえてくれた。

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最後のキャンプ旅行ーモンテリシャー(Montrichard)

2017-05-03 09:54:37 | 旅行

土曜日の朝2時間をロッシェのマーケットで楽しんだ後、すぐにモンテリシャーへ向かった。ここはキャンピングブックにお城や宮殿に近いと書いてあったからで、調べもしないで行ったところだ。

ロッシェから非常に近くて田舎道を走って30分でモンテリシャーのキャンプサイトに着いた。

 

 

途中の道筋で見つけたお城がこのモンプーポン(Montpoupon)のお城で、外側だけ写真に撮って走った。

 

このモンプーポンのお城の周囲が絵になりそうな素敵な田舎の村で、ゆっくり歩き回れたらいいなーと思いながら先を急ぐ。

 キャンプサイトでチェックインしたときに聞いたところモンテリシャーのお城はキャンプサイトから1㎞。それなら歩いていけると11時すぐから出かけた。高台に崩壊寸前のお城が見える。

 

 

ラウンドアバウトの真ん中の飾りは中世の馬車らしい。こんなところもここが中世に栄えた町らしいことが見える。

 

 

 

シャー河〈River Cher) に架かる古い橋を渡る。橋のたもとに昔は検閲でもしたのか小さな建物が一軒あって、今は閉まっていた。

 

 

 

お城への登り口を探して町を歩き回り観光案内所へたどり着いたのが12時3分過ぎ。ここは12時から2時まで閉まっていた。この案内所も古い建物らしい。

 

 

とうとう人に尋ねてお城への入り口を探し当てたのにここだって12時から2時は閉まっていた。もうやけくそ、2時までどこかで昼食をと入ったところがビーフバーガーショップ。

亭主はバーガー、私はラッパーを注文、それにビール小瓶2本それで25ユーロを払い、ポルトガルの安いレストランが懐かしい。もうこれで外食は禁止と言い交してまた1時間近くも町をうろうろ。

 

市庁舎みたいな立派な大きな図書館、

 

その前の柵にはフランス大統領選挙の候補者のポスターがずらりと並んでいた。

最近の傾向は極右か極左に分かれて穏健な中道を支持する人が少ない。これも過去2年のイスラム民族大移動の反動かも知れない。

 

 

 

 

 

お城の裏側の壁が見える通りでこの日の午後は自転車競技が行われた。そのタイトルもトアー・ルワー から チャー 〈Tour du Loir et Cher) 

およそ20分ごとにこのグループのサイクリストが回ってくるので、この町の周囲を何度も走っているに違いない。最終的に8回目を見て次に7回とサインが出たからあと7回も回ってくるのは待っておれないと2時にお城が開いたのを機会に城に向かった。

 

 

 

この中は博物館になっていて、古代の農機具や遺跡で発掘された食器類など見せているものの私たちにはあまり興味を引く物はなかった。

 

 

 

崩れかけた石垣と壁の道を登っての高台はモンテリシャーの小さな町が見渡せる。

 

 

 

 

博物館にあったお城の模型を見ると相当大きなお城だったらしいのに、この城を攻撃廃墟にしたのはイギリス王国だったとのこと、

この城は11世紀に建立され一時はフランス国王や王妃がロッシェのお城への往復にここを利用していたとのこと。歴史的には面白い逸話が多いがこうして壊れてしまえば、兵どもの夢のあとになるのだ。

シャー河のほとりに砂地のビーチと呼ばれるところがあり、夏にはここで泳いだり水遊びをする家族が多いと観光案内書に書いてあった。海が遠いところだろうからこんなきれいな河なら泳ぎたくて当然だろう。

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最後のキャンプ旅行ーロッシェのマーケット

2017-05-02 12:21:55 | 旅行

 

グッドフライデーの夜は満月に近い月が上った。木の間から見える月の手前の木の枝にはヤドリギが寄生していて花か種ができてきているのが垣間見える。

 

 

 

この夜遅く教会とお城に照明がついた。10時過ぎでサイトの端まで行くと良く見える。写真を撮ってるすぐ近くのテントから男の人の大いびきが聞こえておかしかった。まだ10時過ぎというのにぐっすり寝ている様子。

 

翌土曜日にロッシェの町でマーケットが開かれると聞き、朝8時に私一人で出かけた。

マーケットの出店は今準備中、色とりどりの花屋さんは大いに興味があるけれど今は何といっても花より団子。トマトの苗を2本買った。

 

 この太いアスパラガスには驚いた。フランスではどこでもアスパラガスを売っているが、こんなに太いのは初めて見た。

 

 巨大なチーズ。

 

 

ヨーロッパには各国独特のチーズが作られ売られている。あまりに種類が多くていったいどれがおいしいのか判らない。

きっと私が特にチーズ好みでないからかもしれない。

 この色とりどりズラーと並んだものは石鹸で、こんなにたくさんあるのを見るとフランス人は良い匂いのする石鹸が好みなのかもしれない。香水もフランスで作られたのだもの。

 

 面白い形のパンを売ってるお店、これらはきっとふわふわの菓子パンに違いない。

 

こんなにたくさんのラディッシュの山、イースターに特にラディシュを食べる習慣でもあるのかしら。

 

 ヨーロッパ独特の固いソーセージ、亭主はあまり喜ばないが、私は大好き。

 

 

いろいろな種類のオリーヴの漬物とカキガイを売ってる出店。今年は生のカキガイを食べそびれたから6個3ユーロで買ってみたが、貝殻を開ける頃ができず、蒸し焼きにしたら実がしぼんで小さくなり3ユーロの価値なし。

 チキンの丸焼きバーベキューショップ、このほうがお金に値する食料が得られる。

 

 巨大なアヒルの卵、でも一個が2ユーロもするのには驚いた。それでも誰かが買うからそんな値段で売っているのだろう。鶏卵なら1ダース2ユーロ以下で買うこともできるのに。

 

 町のスクエアーのデコレーションがユニーク。

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最後のキャンプ旅行ーロッシェ塔

2017-05-02 10:57:13 | 旅行

お城のある高台の正反対側、キャンプサイトからは見えないところに2つの高い塔を持つ牢獄並びに防衛防御の役割を持つ塔がある。 

 

 

 

 

 

 

塔の内部一室にこの塔の模型があり当時は立派な防衛設備だったことが分かる。

 

 

15世紀ジャンヌダルクを保護加勢したかどで捕獲投獄されたJohn oF Alencon's ( 14089-1476) は1456年から5年の年月をこの牢獄で過ごし、1461年にシャルル7世によって解放された。

 

 高い塔の上から見下ろすロッシェの新市街。こうしてみると割合小さな町であることがよくわかる。

 

東に目をやれば教会の尖塔が良く見える。

 地下牢への回り階段。

 

 

この塔の真下には手で掘った広い地下道が数キロにわたって伸びている。頭上に巨大な石の塔があると思うと、狭所恐怖症はないつもりだがあまり気持ちの良いものでなく、急いで地下道を駆け上がった。

 

 

  

 

中世の庭は花盛りで、暗い地下から出てきて随分ホットした。

   

 もう一方の7階建ての塔は当時の居室や寝室、ダイニングの広間だったりしたが、天井や床がすべて崩れ落ちたため、内部は空が見える筒状態になっている。

  

 壁に沿って狭い石の階段がついていたり,安全柵があるが高所恐怖症の人には絶対おすすめできない。若いフランス人のカップルが恐怖のあまり下を見ないよう壁にぴったりくっついて歩いていた。

 

 地下のキッチンか倉庫だったらしい。

 

  

 

ロッシェを統治していた貴族の絵、フランス語ばかりで名前は判らない。 日本の大名行列ほどではないが、当時の栄華がしのばれる。

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最後のキャンプ旅行ーロッシェ〈Loches)

2017-05-01 15:58:39 | 旅行

  

 

ここロシェは昨年英国への帰り道、カーナヴィを間違えて通ったところで、素晴らしいお城や建物が見えたので、地図にしるしをつけておいたところだ。今年は時間的に余裕がありのんびりあちこち見て回ることができるから、初めからこの地への訪問を計画していた。

午後3時過ぎにキャンプサイトについて、サイトの片隅からお城と大聖堂が真近に見えて驚いた。夕方二人で近くを散歩して川のこちら側〈キャンプサイト側)に大きな子供の遊園地があり、親子連れや祖父母に連れられた子供たちが大勢遊びまわっていた。英国ならば 明日からイースターに入る忙しい時期、ロンドンを出る車の渋滞で身動きもできないだろう。

 

 

 お城はキャンプサイトのある河を挟んだ東側から良く見える。

 

 お城の隣にある教会もまたキャンプサイトや遊園地側から良く見え、とっても良い被写体だ。

  

 

 城門から数百メーター離れた道端にこの立派な建物、表門の表札を見ればアーメイル宮殿と書いてある。昔は尼寺だったところをロッシェの市庁舎が買い取って改造したものだそうな。

 

 

城下町へ入っていく東門でこの中はお城の塀に平行してお土産店とレストランが並ぶ狭い道で車は通れない。

 

 

城下町の通りから北門を見たところ。

 

 お土産店のたくさん並ぶ通り。

 

 

 

 城門に囲まれた旧市街地。

 

 

イースターのころからライラックが満開になった。この濃い紫色のライラックは我が家にはないが、我が家の誇る明るいブルーのライラックは珍しく八重の花と一重のクリーム色のライラックがある。

 

 グッドフライデーの朝からお城への坂道を行く。

 

 城下町はいったいどんな人が住んでいるのか静かな通り。

 お城への正門にはほころびも見えずがっしりした構え。

 

お城横の教会は正面よりも奥行きが非常に深く、大きい。

 

 

  

 大聖堂に祭られているこの女性は、シャルル7世の愛人で出産時に使った水銀で死んだとも、毒殺されたともいわれている。

 

 

 ロッシェ城もたいしてきれいな建物でなく中は意外と質素な作りだった。

 

 お城の正門から大聖堂を見たところ。

 

 

大食堂の間、質素なテーブルとイスだけの大広間。

 

 シャルル7世はたびたび愛人アグネス・ソレルとこの城で過ごし、王妃からは非常に憎まれた。アグネスはこの当時のファッションリーダーであり肩をむき出したドレスも彼女が流行らせたものだという。15世紀のフランスでは性のモラルは地に落ち,上流社会では姦通は当たり前のことになっていた。また毒殺も流行っていたというから恐ろしい。

 

 

お城の壁に掛けられた入浴シーンの絵。

 

 

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