代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

新田次郎の教育について(『国家の品格』の書評の続き)

2006年03月30日 | その他
 藤原正彦著『国家の品格』の書評の続きです。私がこの本を読む気になったのは、著者の藤原正彦氏が作家・新田次郎の息子さんだという事実に興味を抱いたという理由があります。私は昔、新田次郎の小説をよく読んだので…。それで『国家の品格』を読んで興味深かったのが、父・新田次郎が息子・藤原正彦に対してほどこした教育の内容でした。

 新田次郎の人となりがよく分かるエピソードで興味深いものがありました。新田次郎が藤原正彦にほどこした武士道教育というのが126頁から129頁に紹介されています。「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だ」「弱い者を救うときには力を用いても良い」、しかし「相手が泣いたり謝ったりしたら、すぐにやめなくてはいかん」……などなどです。
 
 新田次郎の代表作に『武田信玄』があります。新田次郎は武田信玄を深く尊敬し、そのライバルの上杉謙信をバカにしていました。新田次郎は、昔、NHKの歴史番組において、上杉謙信ファンで『天と地と』を書いた海音寺潮五郎と「武田信玄と上杉謙信はどちらが偉いのか?」というテーマで対談していました。新田次郎は、上杉謙信は「義のために戦をする」なんてカッコつけてばかりいるが、領土はちっとも増えないじゃないか。武田信玄のように、ときには謀略的手段を用いて目的を達成するような、清濁併せ呑むことのできる人物が立派な戦国武将なのだ。上杉謙信は、政治家としては全く無能だ、てな具合に語っていたのを思い出しました。

 上杉謙信は、武田に追い落とされた信濃の諸大名の旧領を回復するために武田と衝突したり、北条に追い落とされた上杉憲正を助けて北条と衝突したり、自分や家臣のためにではなく、他領の弱者を助けるために無駄な合戦ばかりして、政治家としては失格だという批判です。

 ところが、新田次郎が実際に息子にほどこしていた教育は、武田信玄ではなく、まったく上杉謙信的な教育だったわけです。これは、私にとってちょっと面白い事実でした。ちなみに、私は武田信玄よりも上杉謙信の方が好きなのですが。

 新田次郎は、自分の性格が上杉謙信的なので、逆に自分にないものを持っている武田信玄に憧れていたのかも知れません。頭で武田信玄のようにあるべきだと思っても、息子への教育は上杉謙信的にやってしまっていたわけです。まさに藤原正彦氏のいうように、ものごと論理的には説明できないわけですね。
  

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