うわぶのうわごと日記

日々の議員活動や出来事

4月29日(金) 「中村さんち」の第7回定期総会でした。

2011年04月30日 | Weblog
「中村さんち」の第7回定期総会でした。ほっと・ひといき空間という名前がついているのですが、その名の通り利用者の皆さんにとっても、そして何よりもスタッフの私たちにとって、ほっとできる場所になっています。

 利用者さんがもう少し増えたらいいな!スタッフも人員が欲しい・・・などの希望もありますが、まあボチボチとここまで来ました。そしてまた来年も続けていくことになりました。

 総会のあとは、おなじみの伊藤さんの指導の「健康体操」で汗を流しました。お腹もちょうど良く空いて、懇談をしながらの楽しい昼食会になりました。新しい方たちも気軽に顔をのぞかせてくださる・・・そんな場所にしたいと思います。連休中はお休みですが、5月10日から火・木の週2日間、10時から3時までやっています。どうぞいらしてください。

4月28日(木)明日からゴールデンウィークです。

2011年04月29日 | Weblog
 午前中は国分寺台の事務所でネットの運営委員会でした。打ち合わせや確認が山のようにあり、あっという間に時間がすぎます。午後は小沢事務所でした。明日から連休ですが4年に一度はゴールデンウイークは目いっぱい働くウイークです。

 午後、光風台方面に車を飛ばしました。田んぼもかなり田植えが済んでいました。この連休が田植えのピークなのでしょうか。私は毎日同じことをしているので、取り立ててブログに書くこともなく乏しい内容ですみまーせん。

 (うちの庭の花・・・木香バラ・・・去年は全く咲かなかったのですが今年はいっぱい咲きそうです。)

4月27日(水) 事務所で・・・・

2011年04月28日 | Weblog
今日も一日、事務所でした。ボランティアさんに仕事を頼んだり、事務所に見えた方といろいろお話をしたり、ポスターを張りに行ったりと、やることもさまざまです。

 当人の「小沢みか」は自分のスケジュールで黙々と行動していますので、担い手のこちら側もあまり心配しないでいられます。昨日は市長、市議選の立候補予定者の事前説明会がありました。

 市長選は八幡の石井氏も立候補というニュースでびっくり。どんな市原市をめざすのか、それぞれ政策を競い合っていただきたいものです。

    (うちの庭の花・・・再びリラの花・・・香りもします。朝、庭の花々を見て回るのが元気の素)

4月26日(火) 県ネット運営委員会でした。

2011年04月27日 | Weblog
午前中は県ネットの運営委員会でした。統一地方選後、初の運営委員会でしたので選挙の結果報告と意見交換をしました。総括はこれからですので本格的な議論もそれからです。

 選挙は水もの・・・いろいろな状況や要素も重なって結果になりますが、大事なことは当選したら感謝、落ちたら原因を自分(たち)に求めよ・・・ということなのかなと、改めて思いました。何回か選挙を経験し、またこの年齢になってやっと思うことだから難しいことですが。

    (庭の花・・・藤・・・花よりも葉が茂りました。)

4月25日(月) 避難地域の方々を思うと 

2011年04月26日 | Weblog
今日も一日、事務所詰めでした。いろいろボランティアさんが来てくださり、黙々と仕事をしてくださいます。根気のいる作業もきちんと最後まで丁寧に・・・。自分が担がれる側だった時には、ちゃんとわかっていなかった数々の裏方仕事に、いま改めて感謝をする毎日です。

 気になる原発ですが毎日のニュースにマンネリ感に陥りそうで、気をつけなければなりません。原発の半径20キロ圏内が立ち入り禁止になりました。着の身着のままで避難をされた方々の「一時帰宅」の基準が決まったとのこと。2時間しか滞在できないことや1世帯一人のみ、持ち出せるものもわずかなものと厳しいものです。

 これがいつまで続くのか、いつになったら自宅に帰れるのか・・・皆さんの気持ちを考えると言葉もありません。

4月24日(日) まだ早いのですが、退任を労って・・・

2011年04月25日 | Weblog
 統一地方選後半戦の投票日でした。応援に行っていた木更津ネットは田中さんが上位で当選しました。よかった!ネットは今回もいろいろ課題を残しました。とにかくお疲れ様。

 夜は今期で退任する私を労ってくださるとのことで、夫の会社関係(サッカー仲間でもある)の皆さんが集まりを持ってくださいました。実は今日は震災後,1カ月半、中断していたJリーグが再開し、ジェフはFC東京に完勝したこともあり、嬉しさも100倍でした。次の小沢さんにバトンタッチを無事に果たしてこそですので頑張ります。

 (写真・・・・ちょっと恥ずかしいのですが・・・)

4月23日(土) 雨の土曜日

2011年04月24日 | Weblog
 雨交じりの一日でした。今日は一日「小沢みか事務所」でした。やらなければならないことはたくさんありますが、計画通りには運びません。忍・忍・忍でーす。
 
 石巻出身の「辺見庸さん」の文章の紹介がありましたので載せます。辺見さんは以前、私たちのグループで講演してもらったこともあり、身近に感じています。長い文章ですが感動的ですので読んでください。



        《「震災緊急特別寄稿」         辺見庸


 風景が波とうにもまれ一気にくずれた。瞬間、すべての輪郭が水に揺らめいて消えた。わたしの生まれそだった街、友と泳いだ海、あゆんだ浜辺が、突然に怒りくるい、もりあがり、う ずまき、揺さぶり、たわみ、地割れし、ごうごうと得体の知れぬけもののようなうなり声をあげて襲いかかってきた.

その音はたしかに眼前の光景が発しているものなのに、はるか太古からの遠音でもあり、そ の底の幻聴のようでもあった。水煙と土煙がいっしょにまいあがった。 それらにすぐ紅蓮の火柱がいく本もまじって、ごうごうという音がいっそうたけり、ますます化け物じみた。

家も自動車も電車も橋も堤防も、人工物のすべてはたちまちにして威厳をうしない、プラスチックの玩具のように手もなく水に押しながされた。ひとの叫びとすすりなきが怒とうのむこうにいかにもか細くたよりなげに、きれぎれに聞こえた。わたしはなんどもまばたいた。ひたすら祈った。夢であれ。どうか夢であってくれ。だ が、夢ではなかった。夢よりもひどいうつつだった。
 
 それらの光景と音に、わたしは恐怖をさらにこえる「畏れ」を感じた。非情無比にして荘厳なもの、人智ではとうてい制しえない力が、なぜか満腔の怒気をおびてたちあがっていた。水と火。地鳴りと海鳴り。それらは交響してわたしたちになにかを命じているようにおもわれた。たとえば「ひとよ、われに恐懼せよ」と。あるいは「ひとよ、おもいあがるな」と。

 わたしは畏れかしこまり、テレビ画面のなかに母や妹、友だちのすがたをさがそうと必死に なった。これは、ついに封印をとかれた禁断の宗教画ではないか。黙示録的光景はそれじしん 津波にのまれた一幅の絵のようによれ、ゆがんだ。あふれでる涙ごしに光景を見たからだ。生 まれ故郷が無残にいためつけられた。
 
 知人たちの住む浜辺の集落がひとびとと家ごとかき消された。親類の住む街がいとも簡単にえぐりとられた。若い日に遊んだ美しい三陸の浜辺。わたしにとって知らぬ場所などどこにもない。磯のかおり。けだるい波の音。やわらかな光・・・。一変していた。なぜなのだ。わたしは問うた。怒れる風景は怒りのわけをおしえてくれない。ただ命じているようであった。畏れよ、と。
 
 津波にさらわれたのは、無数のひとと住み処だけではないのだ。人間は最強、征服できぬ自然なし、人智は万能、テクノロジーの千年王国といった信仰にも、すなわち、さしも長きにわ たった「近代の倨傲」にも、大きな地割れがはしった。とすれば、資本の力にささえられてなお繁栄を謳歌してきたわたしたちの日常は、ここでいったん崩壊せざるをえない。わたしたちは 新しい命や価値をもとめてしばらく荒れ野をさまようだろう。
  
 時は、しかし、この広漠とした廃墟から、「新しい日常」と「新しい秩序」とを、じょじょにつくりだすことだろう。新しいそれらが大震災前の日常と秩序とどのようにことなるのか、いまはしかと見えない。ただはっきりとわかっていることがいくつかある。われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。
  
 愛や誠実、やさしさはこれまで、安寧のなかの余裕としてそれなりに演じられてきたかもしれない。けれども、見たこともないカオスのなかにいまとつぜんに放りだされた素裸の「個」が、愛や誠実ややさしさをほんとうに実践できるのか。これまでの余裕のなかでなく、非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。
 
 家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか、すべての職業人がやるべき仕事を誠実に追求できるのか。日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう。
  
 カミュが小説『ペスト』で示唆した結論は、人間は結局、なにごとも制することができない、この世に生きることの不条理はどうあっても避けられない、というかんがえだった。カミュはそれでもなお主人公のベルナール・リウーに、ひとがひとにひたすら誠実であることのかけがえのなさをかたらせている。

 混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのではなく、他にたいしいつもよりやさしく誠実であること。悪魔以外のだれも見てはいない修羅場だからこそ、あえてひとにたいし誠実であれという、あきれるばかりに単純な命題は、いかなる修飾もそがれているぶん、かえってどこまでも深玄である。
  
 いまはただ茫然と廃墟にたちつくすのみである。だが、涙もやがてかれよう。あんなにもたくさんの死をのんだ海はまるでうそのように凪ぎ、いっそう青み、ゆったりと静まるであろう。そうしたら、わたしはもういちどあるきだし、とつおいつかんがえなくてはならない。いった
い、わたしたちになにがおきたのか。この凄絶無尽の破壊が意味するものはなんなのか。まなぶべきものはなにか。
  
 わたしはすでに予感している。非常事態下で正当化されるであろう怪しげなものを。あぶない集団的エモーションのもりあがり。たとえば全体主義。個をおしのけ例外をみとめない狭隘な団結。歴史がそれらをおしえている非常事態の名の下で看過される不条理に、素裸の個として異議をとなえるのも、倫理の根源からみちびかれるひとの誠実のあかしである。大地と海は、ときがくれば平らかになるだろう。安らかな日々はきっとくる。わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。》(3月16日付け「共同通信」)


4月22日(金) 木更津

2011年04月23日 | Weblog
今日は朝から木更津でした。選挙カーにも乗り、ひさしぶりにウグイス(カラスかな)にもなったり・・・木更津の街並みの視察にもなりました。アクアライン・引き下げの効果をねらってなのか請西、真船地区などでは、開発ラッシュといった感じで新しい住宅が続々とできていました。

 住宅の値段も3000万円以下で比較的手ごろなため、若い人たちが購入しているようです。勤務先も川崎や横浜など東京湾を超えて行く人が多いようです。沈下一方だった木更津もまた、新しい動きがあるようです。


4月21日(木)バタバタは失敗のもと

2011年04月21日 | Weblog
午前中はネット通信の打ち合わせ、午後からは地域を歩き、夜は会合へとあわただしくバタバタ過ぎました。あまりバタバタするとロクなことにならないです。人を迎えに行くのをすっかり忘れて、ほったらかしにしたり、予定の電車に乗り遅れたり・・・。自分が思うほどスパスパとは物事を運べなくなっているんですねー。身の程、年の程をわきまえてもうすこしスローペースでと反省しています。

 選挙も近付きいろいろ人とお会いする中で「挨拶」の大切さを感じる今日この頃です。心のこもった「挨拶」はなかなか難しいことです。「こんにちわ」「ありがとうございます」「よろしくお願いします」といろいろありますが、「挨拶」一つで人がらもわかってしまうかもしれません。大切ですねー。

(ウチの庭の花・・・ちょっと変わったチューリップ)

4月20日(水)無投票でなくなった市長選

2011年04月21日 | Weblog
6月の市長選に松本先生(元校長なので)が出馬されるという報道がありました。今回も無投票という感じだったので、選挙が行われるというのはどちらにしても良いことです。

 今日は一日、木更津・市議選の手伝いでした。市民ネットは4年前に議席をなくしていますので、なんとしても当選させないとネットの存続にかかってきます。震災後の自粛ムードは少し緩和したのか、選挙カーもいつも通り走り回っていました。ここでも震災後の防災対策や、高齢化への対応などが市民の関心事となっています。

   (うちの庭の花・・・リラ・・・リラ冷えの言葉通り、夜は冷え込みました。)