代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

自民党改憲案は長州憲法草案

2016年05月02日 | 長州史観から日本を取り戻す
 明日は憲法記念日。日本国憲法が69歳の誕生日を迎える。このままいけば、70歳の誕生日は同時に命日にもなりそうな気配がただよう。
 
 69年前の当時、安倍首相の祖父の岸信介元首相は、A級戦犯として巣鴨監獄の獄中にあり、現行憲法が歓迎されている世間の空気を感じることもできないまま、「押し付け憲法」によって国体が汚されたと憤りを覚えたていたことであろう。岸氏は釈放後のその後の人生の中で、自主憲法制定を悲願とするようになった。
 それほどまでに「日本を取り戻したい(=戦前の美しい日本に回帰したい)」のであれば、彼本人がCIAのエージェントになったこと自体、「美しい日本」に対する最大の売国・背信行為だと思うのだが、岸氏の中にあっては、それとこれとは別のようであった。何とも便利な思考回路である。

 岸信介元首相の志を受け継ぎ、自民党が「改正」しようとしている憲法草案は「自主憲法」と言えるのだろうか? 自民党改憲案は、日本の伝統にそった自主憲法などではない。人命など露ほどにも思っていない、政治的目的を遂げるためには粛清・暗殺も平気だった長州テロリストの末裔が生んだ「長州憲法草案」と言うべきだ。

 自民党の「日本国憲法改正案Q&A 増補版」には、「国民の権利及び義務」として以下のように書かれている。

現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました

 
 この言葉に、私は戦慄を覚え、背筋が凍りつく思いである。日本の伝統の中には基本的人権などないと言いたいようである。彼・彼女らには、まず日本史を勉強せよと言いたい。
 
 百歩譲っても、天賦人権を否定し、人間が個人として尊重されることを否定し、国民を国家共同体の歯車にしようという発想は、長州ローカルな伝統的価値観であろう。政治的な目的を達するために、人の命など露ほどにも思わず、粛清・暗殺・テロなどありとあらゆる卑劣な手段を講じ、全員玉砕するのも可なりというのは、吉田松陰以来の長州系政治運動の典型的な発想である。神国思想にかぶれた幕末長州の発想であって、決して日本の伝統などではない。

 日本国憲法の前文では「人類普遍の原理」という言葉を用いて、日本国憲法が奉じる価値を表現している。安倍首相は、これこそ日本的価値を否定する「GHQの押し付け」と考えるのだろう。その歴史観が根本的に誤りなのだ。

 日本国憲法と同じ「人類普遍」というニュアンスの表現は、江戸時代末期に立憲主義を唱えた、赤松小三郎も、坂本龍馬も、後藤象二郎も小松帯刀も用いている。戦後の「GHQの押し付け」どころか、長州過激派を除けば、道理をわきまえた日本人たちが幕末から自ら考え、提案していたことなのだ。

 赤松小三郎は島津久光への建白書で、「『万国普通公平の御国律』の制定を『懇願奉る』と記している。「万国普通公平の御国律」とは「人類普遍の共通の価値観に立脚した憲法」という意味である。
 
 坂本龍馬が憲法のことを「無窮ノ大典」と表記していることはよく知られているであろう。「無窮の大典」とは「国の一切かっさいの大本になる根本法」のようなニュアンスであろうが、じつに含蓄のある言葉だと思う。「無窮の大典」とは閣議決定で軽々しく解釈が変えられるようなものではないのだ。

 薩摩の小松帯刀らと土佐の後藤象二郎らが近代的な立憲議会政治の構築について合意した薩土盟約書には以下のような文章がある。

 「宜しくその弊風を一新改革して、地球上に愧(は)じざるの国本を建てん」

 「地球上にはじざる国本」とは、まさに「人類普遍の原理に立脚する憲法」を立てることを指している。

 「幕末」と呼ばれる時代に、立憲主義と議会制民主主義に向かう政治的な流れがあったのであり、それを断ち切ったのが、安倍首相の尊敬する長州「志士」たちが成し遂げた「明治維新」という名の反革命だったのだ。

 安倍首相の大先輩であるところの長州志士と、薩摩志士たちが、日本にとってかけがえのない人々を暗殺し、テロとクーデターによって権力を奪取することがなければ、明治の最初の段階で、「人類普遍の原理」に立脚する近代的な立憲主義が確立していたはずであったのだ。

 長州の伊藤博文は、民権派の提起した私擬憲法案を一顧だにせず、それどころか国民が私擬憲法案を作成・検討することを禁じた上で、密室で憲法案を作成し「欽定」として押し付けた。自民党改憲案がそうであるように、下からの自発的な討議もないまま権力者たちが密室で決め、上から降ってくる改憲案こそ、明治の欽定憲法のごとくであり、押し付け以外の何物でもない。

 「日本の価値観(=長州ローカルのカルト思想)」を奉じて、「人類普遍の原理」を否定した伊藤が、外交面では、覇権国イギリスの言いなりであったというあたりも、岸信介や安倍晋三と通じるものがある。彼ら覇権国の傀儡政治家たちに、「日本の伝統」など語る資格はない。
 
 再来年には明治維新150周年を迎える。安倍晋三首相は2015年8月12日の、山口市での講演において、「初代は伊藤博文、明治維新50年は寺内正毅、同100年は佐藤栄作」と「維新」からの節目では長州人が首相になったことをあげ、明治維新150周年も長州出身の自分が首相でいることに意欲を示した。

 安倍首相の中では、改憲も、明治維新150周年記念行事としての、日本の長州化計画の一環なのだろう。

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7 コメント

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Wikipediaの受け売りをもとにて、恐縮ながら憲法記念日を祝って。アベ「長州」のルーツについて。 (薩長公英陰謀論者)
2016-05-03 14:35:03

 タイトルそのままのにわか仕立ての投稿をご容赦ください。

 マッカーサーのもとの General Headquarters(GHQ) には、軍事部門である参謀部(General Staff Section)と、これに対して言わば「民事」部門である幕僚部(Special Staff Section)とがあり、参謀部のなかで情報(諜報謀略)を担当する「参謀第2部(G-2)」と、幕僚部のなかで国内統治の民主化を担当する「民政局(Government Section)」とが激しく対立していました。

 「日本国憲法を押しつけたGHQ」と言われるのは「民政局」のことです。民政局は、軍閥・財閥の解体と現在の「日本会議」のような軍国主義集団の解散、それから現在のアベイズム(仮称:軍国主義的新自由主義、やがて新自由主義的軍国主義に変貌すると)のような軍国主義思想の破壊を任務としていました。これは連合国軍の日本占領の目的及び大義名分そのものであったわけですが。

 これに対して、対ソ反共謀略に従事する参謀部「参謀第2部」を率いたのはチャールズ・アンドリュー・ウィロビー少将でした。彼はアメリカ人を母としてドイツで生まれ、渡米後に米国に帰化、反共主義者として知られ「赤狩りのウイロビー」と呼ばれたとか。ドイツ時代の旧名「アドルフ」からアドルフ・ヒトラーとナチスに親近感を持ち、「アメリカの小ヒトラー」とか「占領軍のジョー・マッカーシー」とあだ名され、マッカーサーは時折冗談で「わが愛するファシスト」と呼ばれたという人物です。

 大戦中ウィロビーはマッカーサーの情報将校として日本兵捕虜の尋問を担当し、日系米人や住民を利用した諜報活動によって日本軍の動きをことごとく把握して対日戦闘に大きな役割を果たしました。

 日本占領後、「参謀第2部」部長となったウィロビー少将は「民政局」を敵視、民政局がすすめた民主化政策とくに、投獄されていた共産党政治犯の釈放、労働組合運動の奨励、治安維持法の廃止による特高警察の解体、内務省の解散に強く反対しました。なお旧「内務省」は「官僚支配の総本山」と言われ、地方行政と公共土木工事とならんで警察と国家神道を統括していたところです。
 彼は「大衆的集団的不法行為の取締り」を名目に公安警察を組織し、警察の国家警察としての統合に成功しました。彼は極東国際軍事裁判(「東京裁判」)を嫌い、A級戦犯容疑者22名の釈放を要求して成功しています。

 ウィロビー少将は、CIA設立に関与したのち退役、スペインに渡って、独裁者フランシスコ・フランコの私的アドバイザーになりました。

 GHQ「民政局」に、理想に燃えるニューディラーたちが送り込まれることになったのは「ニュー・ディール連合」にささえられた、また車いすを隠したとおした小児麻痺の偉大な大統領、フランクリン・ルーズベルトが準備した戦後政策によってであると思います。

 しかし、ルーズベルトの執務中の急死によって大統領を継いだ、あのスターリンから(さえ)粗野なオトコだと思われたという、小心冷血反共原爆投下の小人物トルーマンによって世界は急転します。むろん、対日政策も。そして、日本を「反共の砦」として再軍備させようと考えていた「参謀第2部」が猛威を振るう中で「民政局」は急速に力を失ってゆきます。

 ともあれ、幣原内閣が取りまとめた憲法改正案があまりに「大日本帝国憲法」そっくりさんであったことから、GHQ民政局が明治期の「私擬憲法」を含めての検討をもとにまとめた案が日本で初の男女平等の選挙によって選ばれた議員による国会で審議修正されることになったこと。また、山田耕筰に招聘されて日本に移った「リストの再来」と言われた父のもとに幼いころから長く日本で過ごしたベアテ・シロタ・ゴードンという22歳の女性が日本語力によって民政局に採用されて憲法案作成に加わり、米国憲法にはない女性の権利と社会保障の規定を盛り込もうと頑張ったこと。日本国憲法の人権規定は、現米国憲法よりはるかに進んだものであること。ご存じの方は少なくないと思います。

 「参謀第2部」とそれに列なる人びとが朝鮮戦争以降の日本列島を「反共の砦」化し、「不沈空母」化し、放射能まみれにしようとするなかで、日本国憲法がすくなくとも文言上一言一句変えられることなく存在し続けてきたのは「GHQ(民政局)の押しつけ」によるものではなく、日本の多数の国民の支持と世界的な先進性によるものであることを、この「参謀第2部の反共謀略の民政局ニューディール主義に対する完膚なき勝利」がじつは逆から証明していると思います。

 「GHQ」押しつけ憲法反対と叫び、大日本帝国憲法そっくりさんを再びかつぎ上げている人たちが、じつは「GHQ参謀第2部」ウィロビー少将すみからすみまでそっくりさんであることは銘記さるべきであると思います。彼らの決定的な特徴である、CIAとの靱帯、大日本帝国美化回帰、、普遍的人権思想への激しい憎悪、世界的先進性への無関心とローカルな優位性に溺れる優生思想、ファシズムへの衝動は、ウィロビーという人物と彼が日本でつくりあげた謀略統治支配のための人脈によって矛盾なく完璧に説明がつきます。

 「現在の長州のルーツ」はウィロビーです。ウィロビーがそれとしらず復活させたものが長州なのだと思います。「あべこべ」は「彼方此方(あちら・こちら)」と書くそうです。彼方から来たゾンビ・アベ長州彼方を彼方に!
コメントありがとうございました (関)
2016-05-03 23:25:06
薩長公英陰謀論者さま

 コメントありがとうございました。これからも、公開コメントをたくさん下さるようお願いいたします。

>幣原内閣が取りまとめた憲法改正案があまりに「大日本帝国憲法」そっくりさんであったことから

 「たら、れば」になりますが、ウィロビーがいなかったら・・・・と思いますね。
 国交省なんて、体質的に戦前の内務省そのままですから。海を越えて、出自は違っても、ウィロビーと岸信介は思想的に共鳴しあうものがあったのでしょう。

本日、報道ステーションをたまたま見ていたら、憲法9条の発案は幣原喜重郎本人という説が紹介されました。9条に関する通説は改定される必要があるかも知れません。今月号の『世界』でも、堀尾輝久氏の「憲法9条と幣原喜重郎」という論文で、9条を発案したのは幣原本人という最新の研究結果が紹介されています。

 
関さん、深更のコメント・バックと意味深いご示唆をいただきまことにありがとうございます。 (薩長公英陰謀論者)
2016-05-04 14:40:03

 関良基さま:

 関さん、さまざまなご負担が重なるなかで、変わらぬ闊達な思考と達意の文によって本ウェブログをキープされておられること、心から敬意を表します。また、的はずれで独りよがりの投稿を寛容にお許しいただき、感謝しております。

 はい、ウィロビーがマッカーサーの情報将校として日本に赴任して来たことはまことに歴史の偶然と言いますか、必然と言いますか、・・・あの「長州軍部(@関さん)」が破滅退場したあと、交替したのが長州そっくりさんのネオコン・ファッショ・ジャパンハンドラーの元祖であったとは、まことに明治維新は150年の禍根を生んだ歴史的犯罪であると思います。

 関さんが重視なさっているように多くの人びとがそれに気づくときが、・・・必ず来ると思います。そういえば「明治維新近代化」信仰に対するクールなスタンスが散見されるようになったと感じます。ただし、徳川時代を見る目がまだいかにもの蔑視偏見と予断を前提とするものであると・・・

 京都市が「明治維新=王政復古」ではなく、「大政奉還150年」を謳い、さらにその上に、このプロジェクトをリードなさる青山忠正先生が赤松小三郎をいの一番に(「あいうえお」順をとることによって)取りあげられたことは、じつに深い意義・含意を持つと思います(クリオが微笑みかけているのかも)。関さん、このことをさっそくご紹介いただきありがとうございました。

       ☆☆☆

 さて、憲法記念日にと、考えました切り口に関連して「幣原喜重郎による憲法9条提案」について注意を喚起していただき、「そういえば、ありていに言って<戦争放棄>は<天皇制維持>とセットだった」と、はるか昔に憲法の授業で聞いたようなことを思い出し、そのような言及のあった雨宮昭一氏の『占領と改革』(岩波新書、シリーズ日本近現代史<7>、2008年)を急いで見返しました。

 なお「押しつけ憲法」論にねばり強く反論なさっておられる尊敬すべき堀尾輝久先生の、雑誌『世界』2016年5月号寄稿論文に牽かれている「高柳マッカーサー往復書簡」を確認いたしました。なるほど・・・

 前掲の雨宮昭一氏著によれば、昭和天皇は敗戦時、木戸内大臣に退位について言及し、講和条約締結寺に皇祖皇宗と国民に謝罪し退位することで両人の合意ができていたそうです(前掲書;p46)。
 マッカーサーとの直接のコンタクトによって、これを覆したのは近衛元首相と、ひきつづいて、幣原首相でした。近衛や幣原が代表する日本のエスタブリッシュメントにとっては、明治維新以来、天皇制と資本の私的所有による「資本主義的」ガバナンスというのはまさに同義であり、彼らのアタマの中では天皇の退位は日本の「赤化=社会主義化」と直結したわけです。

 マッカーサーは、東西に二分され、あらたな緊張をはらみつつある世界の中で日本を「自由主義陣営」にとどめておくためには、天皇を利用することがきわめて効果的であることを了解しました(マッカーサーに最も近いブレーン、民生局長ホイットニーの助言によるのではないかと思います)。

 さらに言えば、総力戦終了後もなお戦時体制を解かず、戦争需要を必要とした軍産複合体に応えるために、ありうる対ソ戦にそなえて日本を迅速完璧にキープし安定させなければならず、そのためのツールとして昭和天皇を握ることが重要であると考えたのであろうと思います。

 ただし、問題は連合国に加わった日露戦争以来の大日本帝国敵視のソ連と、軍事帝国日本によって脅かされた記憶の生々しいオーストラリアをはじめとする、日本の天皇制に対する「国際的な批判」でした。マッカーサー(GHQ民政局)は、国際的な非難と危惧の中から天皇を救い出すためには、天皇を象徴とするだけでは足りず、敗戦国の武装解除の法的表現として戦争を放棄させるしかない、日本本土の防衛(=日本の対ソ戦拠点化)には、沖縄の占領を固定化して全島米軍の基地とすることがより適切である、と考えたわけです(前掲書;p84を敷衍)。

 そしてご推察のように、マッカーサーは幣原が戦争放棄を主張したと、その後一貫して言うことになります。前掲書p84によれば、幣原首相は側近の大平枢密顧問官に「ソ連や豪州が日本を恐れており、天皇制を廃止する意見も出ているらしい。天皇制維持のためには、憲法原案を呑んで、天皇をシンボルにすること、戦争放棄に同意することである」とマッカーサーとの会見後に述べ、「戦争放棄はわしから望んだことにしよう・・・」とポツンと言ったそうです。

      ☆☆☆

 「憲法押しつけ否定論」をかき混ぜてしまい申しわけありません。内心忸怩たる思いです。しかし、バーニー・サンダース候補が演説会場に空から舞い降り、演壇に飛びあがってしばらく彼の目の前にとまっていた小鳥を見送ったあと「これはシンボリックなことです。鳥も平和を望んでいる。ノー・モア・ウォー 」と述べたときにどよめきが長く轟いたように、戦争に倦み疲れた傷ついた当時の圧倒的多数の国民が戦争放棄を支持したことは間違いのないことでしょう。

 その誕生の経緯如何にかかわらず、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが言うように「憲法9条は戦争が生んだ真珠」です。世界史における宝です。

 しかし・・戦争否定の憲法9条が昭和天皇を救い出したという事実に対して、現在のアベ長州クランはいったい何をやっているのか、まさに「朝敵」ではありませんか。改憲反対デモに錦の御旗を、とまでは言いませんけれど。・・・どうもこちらまで支離滅裂になってきます。

 なお、幣原内閣のもとの松本委員会憲法改正案を、大日本帝国憲法と大差ないと切りすてたのは、ソ連とオーストラリアからの厳しい目を意識したGHQ民生局長ホイットニーであり、この松本案自体は天皇の無制限大権を否定し法律の制約の下に置くという、大正デモクラシーの影響を受けた、当時精一杯のものであり「帝国憲法そっくりさん」と言うのはお気の毒であったことを松本蒸治国務相の名誉のために申し添えます(前掲書;p71~72参照)。
すみません、力尽きて据わりのわるいままに焦って先の投稿を。どうかつづけさせてください。 (薩長公英陰謀論者)
2016-05-05 16:51:53

 関さんのご覧になった、憲法記念日の「報道ステーション」を you tube で視聴いたしました。木村草太先生にすっかり先を越されていたことを(当たり前ですけれど)やはりさすがと思いつつ、憲法記念日翌日にと焦りました先の投稿に急いで少し追加をさせてください。

 「報道ステーション」で木村草太先生が、(憲法学的には)「憲法9条の戦争放棄は幣原喜重郎首相が(日本政府を代表して)提案したものである」とするのは日米双方の公的なスタンスであり、これは当然ながら憲法9条を国際的に(外交において)適用するにあたっての大前提となるものである、ということを言っておられたと思います。たどることもできなくなった記憶で、たしか憲法の授業でそのように聞きました。

 それに至るまでの日米における各々の背景と経緯は措き、幣原首相とマッカーサー連合国軍最高司令官との正式協議において、天皇制の存続(天皇の戦犯訴追の免除)と日本の戦争放棄が決定され、とくに戦争放棄について、これは日本側の意思・提案によるものであるするとの合意がなされたわけです。
 つまり木村草太先生が言われるように「戦争放棄の提案者としての責任を(国内的に、かつ国際的に)負う」という日本政府の意思が明確にされたわけです。

 以降、幣原側、マッカーサー側において、繰り返してこの旨が明言されてきたわけです。
 これがなぜか「憲法9条(戦争放棄)はマッカーサーGHQの押しつけ」と、いつのまにか通念化されてしまっていた、ということこそがむしろ問題であると思います。

 憲法9条は現実にあわない理想論にすぎないということがオジサンたちが自明とする議論であることは存じております。
 しかし、世界の歴史のなかで国のあり方と国際関係において「理想を捨てないこと」がさまざまなかたちで存在してきており「いまの現実を見て理想を捨ててしまうというのはあまりにもったいない」と、その「報道ステーション」での発言の最後に木村草太先生が控えめに言われたことがきわめて強く印象にのこりました。

 ちなみに「憲法とは国の未来、理想を語るものです」という、おそらく怜悧な憲法学者には向かない堂々たる宣言は、この番組のはじめの方で紹介された「改憲集会」への安倍首相のメッセージの冒頭の言葉でした。

 軍民あわせて数千万人という膨大な犠牲を払ってナチスを降伏させたソ連と、フィリピンから敗走したマッカーサーを受け入れ反攻を可能としたオーストラリアが含まれる「連合国軍極東委員会」が、米国内はもとより国際的な世論の動きを背景にして、天皇の戦犯訴追を取りあげることは火を見るように明らかでした。

 その前に象徴天皇と武装放棄を謳う憲法制定の道筋をと焦るGHQと、天皇制が失われると日本が「赤化」すると恐怖する日本のエスタブリッシュメントの焦りとが交差したところに、第一次世界大戦の余燼の中で生まれた「パリ不戦条約」(1928年)がフェニックスのように舞い降り、戦争放棄の憲法9条が生まれたわけです。

 すなわち憲法9条は第二次世界大戦が人類にのこしたものであり、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの言葉どおり「戦争が(苦難と絶望のなかから)生んだ真珠」です。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 ・・・とある、この憲法9条の中の「前項の目的を達するため」という文言は、国会の憲法案審議においてつけ加えられたものです(雨宮昭一『占領と改革』岩波新書シリーズ日本近現代史<7>、2008年;p89)。
 この文言追加によって「個別的安全保障=個別自衛権」が9条解釈上(かろうじて)可能となったとされます。言うまでもなく「集団的自衛権」(他国との軍事同盟による対外参戦)は憲法9条を「真っ向から否定」するものです。

 ちなみに憲法第二十五条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という「生存権」の規定はGHQ案にはなかったもので、憲法審議国会において(ワイマール憲法を参考にして)起案されたものであるそうです。

 「すべて国民は、健康で文化的な、幸福でゆたかな生活を営む権利を有する」とすれば「国の未来、理想を語るもの」となるのでしょう。
知らないことは恥ではない (renqing)
2016-05-05 23:51:43
ブログ主様
大変ご無沙汰いたしております。

「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるもの」

なーるほど。P.M.Abeとその取り巻きは、《日本》フリークな割には、明治以前の日本文化の教養に欠落があるらしいですね。彼らにとって、《日本》=《明治の御代》という等式が成立してると推測されます。知らないことは恥ではないので、P.M.Abeとその取り巻きに、日本の偉人の言葉を示すことにします。

「ばんみんはことごとく天地の子なれば、われも人も人間のかたちあるほどのものは、みな兄弟なり」
中江藤樹『翁問答』(1640年) 
(源了圓『徳川思想小史』中公新書(1973) , p.49より孫引き)

よく「友愛」「博愛」と訳される、Fraternité(Liberté, Égalité, Fraternité)ですが、その原義は「兄弟愛」ですから、近江聖人はフランス革命より150年前に、子どもにもわかるように述べていたことになります。思想と言うと理屈っぽくなりますが、こういう感覚が、人権(human rights)の基本的な前提となるのだと思います。彼らの愛国主義の底の浅さは揶揄にも値しません。
皆さまありがとうございました (関)
2016-05-06 21:40:59
薩長公英陰謀論者さま

 9条を変える変えないは別として、また幣原喜重郎の意図がどうであれ、9条はたんに押し付けられたものではないという事実そのものが重要と思います。

 日本人の意志に反して米国に押し付けられたと言って反米姿勢を見せながら、その実、集団的自衛権などの米国の押し付けを無制限に受け入れていくという安倍政権の矛盾が浮き彫りになりますから・・・・・。

renqingさま

 こちらこそご無沙汰しておりました。
 さすが近江聖人・中江藤樹です。感激しました。勉強不足で、私も知らない言葉でした。
 生きとし生けるものを慈しむ思想は、まさに日本の伝統的価値観ですよね。
 
 あの方々が至高のごとく大切にする「明治日本の御代」って、日本の伝統からはずいぶんかけ離れた姿であるとしか思えません。
 明治日本って、西洋の野蛮な侵略主義の真似ばかりして、日本が本来持っていた大切な価値観はことごとく失っていった過程だったと思います。
 彼らの反西洋主義のスタンスもじつに怪しい。西洋崇拝の裏返しの虚勢にしか見えないです。
 揶揄するには値しませんが、彼らの思想がただただ恐ろしい・・・・。
 
Unknown (12434)
2016-06-18 19:47:30
宗教学者・島薗進×憲法学者・小林節 「靖国参拝を日本人なら当然の常識と考える『日本会議』には歴史の反省がない」
http://wpb.shueisha.co.jp/2016/06/18/66792/
週プレNEWS

確かに「日本会議」の思想を、日本の伝統だとは思いたくはないですね。

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