生活危機:派遣切り 再就職、4割あっせんせず--厚労省指針に違反(毎日新聞)
派遣契約の中途解除などで労働者が失職する雇用問題で、厚生労働省は12日、失職者に対し派遣先が新たな就業機会の確保を図るなどとした厚労省の指針が、約4割で実施されていないとの調査結果を公表した。新たな就業機会が確保された例は約6%にとどまり、雇う側からのサポートがない派遣労働者の厳しい現状が浮かんだ。
調査結果は、民主党の雇用関連の会議で報告された。昨年10月~今年3月に派遣など非正規労働者への雇用調整の実施、実施予定を1806事業所に任意で聞き取った。
派遣が終了した派遣労働者に関して指針で定められた新たな就業機会の確保を図ったかの問いでは、「図っていない」が44・4%で最も多く、次いで「努力したが確保できない」が37・9%で、雇用が維持、確保できた例は▽「派遣元で(雇用)確保」(3・2%)▽「関係会社などへあっせん」(1・7%)▽「自社で雇用」(1%)--だった。
厚労相の「指針」によりますと、契約期間が終了した派遣労働者に新たな就業機会を確保することが求められているそうです。へー。初めて知りました。まぁ私の知識も偏っていますので、私が知らないだけで世間では有名なものもあるとは思います。ですが、ここで取り上げられた「指針」はどうなのでしょうか? 私が知らないだけでしょうか? それとも、形式上は存在しているだけで実態としては存在していないも同然、制度の設計者ぐらいしか知らないような代物なのでしょうか。
調査に拠りますと就業機会の確保を「図っていない」が44・4%、「努力したが確保できない」が37・9%だそうです。この辺の「努力」は自己申告でしょうから、実態がどの程度かは知る由もありません。本人は努力したつもりになっているだけかも知れませんし、結果が出なければ努力が足りないせいだと詰られる日本の風土に照らして鑑みれば、結果的に雇用が確保できない=努力していないと考えた方が一貫性があるくらいでしょう。で、「新たな就業機会が確保された例は約6%」とのことですから、努力の有無にかかわらず就業機会を確保しなかった派遣先企業は約94%、要するに厚労相の「指針」は有名無実、存在はしているが機能はしていないということです。
結局、「指針」だけがあっても意味がない、それを守らせるための運用まで考えておかないと、単なるアリバイ作りにしかなりません。厚労相は指針を出したけれど、企業がそれに従ってくれない云々で済むようなものではなく、指針を遵守させるためには必要になるものまで整備して初めて意味があるわけです。私人に対しては厳罰主義で望む昨今の風潮ですが、罰則などの強制的手段をもって望むべきなのは個人ではなく法人に対する場合だと思うのですけれどネェ。
1月26日時点のまとめでは、非正規労働者の失職は約12万5000人と見込まれ、うち派遣労働者は8万5743人で中途解除は4万2716人だった。
ちなみに「派遣切り」ではなく「雇い止め」と呼ぶようにと、諸々の企業が要請していたこともあったようです。一方的なクビキリではなく、あくまで契約期間終了に伴い、派遣契約を延長しなかっただけだと、そう印象づけたい企業としては後者の表現を用いて欲しかったのでしょう。しかるに、今回調査に拠りますと契約期間満了に伴う失職は半分程度のようです。残る半分は、契約期間の真っ最中に行われた契約解除、雇用側の一方的な契約の不履行であり、全くの不当な行為でした。「契約期間が決まっているのだから、その契約期間中に次の仕事への準備を~」と説く論者もいますが、その手の論者は労働現場で何が起っているかには無関心なのでしょう。契約期間が決まっているにもかかわらず、その契約期間の最中にさえ職を奪われてしまう、それが実態なのです。
余談ですが、最初に記事を見たとき、派遣先ではなく派遣「元」企業に、新規就業先を斡旋する義務があるのかと思いました。実感としては、そちらの方が納得できます。雇い止めにあっても、派遣会社は割と熱心に新しい仕事を紹介してくるものですから。もっとも、速やかに紹介されるのは以前の職場よりも条件の悪い場合が大半で、よほど切羽詰まった状態ではないと受け容れられない、ゆえに斡旋を断るわけです。すると、自己都合退職の扱いにされます。実質的には会社都合による解雇なのに、「斡旋された仕事を断った」という理由で労働者側の自己都合による退職として扱われ、失業保険が受け取れなくなります。そういう事情もあるので、下手に仕事を紹介されると逆に労働者側が不利益を被ることもあるのです。昨今では派遣切りに遭った人を対象に、派遣社員以下の待遇の求人が増えているわけですが、これを断ると「選り好みするな!」とばかりに非難が投げつけられ、クビキリに走った雇用主から失業者へ糾弾の対象がすり替えられる光景が目立ちました。失業保険の運用も、これと似たような構造を持っています。
自営業者が多いように見えます。
こっちは苦労しているのにということなんでしょうが、
現状では痛い目にあっているのはお互い様でしょうに。
怒りはそうなれば上に向くものなんでしょうが、
それが下や横に向かうのは国民性の劣化以外の何物でもありません。
これが敷延されて、行政側は、「対策をちゃんとしたんだからいいだろ、負け組は頑張れば」法人側は「景気が悪いんだから我慢してくれ、うちだって赤字なんだ」ということでしょうから、救いようがありません。
最後の頼みの綱であるはずの政治ですら、「百年に一度の経済危機だから」「非常時だから」という理由で選挙も行われず、重要な政策に異を唱えるのはまるで「非国民」だ、といわんばかりの論調が一般市民の側から出る。派遣村に対する批判など、一部には異様な論調がありました。
戦前の危機的状況でも振り返っているかのような現状に、経済的な厳しさだけでなく思想的な危機すら感じる程、政府・社会の投げやりと強気に媚びて弱気を挫く風潮には、実に黯然たる心持ちです。
正社員が非正規社員を「気楽だ」と叩き、非正規社員が正社員を「恵まれている」と叩くように、自営業者が被雇用者を叩く、そういう構図もあるのでしょうかね。お互いの立場を理解する意思がないのか、根本的な原因に目を向けるつもりがないのか、いずれにしても希望の持てないお国柄ですよね。
>不備さん
むしろ苦労そのものより、その苦労から免れているとされる人々の存在に苛立っている、そんな感じの人も多いですよね。派遣社員が責任を負わされていない(かに見える)ことが我慢できない、正社員が解雇の危機にさらされていない(かに見える)ことが許せない等々、そして経済危機を言い訳にして雇用側の無法が罷り通る、どうしようもありません。
私も大勢の人々の人生を左右する法人の方にこそ、努力や責任を要求するものだと思いますが、これらは個人に、それも社会に自分を合わせる努力や自分が解雇された責任等に使われてしまっていますね。
そう、上側(雇用側、行政側)が求職者を非難するなら、自分達を正当化するという意味では目的に適った部分もあるのですが、下側からの「上から目線」があって、そこに最も深刻なものを感じるのですよ。権力が力により支配しているのではなく、国民が自ら専制を求めるような状況ですから。これでは行政も本気にはならないだろうと……
「我々は合理的な経営を追求しているだけだ。あんたたちは不合理な経営をやれというのか!どうかしてるんじゃないか!」
と逆切れした事件もありましたね。
腹が立ちますが、ちょっと擁護すると株式公開企業ともなれば、経営が良くても
いっそう増収増益への圧力がすごいらしいので、言い分も一応あるでしょうね。
ある意味では、こういう社長さんのためにも国が企業に対して「義務を課す」ということが必要なのかもしれません。
企業の利益追求に対してのみ「合理的」であることが求められ、その他の要素を
可能な限り切り捨てることを要求されるのが今の資本主義ですから、
そこを国が憎まれ役でもブレーキをかけなければいけないと思います。
企業はあくまで、利潤の追求が目的ですからね。その企業に「社会的責任」などと称して企業の自主的な意思で雇用確保しろと言っても難しいところはあるでしょう。仰るように株主の要求もありますし…… そうだからこそ、「政治」の必要性があって、行政がルールを作ることで企業をコントロールしなければならないのですが、その辺の発想がどうなのかなぁ、と常々。