今日,私のむかーしの論文について問い合わせを受けました。
この論文は,1999年4月発刊とあるので
厳密には,博士2年の時に書いたものです。
書いた当時の心境は,色々な意味で覚えているのですが
(指導教授から頂いたコメントも覚えている)
正直,あまり「良い出来です」とは言えません。
ただ,論文というものは
世の中に出た以上,
私の意思を超えて残って行くものなんだなぁ…
と思いました。
他のことはズワイガニ(またはカニ)かカナダのことで
ふんわりと取材や問い合わせを受けたりしますが,
この論文は扱っているのが
特殊だったのか,ダイレクトに
この論文に問い合わせが来ます。
(何の論文かはひ・み・つ)
先ほど「結局,どんな内容だったっけ?」と読んでみましたが,
新しい論点とか,分析軸とか
そういうのは皆無ですが,
よく,こんな細かいことを調べたなぁという
資料的価値は見つけました。
という訳で
青臭い「考察」の辺りはすっ飛ばして,
調べたことだけならば,何とか意味はあるかもしれない。
でも,「書いた物は残る」ということを
心して論文を書かなければならないと
研究者の覚悟を改めて思い知った出来事でした。
この論文は,1999年4月発刊とあるので
厳密には,博士2年の時に書いたものです。
書いた当時の心境は,色々な意味で覚えているのですが
(指導教授から頂いたコメントも覚えている)
正直,あまり「良い出来です」とは言えません。
ただ,論文というものは
世の中に出た以上,
私の意思を超えて残って行くものなんだなぁ…
と思いました。
他のことはズワイガニ(またはカニ)かカナダのことで
ふんわりと取材や問い合わせを受けたりしますが,
この論文は扱っているのが
特殊だったのか,ダイレクトに
この論文に問い合わせが来ます。
(何の論文かはひ・み・つ)
先ほど「結局,どんな内容だったっけ?」と読んでみましたが,
新しい論点とか,分析軸とか
そういうのは皆無ですが,
よく,こんな細かいことを調べたなぁという
資料的価値は見つけました。
という訳で
青臭い「考察」の辺りはすっ飛ばして,
調べたことだけならば,何とか意味はあるかもしれない。
でも,「書いた物は残る」ということを
心して論文を書かなければならないと
研究者の覚悟を改めて思い知った出来事でした。