非国民通信

ノーモア・コイズミ

評価されるための能力

2019-02-03 21:28:48 | 雇用・経済

 離職率の高い会社――というものは、どこにでもあると思います。私の勤務先も、例外ではありません。まぁ、離職者がいるから中途や通年での採用(=穴埋め)があるのです。中途でも入社できる会社とは、その分だけ辞める人もいる会社であることは覚悟しなければならないのでしょう。しかしながら、一口に離職率が高いと言っても、その実は「部署次第、配属次第」となっているところもあるようです。

 上司の資質次第で部下の離職率が変わるのはもちろんのことですが、配属される「職種」によって離職率は大きく異なるものではないでしょうか。極限まで単純化すれば「営業は離職率が高く、事務系は離職率が低い」等々。とかく「ブラック企業」とは一括りに扱われがちですが、より細かく見ていけば「ブラック部署」「ブラック職種」もあるのかな、と思いますね。

 面白いのは、離職率の高い営業という職種は求人も多く採用基準も緩めだったりすることです。「営業として働き続ける」ことのハードルは高いのに、不思議と「営業として採用される」ハードルは低い、どうしたものでしょう。反対に事務系職種は、採用に関しては圧倒的な狭き門です。しかし事務系職種の離職率は営業よりずっと低かったりするのを考慮しますと、「事務として働き続ける」ことは、そう難しくないように見えます。採用のハードルは、あんなに高いのに。

 そこで私が考えるのは、「採用に当たって求められる能力」と「実際に働く際に必要な能力」は一致しない、と言うことですね。営業として採用されるためには、そんなに特別な能力をアピールする必要はない、しかし営業として活躍するためには相当に高度な能力が求められる、反対に事務職として採用されるためには特別な人材を装う必要があるものの、入社してしまえば平凡以下でもなんとかなる……

 覚えている人も多いと思いますが、理化学研究所のユニットリーダーとして活躍した小保方晴子さんという人がいるわけです。同世代の研究者の間では最も出世していた人の中に数えても良さそうな人ですけれど――諸々の不正が発覚して職を辞することにもなりました。彼女の研究者としての資質については当然ながら疑問符が付きますが、しかし彼女と同年齢で理研のユニットリーダーの地位を得られる人が、果たしてどれだけいるでしょうか? 研究者の資質は欠いていても、採用される能力、昇進する能力、人から評価される能力は、世代のトップクラスであったと言えます。

 逆に小保方さんよりも研究者として真っ当な人は多々いると思いますが、その中には理研なんて夢のまた夢、ポスドクに収まることが出来ればマシな方、就職(採用)とは無縁で不遇を託っている人も数多いるはずです。ヨソの国はいざ知らず、我々の社会とは、そういうものなのかも知れません。

 「今の若い人は、みんな本当に英語が上手なんだよね」と会社の偉い人が言っていました。採用に携わるような人の感覚からすれば、そうなのでしょう。残念ながら私は採用には関与しませんし、職場で英語を使う機会が皆無なので、若い人の英語力を知る機会がなかったりします。まぁ職場で英語が必要になる機会はなくとも、採用に当たっては英語力をアピールする若者が多いと推測すれば辻褄は合うでしょうか。

 昨今はどこの大学も(就活でアピールすべく)英語重視に拍車がかかっている他、中学や高校入試ですら「試験は英語一教科のみ」とする学校が出始めていると聞きます。アメリカやイギリスに行けば、落第生や失業者でも英語なんて誰でも話せる気がしますが、日本人にとって「とにかく英語力」というのは定番のようです。

 しかし英語力が自慢の新卒者が実際に就業して、得意の英語を活かして大活躍できるかと言えば――99%以上の若者は失望を味わっているだろうな、と思います。「グローバル」を掲げたがる会社は多くても、本当のグローバル企業は一握り、普通の人が就職するのはドメスティックな企業ですから。ただ、そんな英語を使う機会のない会社でも、就職の際に求められる能力として英語は重要なのでしょう。

 まぁ、国内市場をターゲットにする会社でも、昨今は外資系企業との取引は増えています。外資系企業の、日本語を介さない担当者を相手に営業をかけるなら、英語力が問われるのかも知れません。しかし私が注目したいのは、「現地の言葉を介さなくても要職に就いている人が(外資系企業には)普通にいる」と言うことですね。

 日本には、「日本語に不自由しない人」が1億人くらいいます。しかし日本語が巧みであれば日本で活躍できるかと言えば、そうもいかないわけです。逆に、日本語が不自由でも外資系企業の要人として活躍している人は、いくらでもいます。ではヨソの国に舞台を置き換えてみればいかがでしょう。英語が巧みでありさえすれば「世界で」活躍できるのかどうか、逆に英語が不自由でも活躍している人はいるのかいないのか等々。

 日本企業に就職する上では英語力が大いに問われる時代になりましたが、それもまた実際に働く上で必要な能力と、ただ就職するためだけに必要な能力との、深刻な乖離を象徴しているように見えます。とにかく採用面接の場面で自分をアピールする能力だけは高い、上長から評価を得て昇進する能力だけは高い、そういう人が会社で地位を高めていった結果、日本経済は上向いたのか、あるいは凋落していったのか――我々の社会はどちらを向いているのでしょう。


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