代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

赤松小三郎の遺品を上田市立博物館に寄託してきました

2019年11月03日 | 赤松小三郎
 昨日、上田市立博物館に赴き、赤松小三郎の遺品などを寄託してまいりました。小三郎所有と伝わる英国制のエンフィールド銃、八分儀、海軍弾薬箱の三点です。
 これらの遺品は、もともと上田のコレクターの方が赤松家から買い取って所有しておられていましたが、県外のコレクターの手に渡っておりました。この度、私も含めた赤松小三郎研究会の有志で資金を出し合って三度にわたって買い取り、上田市立博物館に寄託してまいりました。
 早ければ年明けの1~2月ごろから博物館に展示される予定です。


★今回寄託した三点セット


 
★エンフィールド銃の銃身に刻まれた「赤松」のネーム


 
★八分儀のケースには「宇宙堂」のラベル


 八分儀は英国制です。「宇宙堂」というラベルが貼られています。「宇宙堂」は、赤松小三郎の師匠の数学者の内田弥太郎の号です。内田弥太郎の塾は「瑪得瑪弟加(マテマテカ)塾」という名前でした。おそらく塾の備品として使われており、そのため「宇宙堂」のラベルが貼ってあったのではないかと推測されます。八分儀は、航海の際に星を観測して緯度・経度を測定する機器です。内田塾にあったものを小三郎がもらい受けたのかも知れません。詳細は不明です。

 もし内田弥太郎の研究をしている方がこの記事を見て、内田塾にあったその他の備品にも同様なラベルが貼られていることなどを御存知でしたら、是非ご一報くださると幸いに存じます。同じラベルが他にもあれば、「マテマテカ塾」関係の備品と立証できると思います。
 もっとも、小三郎が内田塾で学んでいたのはペリー来航以前ですので、その当時から内田塾に英国制の八分儀があったとは思えません。もしかしたら小三郎が長崎海軍伝習所にいたときに入手し、内田塾に送ったものかも知れません。今後の研究課題です。

★海軍局の背負い弾薬箱


 最後に「海軍兵器局一九二号」と書かれた背負い弾薬箱です。木製で、リュックのように背負えます。内陸藩の上田になぜ「海軍兵器局」と書かれた弾薬箱があったのか、謎が多い品です。
 私は、おそらく長崎の海軍伝習所で使っていたものを、海軍伝習所が閉鎖になった際、伝習所に最後まで残っていた小三郎がもらい受けて上田に持ち帰ったのではないかと推測しています。これも全国の皆さまに呼び掛けたいのです。もし長崎海軍伝習所(ないし幕府海軍?)の備品として同様なものがあるのを御存知な方がおりましたら、ぜひご一報くださりたく存じます。これも今後の研究課題です。


 
 中日新聞の長野版が、10月31日に記事にしてくださいました。紹介します。

 

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