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車とその周辺のこと そのほか気ままに感じたこと

大山美信 先生のこと~その7 / Bishin Ohyama

2018-11-01 21:38:58 | Easy come,Easy go

大山美信 先生のこと~その7

 

自分は モノクロ写真を撮影からフィルム現像

そしてプリントまで自家処理をして どこでも構わず 送り付けていた

写真雑誌のフォトコン掲載 カメラメーカーのコンテストで賞金

公募で東京都美術館 招待チケット撒いての優越感

役所の環境問題写真に入賞とか 展示多数と賞状 数十枚

また生意気にも額装して贈答したり 自家プリントの年賀状とか

なぜか京都の写真協会の会員になって 新幹線で出かけて行ったこともある

特に嬉しかったのは あの立木さんが始めたモノクロ写真誌に

自分の組写真が選ばれ掲載されたことか

絵で賞状をもらったことも何回かはある 小学生の頃に

そんなこともすべて 大山先生のところで下手なりにも

絵を描かせてもらっていなかったら 絶対にあり得なかった

本当は 先生に胸を張って「写真の個展をやりますので是非・・・」

という位までは行きたかったのだけれど それも叶わずになってしまった

写真では解消できず 溜まってしまった負のエネルギーを燃焼させるが如く

音楽への情熱が再燃してしまったから

写真は以前やっていましたという やっていないのと同じ状態になってしまった

 

その後 京橋の個展にも お邪魔した

教え子の学生さんたちがたくさん 賑やかな雰囲気だった

しかし作品は そんな雰囲気とは相容れず

墨とタールを使い始めて 黒い方向へと進んで行かれたことに衝撃を受けた

と同時にまた新境地へ 先生が離れて行ってしまったなと感じていた

 

2003 墨景  個展 案内状より引用

「黒は私にとって 免疫なのだ 黒によって自己を発見し 決定する その免疫の働きによって生きるということなのだ」(大山 美信)

 

それから2012年の みゆき画廊まで空白となっていたのだ

せめて 昔話でもさせていただけていたらなと思っている

それと先生の故郷 福島のことも お聞きしたかった・・・

 

大山美信先生は紛れもなく 一貫して他人にではなく 自身に媚び続けるという真の芸術家であり

数々の作品を通じて その姿を見せていただきました

そしてまた この自分の感性に 大きな影響を与えて下さった恩師であると言わせていただきます

 

この一連のブログ記事が 大山先生を偲ぶ方々にとって お役に立つものかどうか わからない

個人的で一方的な思い出話に過ぎない と言えばそれまでだ

しかし記憶をたどっていると 書き切れなかった大山先生のお言葉がまだまだ思い起こされてくる

断片的で繋がらないだろうが 可能な限り またの機会に載せてみよう・・・

そうせざるには いられないから

 

大山先生  本当にありがとうございました

 

 

=レクイエム=

 

いなくなる

どんどん いなくなる

隠れたわけではない

どこかに行ってしまったわけでもないけれど

いなくなる

あんなに カッコ良かったのに

あんなに 素敵だったのに

だけど

どんどん いなくなる

いなくなる

こんなに いまでも考えているというのに

また どんどん いなくなる

いなくなる

 

大山美信 先生 / Bishin Ohyama~Works 1

大山美信 先生 / Bishin Ohyama~Works 2

大山美信 先生 / Bishin Ohyama~Works 3

大山美信 先生 / Bishin Ohyama~Works 4

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