弁理士『三色眼鏡』の 業務日誌     ~大海原編~

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【書評(19-11)】「采配」(落合博満)※再読

2019年05月06日 13時01分29秒 | 書評
こんにちは!
GW最終日、とのことですが、多少朝ゆっくりした他は平常運転でやっとります。

さてさて、書評。
といっても過去に読んだ本を改めて漁ってみた。思えばこの連休は何かしら答えを見つけるために書棚に向かうことが多かった。
そんな中で、燕党ですが落合信者なわたくしの根っこを為すような一冊を改めて。

…まあ、今の時代だからこそもっと声を大にして言ってもらいたいことが色々書いてある。
エピソードはもちろん野球にまつわる話だが、ビジネス、人間の成長といった場面にも大いに通じるエッセンスが詰まっている。

その中で紹介したいのが、
「自己成長に数値目標は無意味」という一節。
以下、一部端折りつつ。

落合ドラゴンズの春季キャンプでは長時間ノックが名物となっていたが、
決して強制的な練習ではなく、ノックを受けたいと思った選手がコーチに申告し、監督がノッカーに指名“される”。
だから、ノックの本数や時間も指示せず、ただ「これ以上続けたら身体が壊れてしまうと感じたら、グラブを外してグラウンドに置く」ということだけ約束していた。

…同じように、居残りの打撃練習にも「何時まで」というリミットを設けない。
監督やコーチが時間制限を設けなければ、選手は自分が納得するまでやり遂げる。
こういう気持ちで練習に取り組むことが自己成長を促し「自分の野球人生に自分で責任を持つ」という考え方を育んでいく、と。

…極論すれば、その時のオーバーワークが引き金となって選手が潰れてしまってもいいと考えている。「これ以上練習させたら壊れてしまう」と指導者が気を遣っても、一軍で活躍することができなければ、結果として壊れたのと一緒だろう。


野球の技術だけではなく、プロとしての気構えを身に付けるための「修行」なのだよな、と思う。
これは何もプロスポーツ選手に限った話ではない。何らかを生業としている以上、数値的なリミットを他人が押し付けることはナンセンスだ。
生憎世の中の流れはそうはなっていないし、修行の外観を呈した搾取や暴力もあちこちで見られるからこそ「働き方改革」だのなんだのヘンな話になってくる。

ついこの間こんなサイトで似たような趣旨のことを書いていたので、上記引用してみた。

こういうこと書くと「あの事務所ブラック…?」とか言われるかもしれないけど、
“いや経験積ませないで成長させない方がよっぽどブラックでしょ!?”と思う。
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