インプロヴィゼーションの彼方に

人生ヨウスルニインプロヴィゼーション

伝達技術向上のための戒律的路上生活

2005-03-21 01:26:58 | 今日の出来事
昨日に引き続き本日も横浜駅でストリートギター。いつやれるかどうかわかんないからやれるときにやる。前まではほぼ週1~2ペースで半ば無理矢理、ディシプリンのように路上に繰り出していたのだ。

そもそも、音楽をするという行為に、聴衆の存在は大きいと私は考えている。
聴かれるか聴かれないかは別として、不特定多数の人前で楽器を演奏すること、すなわち聴衆の目が存在することによって、そこには一人のときにはない別物としての要素、例えば、演奏に対する不安や緊張、あるいは期待や喜び、その時々の高揚感等々の要素が内部に生まれる。これらの要素は、確実に一人で楽器を弾くときとは違う心的影響を、良くも悪くも演奏者に与える。と思う。

特にインプロヴィゼーションによる演奏には、これらにかなり大きな支配を受けてしまう気がする。弾く事決まってない真っ白の状態なわけで、しかしそれは全くの白紙というわけではなく、『曲』という建築物のおかげで自由をある程度までは拘束する制約装置も存在する中、演奏者は何を選択して音に現わせていくか、それは選択の自由とその与えられた喜ぶべき自由の中の無限の不安というアンビバレンスの中で、常に揺れ動く感情と格闘するということになるともいえるだろう。

どんな状況どんな場合でも、納得いく音が出せるよう、満足いく演奏ができるよう、不安や緊張をできるだけ期待や喜びに変換していく力というのが重要になってくるし、それはできるだけ人前で演奏する場数を踏み訓練次第できっと養えるはず、という目標の元、軽いディシプリンを自分に課すつもりで西暦2003年の10月あたりからよき後輩であり友達である、Trigger of insanityのギタリストあべゆうき君に無理強いして付き合わせ、不特定多数の人々行きかう横浜駅で(初日はど田舎いずみ野駅でこそこそと感触確かめたなー笑)路上ギター演奏訓練を始め、今日まで続けてきた。暑い日も寒い日もバカみたく。わりかしストイックな姿勢をみした。

そんなストイックな路上ギター、正直マンネリ感否めない時期もあったりしたが、久しぶりだとやはり結構楽しい!知らない人が立ち止り聴いてくれると本当に嬉しい!
何かアクション起こして伝わる喜び。人間これのみ!といってイイ。

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