非国民通信

ノーモア・コイズミ

Beyond the Realms of Punishment

2008-05-24 21:33:37 | 非国民通信社社説

 潔癖症というには少し違うかも知れませんが、世の中には一つの汚点もないこと、清廉潔白であることを要求する向きもまた強いものです。私なんぞはその対極にいるわけで、「まぁそんなものだろう」ぐらいにしか思わないケースも多いのですが、多くの人にとっては必ずしもそうではない、些細なことでも大騒ぎに発展するのが実情でもあります。

 非の打ち所のない、完全無欠の組織もしくは人物など存在しない(私に言わせればそれを目指す必要すらない)わけですが、その完全無欠ではないことがさも重大事であるかのように語られる、認識されることも目立つわけです。まぁそういうところもあるだろうよと、私はその程度に考えるわけですが、世の中ではそれに対する怒りが渦巻いていたりもします。

 ここで私が念頭に置いているのは、環境保護団体であったり、労働組合であったり、あるいは左派政党等々、及びそれらに所属する人々です。いずれにせよ、その他の団体と同様に欠点のない組織などあろうはずもないわけですが、だからどうだというのでしょうか? 他人は決して自分の思い通りには動かないものです。別にそれらが(自分にとって)理想的でなかったとしても、取り立てて騒ぐようなことでもありません。

 ところが多くの人にとってはその何らかの欠点が格好の足がかりになっているようで、何か一つでも灰色の部分を見つけたら、そこから勝ち誇ったように全否定に走る人が後を絶ちません。歴史修正主義者も似たような考え方をしますね、些末なことを騒ぎ立てることで、さも全体が信用ならないかのように印象づけようとするわけです。もっとも、こうした僅かな瑕疵をとっかかりにして全否定に走ろうとする人の場合、その人が強調してやまない瑕疵とは実は言いがかりに過ぎず、より重要な問題を見過ごしているケースが大半でもありますが。

 否定したいという思いが強いあまり、そのチャンスがあればどんな下らないことでも飛びつくものなのでしょうか。反対に自分が信じたいと思っているものに対しては、どれほど支離滅裂なヨタであろうと(例えばモラルの低下など)盲信するにもかかわらず、自分が強く否定したいと願っているものに対しては、何か理由を見つけてでも全否定に持ち込もうとするわけです。環境保護団体なり労組なり左派政党なりも他の組織と同様、一点の汚れもない清廉潔白の組織であろうはずがないわけで、別にそうである必要すらないと私には思われるのですが、そうした組織を拒絶したい人から見れば、ちょっと怪しい部分を見つければ鬼の首でも取ったかのように大はしゃぎ、どうしようもありませんね。


 さて、私は潔癖症からはほど遠いものでして、多少の誤魔化しやズルぐらいではガタガタ言いません。方々で相継いだ食品偽装問題も同様で、味では問題なかった上に該当の食品で体調を崩した人もいないのなら、被害者はいないようなものだから気にするようなことでもない、むしろ売れない食品に付加価値をつけて商品価値を持たせた工夫は褒めてやりたいくらいだよと、そう感じたものです。ましてや自分で判断せずに世評や看板、ブランドイメージにすがる人々や料亭の常連客など、この辺の人々を私が快く思っているはずもなく、それが一杯食わされたと知ったときには「こいつは傑作だ」と膝を叩きました。

 そこはそれ、自分で考えるよりも世の権威が定めた基準で物事を判断したい人にとっては一大事でしたし、何より他人を咎めたくて仕方がない人にとっては、狂喜乱舞する事態でもありました。たとえそこに被害者などいなくとも「不正」があれば十分、他人を咎める絶好の材料があるのなら、そこに飛びつかないではいられない人もいるものです。「割高なブランド品を奮発したのにマズかった」「腹をこわした」などの被害者はいなくとも、そこに罪さえあればなんとしても罰したいと、そんな欲望を駆り立てたのです。

 しばしば目的は誰かを「守る」ことから誰かを「罰する」ことに移り変わります。「守る」ことが目的であれば、人々が何らかの被害から免れていれば目的は達成されたと言えるでしょう。そこに何らかの被害が存在しなければ、人々を「守る」ことは成功を収めているわけです。ところが何の被害も発生しなくとも、我々の社会は頻繁に人を罰しようとします。それによって誰一人として被害を被ることがなくとも、規則は規則、違反は違反と、次々と罰せられてゆくのが現状なのです。

 昨今では児童ポルノ絡みの法改正が格好の例になるかも知れません。つまり今回企てられている法改正で問題になっているのは実在する児童に対する性的虐待などではなく、純然たるフィクションの方なのですが、勿論そこに被害者など存在するはずがありません。フィクションからの間接的な影響を類推することは不可能ではないにせよ、その関係は必然的なものではなく何らかの被害に繋がる可能性は憶測の域を出ないわけです。その直接的な被害など存在し得ないフィクションに対して罰則を定めようとしているわけですが、誰か(この場合は児童)を「守る」という観点からすれば百害あって一利無し、です。ですが、我々の社会が追い求めているのは「守る」ことではなく「罰する」ことであるとしたら? (――などと書いていたのですが、22日の与党会合では非・実写のポルノに関しては今後の検討課題として見送りの方針だそうで)

 凶悪犯罪が減少を続ける中で御用学者や大手メディアは犯罪不安を語り、その「顧客」はそれを信奉する、政府や公安関係者は治安対策を重要課題と語り、その支持者や潜在的な支持者はさらなる治安対策の必要性を確信します。どうやら、犯罪の減少は我々の社会に安心をもたらしはしないようです。そこで対策として行われていることは? 言うまでもない、罰の増大です。凶悪犯罪が減少を続ける一方で、厳罰化には歯止めがかからず、殺人件数が戦後最低を更新する一方で死刑判決と執行は最多を記録、それでもなお世論は一層の厳罰化を追い求めているわけです。我々の社会が望んだのは犯罪の減少ではなく罰の増加であり、それは誰かが何らかの被害を負わないことではなく、被害はなくとも人がより厳しく罰せられることでした。

 児童ポルノを巡る法規制の問題は、その網に掛けられようとする対象が普段とは異なっていることもあって、従来はこうした不当な規制に反対することのなかった人々をも反対側に迎え入れているところがあります。しかし、こと児童ポルノに関しては政府の規制に反対するが、それ以外では国民に対する規制や罰則の強化に諸手を挙げて賛成してきた人もまた多いわけです。それによって守られる人などいなくとも、それによって罰せられる人が増えることを、我々の社会は歓迎してきたし、これからも歓迎し続けるのではないか、と。

 

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11 コメント

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Unknown (Bill McCreary)
2008-05-24 22:21:53
>ちょっと怪しい部分を見つければ鬼の首でも取ったかのように大はしゃぎ、どうしようもありませんね。
大月隆寛とか桜井よしことか沢山いますね。どうしようもない馬鹿です。

たとえばインターネットの発達で、いわゆる「わいせつ画像」などというものに刑罰を課す意味合いは事実上ほとんどないと思いますが(だって、有料でなくても海外のサイトなら女性の性器が写りまくっているんですから)、それらは皆さん見て見ぬ振りをしています。女性の性器を公然と見ることが可能になって、日本人の性道徳が乱れたかあ、と考えると、あまり沿うには思えません。けっきょく、風俗の乱れうんぬんの主張なんて、時代錯誤のパターナリズムでしかないのでしょう。

ジョック・スタージスやデヴィッド・ハミルトンの写真集が好きな人間は、ペドフェリアなのかとかいろいろ疑問もありますが、この件は、シーファー駐日米国大使の要請もあるというのだから、なんともはやです。

そういえば、スタージス(管理人さんは、彼の写真集を見たことがありますか)の写真集も、日本ではいやqがるひとが多いですね。すいません、支離滅裂な文章になってしまいました。
分る部分とそうでない・・・ (ichiro.jr)
2008-05-25 02:11:25
部分はあります。概ね仰ってる事は頷けますが、現在の日本の刑罰全般に言える事は(特に少年法)加害者の更正に重きを置き、被害者の心情的な救済には殆ど配慮されてないという点です。ここが一番重要な観点であって必ずしも個人個々が法で守られてるとは言えないのが現状ではないでしょうか?
Unknown (ノエルザブレイヴ)
2008-05-25 05:00:04
凶悪犯罪につきましては数か減る→一件をよりしつこく掘り下げて報道できる→厳罰が求められる、といったところでしょうか。

また、ある作家が「死刑が単なる社会の憂さ晴らしとして機能しているように見える」と言っていましたがすごくなるほどと思いました。私たちの精神はハンムラビ法典の時代に退化しているような?
フレームアップ (単純な者)
2008-05-25 10:46:18
こんにちは。初めまして。
最近読みに来ていますが、コメントは初めてです。
全般的に考え方が似ている論が多いし好みですね。

児童ポルノも趣味ではないしそれに絡む法改正にも詳しくありませんが、性愛に関しては融通を効かして生きてきた方です。いわゆるノーマル嗜好人間です。

こういう風に刑罰の適応が狭っこくなる傾向が出てくると一番最初に直感的に思うのは「権力によるフレームアップ」がしやすくなるなぁということですね。
Unknown (ペトログラード)
2008-05-25 11:57:46
 大体同意しますが食品偽装については頭にきました、だってあくどい手法で大金を稼いでいる輩を見れば腹が立つ私は小市民。それにそういうことをされるとマジメな商売をしている人がバカを見るわけですし。

 あと最近やたらと取りざたされる被害者感情ですけど、それが刑事裁判の審理において筆頭にあげられることなのかという疑問があります。もちろん一つの大きな要素ではあると思うのですが、本来的には民事裁判で争うことなんじゃないかなぁと。
商業であくどい?範囲? (単純な者)
2008-05-25 13:19:30
こんにちは。

同じく小市民で多数派ですから、即怒の感情を表明するかとともかくとして、気持ちは理解できますよ。
だから別の意見だとは思わないで下さいね。

ただ、商業であくどい・あくどくないをどう見分けるか。そもそもそんな正義の商業なんてあるのか。誰がそれを判定するのかですよね。

腐って食べると食中毒となりそうな食品から、より相当安全範囲にある食品を経験則から見分けて廻しているというやり方は商業・食品業界では結構やっているのではありませんか。

低価格問題に関連しますが、安い買い方は回り回って自分たちの賃金を下げていくという見方も出来るのですし、自由経済では消費者側も良い商店良い品物を選択する方法で対抗していくことも。

悪徳商法をやったら放逐・排除していくような社会をお互い作っていく、作っていけなければ自己責任だと
いう感覚ですよね。

では。
追加して思うこと (ノエルザブレイヴ)
2008-05-25 16:03:18
一般的市民が今恐れていることは「覚えのない犯罪者として引っ張られたらどうしよう」ではなく「わけの分からない奴(特に若年者)にひどい目に遭わされたらどうしよう」であるかとも考えられますね。国よりも隣人のほうが信頼できないと思われているのでしょうか。

それから、確かに被害者の救済は大切ではありましょうが、それを厳罰化によってのみカバーするのは私には無理があるように思います。死刑などの厳罰化が「一時的に復讐心を満たすための最も短期かつ安上がりな被害者に対する福祉」として使われるのはいささか安易ではないかとも思います(そして「社会の憂さ晴らし」として使われるのはもっと安易に思えます)。救済とはもっと手間をかけてじっくりやる種類の物ではないかと(その辺のケアについては死刑がなくなっている国に学べるのでしょうか?)。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-05-25 16:13:37
>Bill McCrearyさん

 性道徳云々に関しては、むしろ閉鎖的になったと言うべきなのではないかとすら思えるわけですが、この辺を抑えつけたい人にとっては詭弁も強弁も何でもアリなんですよね。スタージスのことは寡聞にして知りませんでしたが、(本来はそれを意図したものではなくとも)性的なものが解放されること、それを忌避する考え方は、かつてよりも強まっているような気がします。

>ichiro.jrさん

 そのように口々に言われていることは確かですが、果たして本当に加害者の更正に重きを置いているのでしょうか? むしろ加害者の更正に重きを置くことを否定する声しか聞かれないように思いますよ。そしてそうした主張を繰り返している人は、要は更正ではなく、被害者の救済を口実にして、より苛烈な刑罰を望んでいる、そういうものでしょう?

>ペトログラードさん

 どうでしょうか、むしろバカを見せられているのは、品質の良い商品を供給していてもブランドイメージを持たない人であり、そうした人にバカを見せているのは中身ではなくブランドイメージにすがる人々ではないかと。中身ではなくブランドにすがり、本当によい商品を作る人にバカを見せていた人々が、その信じ切っていたブランドに裏切られたとしたら、それはやはり痛快な事件に思われるのです。

>単純な者さん

 単に「気に入らない」というレベルで罪を着せられる人もいますよね、昨今の若者叩きもそうですし、一部の性的志向を持つ人々への取り締まりも其の類でしょうか。

 >消費者側も良い商店良い品物を選択する方法で対抗していくこと

 これは本当に大事だと思います。何らかの権威が「これは良いものなんだよ」とラベルを貼れば、それが鵜呑みにされるわけですが、自分達で中身を判断して悪質なものを排除していく、そうした自浄能力を消費者なり国民の側が持つことが必要ですね。

>ノエルザブレイヴさん

 数が減るほど注目度が高まる点はありますね。少年犯罪が激減してから若者叩きが隆盛を極めたり、個人の権利を主張する人が減って「モンスター~」が登場するのと同じようなところでしょう。そうして相互への不信や疑いも作り出され、その疑惑の対象である隣人を規制し監視するのが正義ともなるのかも知れません。そして重視せよと言われるつつ無視されているのが被害者で、被害者感情に乗じて厳罰を訴える人こそ多いものの、罰が確定した後の被害者は往々にして乗り捨てられているような印象もあります。これが救済であるはずなどないと思うのですが……
フレームアップ (単純な者)
2008-05-25 16:50:53
こんにちは。

個人の趣味趣向に乗じて目を付けたお上の指定する不届き者を別件で捕まえたり非難する際にDVDをその個人の部屋か持ち物に忍ばせておいて・・フレームアップ・・というのはそういうものですよ。古今東西取り締まりの常套手段としてよく使われてきました。

法律執行部門・・警察とか・・そういうのには、個人の権利を制限する手段を出来るだけ与えてはダメだという考えもあるのです。児童ポルノは誰がどの程度の被害や立法によってその回復がどういう具合であるのかがもっとも不確定なものだということなわけですから。こういう指摘をされる「非国民通信」さんの理解の仕方には大賛成なのでした。

先日NHKテレビで、幼女時代の被害者が現在インターネットで流布されるかも知れないその時の写真に対する恐怖といういう筋立てを放映していましたが、法案推進の弁護士も動員して・・世論誘導放送だと思って観ていました。

日本は罪刑法定主義の考えもいまだに成立していない社会ですから、あの弁護士は何かあるのかな等とも。

では、念のために付け足しました。
Unknown (仲@ukiuki)
2009-01-21 00:22:32
先日ブログ記事を書いていて、他者に対する処罰願望を満たそうとあれこれ頭を使う人がいるものだなあと、国籍法改正騒動に続いて思うことがあり、こちらにTBをしました。
処罰の合理性をねじり出そうとする情熱を他に向けてくれたら、もっと風通しが良く日本人にとっても暮らしやすい社会に向かいやすいのになあ……なんて思います。。。

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