非国民通信

ノーモア・コイズミ

大学は出資者のおもちゃになるか

2018-07-01 23:18:59 | 社会

「僕みたいなトンガリ育てる」 永守氏が大学に託す夢(NIKKEI STYLE)

 資金を出し、口も出し、自分も出る。これが永守流の大学改革だ。18年の入学式で新理事長として訓話した永守氏だが、「年に何回かは理事長訓話の機会を設け、学生に人生訓を語りたい」と話し、学生との対話に意欲をみせる。こうした姿勢は、自身の学生時代の経験から来ているという。

 

 先週は、宗教法人の皮を被った営利組織もあれば、反対に「営利企業を装った宗教団体」もあると書きました。その流れの中で日本電算社長の永守重信を取り上げたのですが、この永守氏、今年の3月より京都学園大学の理事長も兼務しているわけです。教育インフラへの公的投資が望めない日本において、出資のできる人間が大学に関与することには肯定的な側面もあります。しかし、この「資金を出し、口も出し、自分も出る」云々はいかがなものでしょうか。

 曰く「年に何回かは理事長訓話の機会を設け、学生に人生訓を語りたい」だそうです。学生にとっては時間の浪費以外の何物でもないでしょう。もっとも、世の中には説教好きのおじさんのご機嫌を取って金を受け取る仕事もあります。学生時代に、そうした経験を積むのは悪くないのかも知れません。接客業に従事する人材を育てたいのなら、出資者の披露する人生訓に感心してみせる練習は有意義です。普通の会社だって、役員のご機嫌を取る能力は出世に欠かせませんしね。

 

 「まず英語教育に力を入れる」。永守氏がモーターエンジニアの育成と並んで重視するのが、英語を話せる人材の育成だ。中学、高校、大学で学んでいるにもかかわらず、それだけでは世界と渡り合う英語力は身に付かないのが実情で、ビジネス上も大きなハンディとなっている。それを一番肌で感じているのが、グローバル企業である日本電産グループのトップである永守氏自身だ。

 英語力不足の原因は「読み書き偏重の英語教育」と見る永守氏は、聞く・話すを授業の中心に据える方針だ。卒業までに英語能力テストの「TOEIC」で一定の点数をとることを義務付け、それに達しない学生は「卒業させない」とまで言い切る。

 

 ……で、永守大先生が第一に掲げるのがコレです。まぁ、よくある話ですよね。猫も杓子も改革者気取りは英会話重視ですけれど、果たして大学の果たすべき役割は英会話学校の代替なのかどうか。TOEICで高い点を取る能力を求めている企業が多いのは分かりますが、しかし英会話学校で英語をどれだけ学んでも高卒以下では狭き門となる学校も多い、大学で学んだ中身は問われずとも出身大学のネームバリューは問われる日本的採用の矛盾をどうにかするのが先ではないかという気がしないでもありません。大卒者ではなく、英会話学校の生徒を採用すれば良いのにな、と私なんかは思いますね。

 それはさておき、英語力不足の原因は「読み書き偏重の英語教育」と永守氏は見ているそうです。これもまた数十年前から言われてきた紋切り型の批判ですけれど、現実はどうなのでしょう。私が知る限り日本人の英語力は――聞くと話すだけではなく、読み書きもまたレベルが低いわけです。読み書きすら十分に出来ないのに聞くのと話すのを中心に据えても、果たして効果はあるのでしょうか。読み書き偏重への批判は今に始まったことではなく、数十年来の積み重ねがあります。それが意味のある批判なら、日本人の英語力は既に大きく上向いていそうなものですが。

 

 「大学は出たけれど、実務は何もできません、英語も話せません、専門知識もありませんでは、大学でいったい何を学んできたのかということになる。大学進学者が今よりはるかに少なかった数十年前なら、教養中心のカリキュラムにも意義はあったかもしれません。しかし、高校卒業生の半分が大学に進学する現在、大学の役割も大きく変わって当然です。社会に出て即戦力となるような人材を育てることこそ、大学に求められているのではないでしょうか」

 

 そしてこれ、教養否定もまた「読み書き偏重の英語教育批判」と同様に長い歴史があります。教養に乏しい日本の経営者にとってはコンプレックスを刺激されるところでもあるのでしょうか。しかし日本の大学と海外の大学、より教養を重んじているのはどちらなのか、日本だけが教養中心のカリキュラムで、ヨソの国は違うのなら、話は分からないでもありません。ただ学外に漏れ出したカリキュラムを眺める限りでは、外国の権威ある大学ほど教養も高いレベルを要求されているように見えますね。

 それ以上に気になるのは、大学の教育が教養ばかりで実務や専門知識の教育に欠けるかと言えば、むしろ「企業の研修」の方がオカルトばかりで実務や専門知識からかけ離れたものが多いのではないか、ということです。日本電算の社内教育がどれほどのものか私は知りませんので、もしかしたら「大学とは違って」実務や専門知識をしっかり教えてくれるものなのかも知れません。ただ世間一般の企業研修って、コンサル業界のローカルルールに溢れた通俗心理学や精神論ばかりではないでしょうか?

 今も昔も研修として大人気なのは、自衛隊の体験入隊だったりします。先日は元・自衛官が警官を刺殺して拳銃を奪い、市民を殺害するなんて事件もあったばかりですが、それでも自衛隊は「社会人の先生」としての役割を広く期待されているわけです。そうでなくても「無人島でサバイバル生活」「醤油造り」「縦3m×横5m×深さ2mの穴を掘る」「集団の前で自己否定の発言を絶叫」「24キロを5時間以内で歩く」「素手で便所掃除」「社訓を35秒以内に暗唱」等々、企業研修には教養だけではなく実務や専門知識からもほど遠いものが盛りだくさんです。

 「社会に出て即戦力となるような人材を育てることこそ、大学に求められているのではないでしょうか」と私的な理想を述べるのは結構なのですけれど、日本人の教養水準は英語の読み書き能力と同様に十分とも思えません。そして即戦力となるべく実務や特定の知識に一本化した専門学校や英会話学校の卒業者が、大卒者以上に優遇されているということもないわけです。加えて採用した後の企業での社内教育は大学教育以上に専門知識から離れるばかりだったりするのなら、この永守尊師の教えも現実から乖離した妄想でしかなく、ただただ学生を振り回すばかりだと言うほかありません。

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