韓リフの過疎日記

経済学者田中秀臣のサブカルチャー、備忘録のための日記。韓リフとは「韓流好きなリフレ派」の略称。

橋幸夫の創造的破壊:『en-taxi』特集「歌謡曲の残影、いや、永遠」(小田嶋隆、栗原裕一郎他)

2012-04-28 11:57:02 | Weblog
 タイラー・コーエンの『創造的破壊』の主要テーゼは、「グローバル化が進展すると、異なる社会間の多様性は喪失するかもしれないが、同一社会内部の多様性は劇的に増加する」というものである。

 確かにグローバリゼーションに伴う文化的財の膨大な交換・生産・消費によって、異なる社会間の多様性はかなりの程度失われてしまう。グローバリゼーションを批判する論者の多くの根拠は、この異なる社会間の多様性の喪失を問題視したものである。しかし、コーエンは他方で猛烈な勢いで、社会内部の多様性が発展している現象に注目している。

 例えば、私たちは日本にいながらにして世界各国で生産された文化財(映画、音楽、ファッション、小説など)を消費可能である。インターネットの普及や様々な検索ソフト・翻訳ソフトの利用はこの現象を一気にすすめた。この「社会内部の多様性」が実現したことで、市場が拡大したことで、いままで注目されてこなかった文化的現象が成長する可能性さえある。

 コーエンはレゲエやボサノバなどを自分のテーゼを論証するワールドミュージックの代表例にして論じている。ところで日本の歌謡曲の歴史をみてみると、海外の音楽をとりいれて、その海外音楽の影響をそのまま日本の音楽が完全にコピーするわけでない。異なる社会間の文化の同一性の動きはあったとしても、完全な同一化が成立するほど単純なものではないだろう。


 例えば最新号の『en-taxi』特集「歌謡曲の残影、いや、永遠」では、小田嶋隆さん「橋幸夫という“ワールドミュージック”」と栗原裕一郎さんの「戦後歌謡とニュー・リズム」は、上記のコーエンの文化の創造的破壊の在り方を、日本の歌謡曲で考える上で非常に参考になった。

 小田嶋論説も栗原論説もともに、橋幸夫に重要な位置を与えていることが特徴だ。特に小田嶋論説は、橋幸夫が先のコーエン命題に豊かな実例を与えてくれる。

 小田嶋さんによれば、橋幸夫の歌謡曲は、日本語で歌われるすべてのうたを包摂する「事実上のワールドミュージック」である、としている。

「当時の日本の聴衆は、世界の音楽を、そのままのカタチで享受するほど成熟していなかった。業界も、ナマのワールド・ミュージックを輸入する経路を持っていなかった。だから、当時の作曲家は、世界の音楽を日本の現状に翻訳する江戸時代の蘭学者みたいな仕事をしていたのである。結果、昭和の歌謡曲は、世界の音楽市場を箱庭化したみたいな。不可思議な国際性を備えたサンプルミュージックを形成するに至る。橋幸夫は、そんな、歌謡曲が世界音楽の盆栽であった時代の、最後のスターだった」。

 この盆栽期間は、社会間の多様性が失われていく過程ではあるが、他方で、その社会の独自の文化財を生み出すことができる。それはコーエンのいう社会内部の多様性の芽生えを背景にしている。

 「「恋のメキシカン・ロック」は、いま聴くと、ラテンでもロックでもない。しかも。カルロス・サンタナより二年ほど早い。素晴らしい」

 ラテンやロックが日本の音楽市場に輸入される。これはコーエン命題の前半部分である社会間の多様性の喪失につながるかもしれない。他方で、橋幸夫の音楽がカルロス・サンタナ(ラテン・ロックの代表者)に先行し、独特の音楽を作り出した。これは社会内部の多様性の深まりとしてコーエン命題の後半を示す。

 栗原論説は、橋幸夫自体をとりあげたものではないが、日本の50年代終わりから60年代前半のニューリズムブーム(スクスク、マンボ、ツイストなど)を米国の文化の日本的受容ともからめて論じた他に例をみないオタクな(笑)、素晴らしい論説である。そこでも橋幸夫はツイスト(1961年頃話題)以降のニューリズムの担い手として注記している。

「ツイスト後も、スイム(橋幸夫「あの娘と僕」1965年)、アメリアッチ(橋幸夫「恋と涙の太陽」1966年)、メキシカンロック(橋幸夫「恋のメキシカン・ロック」1967年)」

 栗原さんによれば、このニューリズムのブームとその後の試行錯誤の継続の背景には、進駐軍クラブの存在がある。進駐軍クラブのホールでダンスする特権的な日本人たちがやがてその文化を多くの国民の場に「輸出」していく。そしてこの進駐軍クラブの「足かせ」が続く間、このニューリズムブームが持続したと、栗原さんは考えているようだ。つまり橋幸夫のニューリズム(小田嶋さんのいうところのワールドミュージック」の背景には、進駐軍のもってきた米国文化の創造的破壊があったということになる。

 橋幸夫の存在はすごく気になっていて、今年の成人の日の朝日新聞に、新成人にむけて尾崎豊をもってきて「説教」するというコラムがあった。正直、なんだ、これは? と思った。なぜなら新成人にとって尾崎豊は、自分たちが生まれたときに死んだ人であり、同時代人ではまったくないからだ。コラムを書いた人が、朝日新聞の読者に多い中高年向けに書いた自己満足でしかないと思った。例えば、僕の成人の日に橋幸夫の潮来笠(1960年なので1年ほど早いが)の事例で、渡世人の人生に思いを抱け、と社説に書いてあるようなものだだ、と思ったのである。そのときから橋幸夫が妙に気になっていた。

 小田嶋論説、栗原論説は、そういう変な?こだわりとは異なり、橋幸夫氏を戦後文化史ー日本歌謡曲のワールドミュージックの側面を考えるとき(つまり歌謡曲におけるコーエン命題の検証)に特別に参照になるものであった。

en-taxi

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