代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸 第10回「妙手」感想

2016年03月14日 | 真田戦記 その深層
☆真田信伊の親孝行シーン

 冒頭、徳川家康・本多正信と真田信伊・信幸のあいだの沼田領問題をめぐる、息詰まる駆け引きが展開されました。じつに見応えがあります。

 その中でジーンとなったのが、浜松城でおばば様と再会した真田信伊がおばば様の肩をもむシーン。ああ、血も涙もないようなことばかりしている信伊も、ちゃんと人の子だったんだ・・・と(笑)。この母子のシーン、感動的でした。
 家康も策士でした。沼田城問題で何とか真田を妥協させたい家康は、木曽義昌から譲り受けた人質の中に昌幸の母がいるのを知って、それをうまく交渉材料として使うわけです。
 これ、史実とはどの程度整合性があるのかわかりませんが、脚本うまいですね。本当にそうなのかも知れません。
 しかも、徹底的に腹黒く描かれている昌幸と信伊兄弟が、母親への愛情から、沼田城を手放すのも仕方ないかと思ってしまうのですから、ますます憎い演出というか、脚本の腕が冴えわたっていました。
 また信伊役の栗原英雄さん、これがドラマ初出演なのだそうですが、すばらしい演技だと思います。
 
 ドラマの中で徳川家康は、真田信伊の才能を知って、「わしの家臣にできんかのぉ~」と信伊を「調略」しようと思い立ったようでした。今後のドラマの展開の伏線ですね。
 史実では、信伊はこの後、昌幸のもとを離れ徳川家に仕えます(あ、ネタバレかも、すいません💦)。
 しかし、三谷さんの脚本ですから、史料を額面通りに受け取ってそのまま描くことはないでしょう。あの信伊が、家康に心酔して素直に仕えるなんて想像できない! 果たしてドラマでは、どのようなひねりを入れてくるのでしょうか? 徳川家中に入った信伊が、その後、どのような腹黒い策謀をさく裂させるのか、今後の展開が楽しみです。

 このドラマ、目下、大名と武将同士(※上杉景勝を除く)の、生き残りをかけた熾烈な駆け引き、キツネとタヌキの化かし合いが、もっとも面白い見どころとなっています。
 ドラマで展開される大名同士の駆け引きの背後で、脚本家と視聴者の駆け引きも繰り広げられているのかも。
 史実に詳しい人が見ても、「そこをそう描くのか~」と、史料の行間にびっくりするようなエピソードをぶち込んでくるので、話の展開が読めなくて、毎回、ハラハラしてしまうからです。あまりにも史実を曲げるような脚色だと、視聴者からブーイングがくるでしょうが、今のところ、そういうことはありません。

☆大人気の景勝・兼続主従

 今回の最大の目玉となる脚色は、真田源次郎が、上杉景勝と直江兼続と示し合わせた上で、真田が上杉の虚空蔵山城を攻めてそれが失敗したような戦芝居をし、上杉がこの勢いに乗って上野にも攻めてくるというニセ情報を流し、北条を沼田から撤退させるというものでした。「うーん、そうきたか~」と、ここも脚本の手腕に脱帽です。

 史実では、真田軍が虚空蔵山城を攻めたのが、天正11(1583)年3月で、沼田城を攻めていた北条軍が撤退したのは同年2月上旬とのことです(笹本正治『真田三代』など)。
 北条軍の撤退は虚空蔵山城攻めの前のようなので、この二つの戦が連動しているということは実際にはないと思います。しかし、この脚色によって、上杉景勝や直江兼続の人柄も描きこみ、それでドラマは間違いなく面白くなっていますので、全く問題ないと思います。

 上杉景勝のあの涙には、視聴者でジーンとなった方は多いのでは。直江兼続も源次郎を「斬って捨てよ」と口では言いながら、景勝がそれを止めるのを見越した上での発言で、源次郎を試している様子でした。

 内野家康に萌えている女性視聴者が多いようですが、今回のシーンで遠藤景勝と村上兼続に萌えた女性陣は多かったことでしょう。

 この上杉景勝と直江兼続が、関ケ原の折には源次郎とどのように共闘するのか、そして敵味方に分かれる大坂の陣では源次郎とどのような再会を果たすのか、今後の大いなる見どころだと思います。

 上杉=直江主従の描き方、脇役であるにも関わらず、主役であった「天地人」を超えてしまったのではないかと・・・。上杉ファンの皆さまも、これで天地人のうっぷんを晴らせるのではないかと思います。


☆沼田城最強説

 今回、沼田領をめぐる真田vs北条の宿命の対決の第一ラウンドが描かれました。
 前回の第9回ではスルーされていましたが、前回描かれた時間軸の設定の中(天正10年(1582年)10月)、真田が北条と手切れをして北条の補給網を寸断する戦いをしている背後でも、北条は5000の兵を割いて沼田城を攻撃し、わずか500の守備兵に撃退されています。前回、矢沢頼綱は昌幸といっしょに北条の補給網を断つ戦いに参加しているように描かれていましたが、実際にはあの時、矢沢頼綱は沼田城にいて北条と戦っているはずです。
 
 今回のは天正11年1月から2月にかけての戦いで、このときは北条氏政・氏直自らが、沼田城からほど近い白井城まで在陣していたそうです。(平山優『大いなる謎真田一族』)

 日本の城郭で、もっとも輝かしい戦歴をもっている城は何でしょうか? 籠城側が攻城側を撃退した数と勝率という点で、日本最強の城は何なのでしょうか? 私はひそかに沼田城ではないかと思っているのですが、実際のところどうなのだろう。そういうランキングって見たことないのですが、千田嘉博先生あたりに聞いてみたいところです。真田の持ち城、武田信玄が生涯最大の大敗を喫した砥石城、徳川の大軍が二回負けた上田城といずれの城の戦歴もすごいのですが、北条の大軍を撃退し続けた沼田城の戦歴はそれよりすごいように思えます。

 以下のサイトには、矢沢頼綱が北条の大軍を撃退した主な戦い3回が紹介されています。最初が攻城側5000対籠城側500(兵力差10倍)、二回目が3万対1000(兵力差30倍)、三回目は何と7万対2000(兵力差35倍!)となっています。その都度撃退。本当なのか?と、にわかには信じがたいくらいの数字です。

http://www.sengokudama.com/roujyou/roujou.vol7.html

 今回描かれた戦いは、この主な三回の中には含まれていないマイナーなものです。いったい北条軍は沼田城を何回攻めて、何回撃退されているのか、よく分からないくらい。天正10年から天正15年にかけて沼田城は常時戦闘中であったといって過言ではないくらい。しかも矢沢頼綱一人に、北条の大軍がその都度翻弄されているのです。沼田市は、沼田城最強説を押していってよいように思えます。


☆虚空蔵山城について
  
 真田の虚空蔵山城攻めは、上杉方が防衛に成功していますが、かなり激しい戦だったようで、実際には上杉方の戦死者も多数出ているようです。この戦いで戦死した駒沢主税助の忠功を賞した上杉景勝の手紙などが残っています。

 虚空蔵山城は以下の写真のような城です。標高1067mの虚空蔵山の山頂に築かれた城で、もともとは上杉の城ではなく、村上義清が武田晴信の襲来に備えて整備した、地元では「村上連珠砦群」と呼ばれる山城ネットワークの一環です。
 
    虚空蔵山城


出所:「上田小県の城」より http://yamajiro.sengoku-jidai.com/yamajiro-list/index.html

 この画像、武田家臣の板垣信方(板垣退助の先祖)や甘利虎奏(渦中の甘利明さんのご先祖)が戦死した上田原古戦場の方向から撮影されています。
 すごく多くの山城がありますが、すべて村上義清が武田対策として築いたものです。村上方の城塞群が「鶴翼の陣」のように武田軍を包みこんで包囲していたわけです。いつかNHKのBSの「英雄たちの選択」で、武田vs上杉の川中島周辺が日本有数の城郭密集地帯と紹介されていましたが、武田vs村上の上田原周辺は川中島以上の城郭密集地帯ではないかと思います。ちゃんと計算したことはありませんが。誰か研究してくれないかな・・・。

 ちなみに、私は、天正11年に真田軍が攻撃した上杉方の城というのは、標高1067mの虚空蔵山城ではなく、画像の左端の和合城のことではないかなあと思っています。入り口にあたる和合城を落とせば、その上方にある他の城には兵糧も運べなくなって、維持できなくなるからです。山頂の虚空蔵山城というは上田城の築城を監視する物見としての意味はあったのでしょうが、軍事的にそれほど意味があったとは思えません。

 ちなみに、後年の関ケ原の合戦のときも、徳川方の森忠政(森長可の弟)が上田城包囲軍の中にあって、虚空蔵山城を占拠し、真田軍と対峙しています。真田vs森で再度、虚空蔵山城の攻防戦が繰り広げられるのです。このとき森軍が占領した虚空蔵山城も和合城のことのように思えてなりません。
 
 ついでにもう一つ。虚空蔵山から太郎山にかけては、「逆さ霧」という上田名物の気象現象が現れることでもよく知られています。北西からの湿った風が屏風のように連なる虚空蔵山と太郎山に当たって霧になり、上田市側に滝のようになって流れ下るのです。

 youtubeに動画があったのでシェアさせていただきます。私は小さい頃からこの景色を見慣れてきて、どこにでもありそうな気象現象なんだろう、くらいに思っていったのですが、他の地域でもあちこち住んでみた人生経験を通して、ここにしかない珍しい気象現象であるということに納得しました。動画を見ていただければわかると思います。大変に神秘的な光景です。

 この霧の向こう側に虚空山城もあります。真田昌幸も源三郎・源次郎兄弟もこの霧を眺めていたはずです。ちなみに、この霧が発生すると、上田城を監視していた上杉兵も、まったく上田城が見えなくなってしまったはずです(苦笑)。


太郎山の逆さ霧(インターバル撮影)高画質バージョン



<追記(3月15日)>
 上に書いた記事、誤りがありました。第10回で描かれた沼田城攻防戦は天正11年(1583)の1月から2月にかけての戦いだと思っていました。NHKの真田丸の公式サイトを見たら、第10回で描かれた戦いは天正11年の7月~9月の戦いのことだったそうです。
 2月に北条軍は厩橋城攻めに失敗していちど撤退した後、ふたたび7月頃から沼田城を攻めを再開しているのですね。 そうすると3月の虚空蔵山城の戦いの後のことになりますので、時系列的な矛盾はありませんでした。この点、誤りでした。すいません。
 この時期の沼田城は年中臨戦態勢だったわけですね。このときは矢沢頼綱のみが真田本家とは別に単独で上杉景勝の傘下に入って沼田城の防衛に成功したそうです。上杉頼みで北条を撤退させたという点、史実もドラマの設定と近かったわけです。詳しくはNHKの公式サイトで。

http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/special/subject/subject09.html
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