三鷹50年前 子供の頃

2017-07-28 22:13:28 | 昭和の思い出
今から50年前、子供の頃武蔵野市に住んでいました
母と買い物と言えば、三鷹か吉祥寺に行っていました。
母が自転車の二人乗りができないので、ぶらぶらと歩いて良く三鷹の街に行ったのも、昨日の事のようです

今はマンションになっている社宅から、玉川上水沿いではなく、中央線の線路沿いのコースで八丁の陸橋を渡り、住宅街や畑の中の道を通ると
バラ線に虫が付いていたり、クリーム色のお茶の花がとても美しかったです
もうすぐ三鷹駅に出る手前にうさぎという名前のケーキ屋さんがあって、憧れのお店でした。
何時になったらあのお店でケーキを買ってもらえるのか、ずっと待っていました

玉川上水が見えてくると、右手に不動産屋さん、踏切もあったと思うのですが
それからごきゅう書店、この書店の意味が子供ながら不思議でした

その頃の駅前通りは舗装されていなかったかも知れません、時々おじさんが地面に座って貝を売っていました
総武線で千葉方面から来ていたのでしょうか
メキシコというバー、田辺のお肉やさんの入ったマーケット、三鷹センター
三鷹センターの入口には、不二家があってお誕生日やひな祭りにはケーキを買ってもらうのですが
家族三人なのでホールがなかなか買ってもらえず寂しかったな
ホームメイドアイスクリームが不二家には売っていて、その名前の響きが外国風で新鮮でした
また食べ物の話ですが、三鷹センターにはジュースの販売機もあって、他の店とはちょっと変わっていてパインとコーヒーがありました
中村屋にはガラスの容器に入ったプリンがあり、盲腸の手術で入院した時だけ食べられた高級品でした
今プリンって言っても、そんなにワクワクしないでしょう、あの頃はワクワクする物があってホントに幸せだったと思います
地下の中華のお店には、ジャイアント馬場さんが来店して、こわごわ身に行ったり思い出はつきません
最近は見かけなくなったけど、街には瀬戸物屋さんあって、お皿とか床から積み上げてありましたよ
あとチンドン屋さんがいました、三鷹にも、時代劇町人風のチンドン屋さん

なんで今日このブログを書いているのか、考えて見たのですが
もうその時代を知っている人が私の周りから少なくなっているからかも知れません

でも母は90代ですが、昔の三鷹、吉祥寺の写真集とかを見せても、あまり興味はないみたいです
何故でしょう



























































































































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