元々は、同じ向日山に鎮座する「向神社」(上ノ社)「火雷神社」(下ノ社)という別の神社だった。いずれも延喜式神名帳に現れる古社で、「火雷神社」については名神大社「乙訓坐火雷神社(乙訓神社)」の論社である(他の論社は長岡京市の角宮神社)。
向神社は御歳神(向日神)が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まるという。また火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山城国へ遷った際、当地に火雷神を祀ったことに始まると伝える。
火雷神社は養老2年(718年)の社殿新築にあたり玉依姫命と神武天皇を合祀したが、中世に至ると衰微、建治元年(1275年)には向神社が併祭することとなり、向日神社と社名を改めて今日に至っている。
御朱印
~~~~~~~~~
名神大社(285社):律令制下において、名神祭の対象となる神々(名神)を祀る神社
畿内(1/64)・東海道(0/39)・東山道(0/59)・北陸道(0/9)・
山陰道(2/27)・山陽道(0/15)・南海道(0/34)・西海道(0/38)
向神社は御歳神(向日神)が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まるという。また火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山城国へ遷った際、当地に火雷神を祀ったことに始まると伝える。
火雷神社は養老2年(718年)の社殿新築にあたり玉依姫命と神武天皇を合祀したが、中世に至ると衰微、建治元年(1275年)には向神社が併祭することとなり、向日神社と社名を改めて今日に至っている。
御朱印
~~~~~~~~~
名神大社(285社):律令制下において、名神祭の対象となる神々(名神)を祀る神社
畿内(1/64)・東海道(0/39)・東山道(0/59)・北陸道(0/9)・
山陰道(2/27)・山陽道(0/15)・南海道(0/34)・西海道(0/38)