非国民通信

ノーモア・コイズミ

変わらないもの

2008-05-30 23:47:52 | 文芸欄

 私はこういう人々を知っている。善良で、誠実で、社会から尊敬されているほどの人間でありながら、それでいて、たとえば受刑者が笞の下で悲鳴をあげ、祈り、許しを乞わなければ、心の落ち着きを得られないというのである。受刑者がかならず悲鳴をあげ、許しを乞わなければ、気がおさまらないのである。これが習慣になってしまって、作法にかなった必要なことと考えられているのである。いつだったか、受刑者が悲鳴をあげようとしないのを見て、ある執行官が――これはわたしの知ってる男で他のもろもろの点においては、まあ善良な人間を考えてもよいような男だったが――そのために自分が侮辱されたような気になったことさえあった。(F.ドストエフスキ『死の家の記憶』)

 

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2 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2008-05-31 23:43:35
ドストエフスキーは仙人なのでしょうか?(彼にとっては)未来の世論を予見しているかのように映ります。

確かに、人を罰することに快感を覚える、凶悪犯を見ると「吊るせ!」と叫んでしまう、そういう人の大半は近所や会社では「良いアンちゃんorねえちゃんorおっさんorおばさん」なのでしょうね。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-01 01:01:41
>ノエルザブレイヴさん

 自身はギャンブルに手を出すと全く歯止めが利かなくなってしまうような人だったわけですが、それはさておき人間への深い洞察は時代が変わっても通用し続けていますね。いつの間にか人を罰することこそが欠くことの出来ないことになってしまう、それが善意によって為されてしまう……

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