さて先日も「一票の格差」を巡って違憲判決が下されました。まぁ憲法の文面を素直に受け取れば、そうなるのは当然ですね。もっとも日本は司法に対する行政の優越が確立された国ですので、違憲判決が出たからどうということもないのかも知れません。自衛隊の扱いがそうであるように、憲法よりも既成事実を優先するという積み重ねられた運用も根付いています。加えて「解釈の変更」という超理論もあって、これを適用すれば明白に憲法に反する事柄でも許されるわけですから、まぁ違憲判決が何かを動かし得るとは考えにくいところです。せいぜい、選挙――自民党の勝利――後に「この選挙は無効だ」と主張するために使われるくらいで……
日本がもし100人の村だったら
北海道民は4人です。
また、東京都民が10人であり
神奈川県民が7人、
千葉・さいたま県民が5人
同様に、静岡3人・愛知6人・大阪7人・兵庫4人となり、
残り37府県は1人か2人となります。
しかし、鳥取県だけは0人となり、
鳥取など存在しないことが解ります。
これは出所不明のコピペですけれど、問題の一票の格差是正とセットで出てくることが多いのが議員定数削減論だったりします。いわゆる先進国で人口一人当たりの議員数が日本よりも少ないのはアメリカぐらい、要するに日本は議員定数の少ない国なのですけれど、それでも議員定数を削減すべきだという声は大きい、しかも野党側にこそ強硬なものがあったりするのですから堪りません(身を切る改革w)。この点において自民党は民主党よりは幾分かマシに見えるところですが、まぁ一票の格差是正と議員定数削減が極限まで押し進められた結果はどうなるのでしょうね。
現状の「一票の格差」が違憲か合憲かについては、悩む余地はないと思います。では憲法を抜きにして考えてみた場合はどうでしょう? たとえばアメリカの場合、上院議員は各州毎に2名の選出となっており、それは州の人口の多寡によって左右されるものではありません。このため、一票の格差はおよそ70倍程度と、日本のそれを大きく上回ります。しかし、アメリカの憲法では上院議員選出における一票の価値の平等が定められているわけでもないため、取り立てて悪いこととは考えられていないようです。違憲か合憲かはさておき、一票の格差は悪いことなのか、それとも容認されるべきものなのか――それもまた考えられる必要があると思います。
なおアメリカの場合、上院とは反対に下院議員はドライな人口割で調整も早いため、一票の格差は小さいです。そして日本はアメリカにおける上院方式と下院方式を足したような割り当てとなっており、謂わば「どっちつかず」な状態と言えます。まぁ、「両極端」と「どっちつかず」のどちらが正しいのかは一概に決められるものでもありませんよね。日本方式がベストとは言えないにせよ、ではアメリカ型にすれば良いとか、そう言い切れる類ではないはずです。
一部に例外はありますけれど、概ね一票の価値が重くなる選挙区とは「人口(有権者)の流出が続く弱い地方」であり、逆に一票の価値が軽くなる選挙区は「人口(有権者)が流入して栄える強い都市部」だったりします。この状態から一票の格差を是正すると、必然的に過疎化の進む選挙区の議席数を減らすことになる、地方からの政治の発信力を今以上に弱め、元から裕福な都市部の声をより強く国政に反映させることに繋がりかねません。一票の格差を是正して、より都市部の感覚に添った政治運営に移行する――そうなってしまうことが好ましいとは私には思えないわけです。
むしろ優先的に是正されるべきは、一票の格差ではなく地域間の格差是正です。そのためには、一種のアファーマティヴ・アクションがあっても良いのではないでしょうか。まぁ地方の利益を代弁できる政治家が現代は絶滅危惧種、今は天下国家を語る大言壮語の輩ばかりですし、そもそも地方選出と言っても落下傘候補も目立つところですが、それでも有権者が減少するすなわち衰退している地域から「多めに」議員を国会に送り込めるような優遇策は、都市部と地方との格差是正を目指す上では決して無意味なことではないでしょう。少なくとも、一票の格差是正を優先して地方の議席を削るよりは。








我が国の国会議員の定数削減を求める人たちは、我が国が議院内閣制であることを忘れて、大統領制かつ連邦制をとるアメリカを基準にしています。
実は、議院内閣制の国と比べると、我が国は、同じ議院内閣制を採用し、人口も我が国より少ない英国、ドイツ、やイタリアよりも議員定数(特に下院=衆議院)が少ないのが現実です。上院=参議院も、制度が異なる英国やドイツは別として、公選制をとるイタリアよりも少ないのが現実です。
私は、議員定数削減を主張する人たちから、我が国の国会議員の定数が、人口のより少ない英国、ドイツ、イタリア、そして大統領と首相の二重体制をとるフランスよりも少なくなければならない理由を、聞いたことがありません。
精神論や情緒で議員定数削減を論じないでほしいと思います。
そこに輪をかけて恐ろしいのは、与党以上に野党第一党、第二党の方が議員定数削減に熱心と言うことなわけです。与党を批判している側の方がなおさらタチが悪い、この辺はもう絶望的とすら言えますね。
例えば、長崎県でいえば対馬、壱岐、五島列島及び本土の大村市などが一緒になって3区となっていますが、そもそも対馬、壱岐は長崎県本土とは生活圏が異なり福岡市との結びつきが強い地域です。そもそも、対馬と壱岐が長崎県に属していること自体が不自然だと私は思いますね。他に、鹿児島県の奄美群島も本土の指宿市などと一緒に2区を形成していますが、やはり長崎県3区と同様にかなりいびつな選挙区です。これでは、対馬、壱岐及び奄美からの議員を選出することが難しくなってしまいます。
議員定数削減を唱える人たちは、果たしてこういった地理的要件を考慮しているのか疑問です。私はむしろ、上記に挙げた以外にも風土や文化、生活圏が独特な地域は、例え人口規模が小さくても、独立した選挙区にすべきだと思いますね。
単純に人口割りだけでは、文字通り「割り切れない」ものもあるのでしょうね。有権者の数を調整すべく、何の結びつきもない地域が同じ選挙区としてまとめられているケースも仰るように多々あるところで、そこはやはりアメリカの上院のような選び方も「アリ」として尊重されて欲しいものです。
そうは言っても、現実の選挙区とそこから立候補する人との乖離があるのですから、地方の声はやはり届かないのでしょう。
例えば、山口4区。安倍晋三氏の選挙区ですが、当の安部氏は東京生まれの東京育ち。典型的お坊ちゃん学校の成蹊大学卒ですが、この方に地方の実情が分かると思いますか?
岩手1区も同様。小沢一郎氏のお膝元ですが、この方も東京生まれの東京育ち。
正直なところ、地方のこえ(現実にそこに住んでいる人の実感)と選挙区で言われる地方のこえ(政治家がアジテーションでいう言葉)は、同じようで違う。
コピー&ペーストで政策並べてるだけでしょと。つまり、自分の皮膚感覚からきている「声」とは程遠いのですよ。
そういう形骸化された「地方の声」なら、一票の格差の方を重視するという考えに傾くような気がしますし、それが妥当だと思います。
地方の声など届かないという確信を根拠に、人口の減少する選挙区から議席が取り上げられることを正当化されているようですが、では何の声なら届くというのでしょうかね? 地方の声は届くけれど、そうでない声なら届くのでしょうか? ○○の声は届かないから議席を減らしても構わないと考えるなら、それは代議制を否定するアナーキズムでしかありません。