非国民通信

ノーモア・コイズミ

日本人の方が子供を大切にしているな

2015-05-01 22:41:57 | 社会

フランス女性はなぜ仕事を続けられるのか 「母親の仕事」がやたら多い日本と大違い(東洋経済オンライン)

まずひとつ目に、仕事をしていても家族と過ごす時間が十分取れる仕組みが挙げられる。フランスの法定労働時間は週35時間、年間の法定有給休暇は5週間(日本は週40時間、有給休暇は最高で20日)。残業もほとんどないうえ、仕事とプライベートをしっかり分ける習慣が定着しているので、終業時刻になればすぐ帰宅できる。

 

 まぁ、今さらながらのことではあります。この辺、会社への献身が当然視される日本では望むべくも無いところで、現状を変えたければ企業任せではなく行政が強制力を伴った措置をしない限りはどうにもならないでしょう。

 なお子育てに限らず、政治への関わりという点でも相通じるものがあるように思います。先週で統一地方選挙にも幕が引かれたわけですが、しばしば日本の議員報酬は高すぎるとも言われています。しかるに報酬が高いと言われる一方で、議員になりたがる人は必ずしも多くありません。実際のところは労力の割に実入りは良くない仕事なのでしょうか。ただ日本の地方議員の報酬がヨーロッパのそれに比べて高めなのは、何かに連れ「専任」あるいは「専念」を要求しがちな日本社会の必然的な帰結であるようにも見えます。

 片手間で収入を得るための仕事をして、また自身の関心に応じて片手間で地元の議員を務める――そういう生き方が認められているのなら、議員報酬が高くある必然性はありません。しかし、会社で働くのならそこに縛り付けられるのが当たり前、政治家に転じるならば会社を辞めて自身の資産か議員報酬で生きていく必要がある、議員の出欠をチェックしている暇な市民の監視もあって議会にも縛り付けられるとあらば、そこはやはり議員報酬を高くしないと成り立ちません。週に35時間程度の軽い働き方が普通であれば、子育てに限らず議員活動なり、会社勤め以外の「+α」に打ち込む余裕もあるわけですが、それと真逆の社会では無理ですから。

 

仕事と子育ての両立を容易にしている背景の3つ目は、日本と比べて母親の負担が格段に少ないことである。

フランス人女性は「母親としてこうしなければ」というプレッシャーから解放されているように見える。たとえば、フランスの赤ちゃんは、生後数週間で自分1人の部屋で眠るようになる。幼稚園ぐらいまでは川の字になって眠る、という日本人の常識が頭にこびりついていた私は、友人のマリー(仮名)宅で実際に目にしたときは驚いた。万が一の事故とか、突然死とか心配じゃないのだろうか。

マリーは「泣いたら聞こえるから。そうしたら部屋に行って、おむつを替えたり母乳を上げたりすればいいのよ」とあっさり。なるほど、そう言われてみればその通りだ。夜の間だけでも赤ちゃんから解放されれば、母親は気が楽だし、夫婦だけの時間も持つことができる。

マリーは母乳で育てていたが、「母乳」にこだわっている母親は少ないという。むしろ、「胸の形が悪くなるから」と、早めに母乳をやめる人が多いそうだ。離乳食も手作りにこだわらず、瓶詰めなどを利用する。スーパーの離乳食売り場は日本以上に充実していた。

 

 ……で、先日も軽く述べたところですけれど、とにもかくにも日本は「子供を大切にしすぎる」のが根本的な誤りだと思いますね。日本では子供が絶対正義です。何事も「子供のため」が錦の御旗、子供の周りにいる大人(特に母親)が自分のエゴを優先しようものなら全く関係のない人から罵倒が飛んでくる有様です。そして「自分は子供を思いやっています」アピールに余念の無い人々がしたり顔で嘆息してみせる、それが日本の「当たり前」です。しかし、少子化対策の先進国であり成功例であるフランスはどうなのでしょうか?

 上に引用したような事例を見ると、フランスの母親は日本の母親に比べて「自分の都合」で動いているように見えます。現代日本の母親であれば「子供にとって良いこと」こそが唯一の選択肢であって、「赤ちゃんから解放」されるなんてのは、望むことすら許されない禁忌です。「子供に良い(と、される)」ことであれば、それは必ず選ばれなければならない、母親を筆頭に子供の近くにいる大人は自分の気持ちを抑え込んで子供優先で動かなければならない――日本は子供を大切にしすぎているが故に、子供を持つことが重荷になっていると言えます。日本人のように万事が子供優先の生き方を当然視されるとしたら、フランス人だって子供を持ちたいとは思わなくなるかも知れません。

 もっとも日本でも少子化が進む以前の時代は、もう少し子供の扱いが「適当」であったように思われます。自分の親や祖父母はの子供時代は、今時の子供のように小皇帝として育てられたわけではありませんでした。母親がつきっきりで面倒を見てくれるのが当たり前ではない、そういう時代は日本にもあったはずです。別に昔に戻る必要は無いのですが、もう少し「子供のため」ばかりではなく、「周りの大人の都合」が許される、そういう方向にバランスを取っていくべきではないでしょうかね。「子供のため」を旗印に母親のエゴを全否定し、保育園の近所に住む人にも忍従を強いる、そういう現代の日本のやり方が成功しているとは全く考えられませんし。

 

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コメント (5)
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