代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

フィリピン戦の話題抜きには暮らせなかった 

2016年01月27日 | 政治経済(国際)
私のフィリピン戦についての想いを若干、書いておきます。フィリピンの農山村で生活していると太平洋戦争の話題を抜きにすることなどできませんでした。私が研究活動をしていた1990年代後半には、戦時中の記憶を生々しくもったお年寄りたちが多くて、古老にインタビューをしていると「私は君のような若い世代は戦争に対する責任がないと分かっているからこうして平静にしていられるけど、君が戦争を経験した世代だったらどうしているか分からないよ」などと言われたこともありました。ある村人から「日本軍に雇われて木材伐採現場で働いていたら、木材運搬トラックをゲリラに襲撃された。乗っていた7人中5人が死んだ。私は幸運にも生き残った一人だった」という話しを聞きました。襲撃されて重傷を負った方のすぐ隣近所には、そのトラックを襲撃した抗日ゲリラに参加しておられた方もおりました。その抗日ゲリラだった方は、日本軍の製材工場を襲撃して炎上させたという話しも語ってくれました。抗日ゲリラに入っていた方は、襲撃されて重傷を負った方について、「昔の話だ。いまはあいつと友達だよ」とおっしゃっていました。一つの町の中で、隣近所同士でも、日本に協力するかゲリラに協力するかで、お互いに凄惨な殺し合いが展開されていたのです。 . . . 本文を読む
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