「痴呆老人は何を見ているか」大井玄氏 新潮社です。
著者は臨床医としての立場から痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる
正常と異常の間、そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ
人間がどのように現実を仮構しているかを医学・哲学の両義から
あざやかに解き明かしていきます。
1、ぼけ老人と痴呆老人は違う
ぼけ老人は言動が周囲の期待に添わなくなったときに使われますが
本人は認知能力が低下していないことがままあります。
つまりぼけ老人は意地悪な人間環境下では早々に発生するが、温かく寛容な
人間関係の中では知力が相当低下しても、「ぼけ」とは認知されなくなる。
ちなみに沖縄では敬老思想が強く保存され、老人が温かく看護され尊敬されており
老人に精神的葛藤がなく、たとえ器質的変化が脳に起こってもこの人たちに
うつ状態や幻覚妄想状態は惹起されることなく
単純な痴呆だけにとどまることが多くみられます。
他方「痴呆」は曲がりなりにも脳のCT所見や知力検査の結果
診断された医学用語であります。
器質的変化
組織や細胞が、もとの形態にもどらないような変化が起こることをいい
このようになった病気を器質的疾患といいます。
惹起
じゃっき : 事件・問題などをひきおこすこと。
2、痴呆と認知症
痴呆を認知症と呼称変更したのは差別的意味合いを考慮してのことと言われていますが
認知症という名称は対象の性質をきちんと表現しておらず、不適切であると思われます。
「身体的障害者」と「知的障害者」はどの種の障害を示しているか明確ですが
認知症は漠然として何を示しているか判らない。
ここには日本的文化における異質なものへのラベル付けがあるように思えます。
3、アメリカ人にとっての痴呆
アメリカ人にとって最大の恐怖は老いて痴呆になりナーシングホームに
追いやられることだそうです。
またアメリカでは認知能力の衰えた老人の緩和ケアとは苦痛を除くことのみであり
延命につながる可能性のある医療行為は一切無駄であるという解釈があります。
自立性尊重という倫理意識が最も色濃いアメリカ社会ではいったん人が
自立性を失うと生命の「生かされる」という側面は無視されたまま生存の場から
消えていくように見えます。
著者は臨床医としての立場から痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる
正常と異常の間、そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ
人間がどのように現実を仮構しているかを医学・哲学の両義から
あざやかに解き明かしていきます。
1、ぼけ老人と痴呆老人は違う
ぼけ老人は言動が周囲の期待に添わなくなったときに使われますが
本人は認知能力が低下していないことがままあります。
つまりぼけ老人は意地悪な人間環境下では早々に発生するが、温かく寛容な
人間関係の中では知力が相当低下しても、「ぼけ」とは認知されなくなる。
ちなみに沖縄では敬老思想が強く保存され、老人が温かく看護され尊敬されており
老人に精神的葛藤がなく、たとえ器質的変化が脳に起こってもこの人たちに
うつ状態や幻覚妄想状態は惹起されることなく
単純な痴呆だけにとどまることが多くみられます。
他方「痴呆」は曲がりなりにも脳のCT所見や知力検査の結果
診断された医学用語であります。
器質的変化
組織や細胞が、もとの形態にもどらないような変化が起こることをいい
このようになった病気を器質的疾患といいます。
惹起
じゃっき : 事件・問題などをひきおこすこと。
2、痴呆と認知症
痴呆を認知症と呼称変更したのは差別的意味合いを考慮してのことと言われていますが
認知症という名称は対象の性質をきちんと表現しておらず、不適切であると思われます。
「身体的障害者」と「知的障害者」はどの種の障害を示しているか明確ですが
認知症は漠然として何を示しているか判らない。
ここには日本的文化における異質なものへのラベル付けがあるように思えます。
3、アメリカ人にとっての痴呆
アメリカ人にとって最大の恐怖は老いて痴呆になりナーシングホームに
追いやられることだそうです。
またアメリカでは認知能力の衰えた老人の緩和ケアとは苦痛を除くことのみであり
延命につながる可能性のある医療行為は一切無駄であるという解釈があります。
自立性尊重という倫理意識が最も色濃いアメリカ社会ではいったん人が
自立性を失うと生命の「生かされる」という側面は無視されたまま生存の場から
消えていくように見えます。