非国民通信

ノーモア・コイズミ

まず現状認識に疑問がある

2008-12-25 22:50:04 | ニュース

英語で授業、単語500増=脱ゆとり踏襲、理数前倒し-高校新指導要領案・文科省(時事通信)

 文部科学省は22日、2013年度の新入生から適用する高校の新学習指導要領案を公表した。小中学校の「脱ゆとり」を踏襲し、英語は単語数を500増の1800語とし、教員が英語で指導するよう定める。数学・理科の内容拡充は1年前倒しして12年度から実施する。高校の全面改定は10年ぶりで、意見募集を経て来年3月までに告示する。

 卒業単位は現行と同じ74以上。授業は標準の週30コマを超えて行えることを明示する。指導内容を広げる半面、義務教育段階の反復学習を認め、学校の実情に応じたカリキュラムを組めるよう工夫した。伝統・文化を重視して必修の世界史の中で日本の扱いを広げたり、各教科で論述・討論を充実させたりした。 

 要は教育行政の介入を減らし、学校が独自にカリキュラムを組めるようにすることが最重要だと思うのですが、今度の新方針はどうなのでしょうか? 「学校の実情に応じたカリキュラムを組めるよう工夫した」というのは、とりあえず方向性としては歓迎できます。しかし、強制されようとしているものもありますね、何でも英語は教員が英語で指導するように定めるとか。こりゃ随分と思い切ったものですが、教育面への影響はどうなるのでしょう?

 なんとなく、「英語は英語で教えた方が良い」「ネイティヴが教えた方が良い」「会話を重視した方がよい」と信じられているわけです。ただ、その根拠となると、途端に靄が掛かってきます。日本語を交えて英語を教えた場合と、英語だけで英語を教えた場合、後者の方が教育効果が高いと、そう客観的に示すデータでもあるのでしょうか? そうではなく、単なる思いこみで大胆な方針転換を図ろうとするなら百害あって一利無し、今までの教育行政の実績を考えるなら、なおさらです……

日本代表の評判、ドイツ編 - 蹴球計画 ~スペインサッカーニュース~

 ところが、今回のワールドカップにおける日本代表は、守備的に”イノセンテ(無垢)”であり組織がないチームと評価された。この一方で、個人能力はそれなりの評価を受け、特に中盤の技術は高く評価された。例えば、オーストラリア戦の終了間際に福西がミドルシュートを放った場面では「日本人って上手ね」という言葉が聞かれ、ブラジル戦の開始直後に中田が玉田へ出した絶妙の縦パスは感嘆をさそった。このため、今回の日本代表は「技術のある選手はいるが組織がない」という、これまでとは正反対の評価を受けた。

 とても面白いサイトなので、サッカーファンなら是非一読して欲しいサイトなのですが、それはさておき、試合を観戦した人が日本代表をどう評価したかを見てください。従来の紋切り型の評価では、日本サッカーとは個人技ではなく組織力のサッカーでした。ところが、実際に見てみたら大違い、組織力には欠けるが個人技は悪くないのが日本代表の姿だったわけです。少なからずジーコの志向も反映された結果ではありますが、思いこみと実態は必ずしも一致しないものです。そこで、個人技はあるが組織力がない、組織力に問題を抱えているにもかかわらず、「日本には組織力はあるが個人技が足りない、個人の能力を何とかしなければ」と、間違った認識に基づいて対策を練るとしたらどうなるでしょうか? 間違った認識の上に、有効な対策など取れようはずがありません。

参考、ビューティフル・ジャパニーズ

 上のリンク先はだいぶ昔に書いたものですが、TOEFLの平均点を取り上げたものです。日本人受験者の平均点は低いのですが、それは日本人受験者の数が極端に多い――実力診断や資格代わりにと軽い気持ちで受ける人も多い――からであって、別に日本人の英語力に問題があるわけではないことを指摘しました。日本よりずっと貧しい国が、日本より遥かに高い平均点を記録したりもしますが、「受験者の大半は外務官僚志願者」みたいな国と比較するのはナンセンスです。

 で、あまり平均点の高くない日本人受験者ですが、リスニングの点以上に、リーディングの点が低かったわけです。リスニング能力に全く問題がないとは言えませんが、それ以上に読解能力に不足がある、そう判断するのが妥当でしょう。しかし、一般に信じられている現状認識はどうでしょうか? 文法能力が問題なのではない、会話能力が不足しているのだと、そう固く信じられています。その認識が間違っている可能性は、どれだけ考えられているのでしょうか? 考える必要もないとばかりに打ち捨てられているのではないでしょうか? 「文法重視の英語教育は誤りだ」を合い言葉に、体系的な理解を蔑ろにしてきたことこそが日本人の英語能力を損ねてきた可能性があります。

 もし本当に会話能力に問題を抱えているのであれば、昨今の教育方針は、とりあえず方向性としては正しいのかも知れません。しかし、会話能力ではなく読解能力に不足があるのなら、欠陥を放置したまま脆弱な土台の上に重荷を積み重ねるようなもの、砂上の楼閣を築くがごとしです。思いこみで教育現場を振り回すのを止め、正しい現状認識を心がけること、今までの偏見にしがみつくのではなく、現実を直視することが求められます。

 

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5 コメント

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Unknown (非国民通信管理人)
2008-12-29 21:47:53
>Ladybirdさん

 弊記事の御紹介、ありがとうございました。残念ながらトラックバックが届いていないようです。楽天blogからは過去に何度かTBをもらっているので、通らないことはないと思うのですけれど、時々gooブログは訳のわからないフィルタリングが、ブログ管理者の手の届かないところで暗躍するものでして……
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引用しました (Ladybird)
2008-12-29 14:05:43
 こんにちは.勝手に引用ごめんなさい.
 トラバお送りしてあったのですが,届いてないかも.
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-12-27 00:06:23
>怪人20面相さん

 出来る生徒だけ相手にしていれば現場も楽ですけれど、本来の公教育の理念には背くわけですからね。何を学んだかは問われないけれども学校歴は問われるものですし、何のための教育か、それが考えられていないような気もします。

>GOさん

 ある意味では、「現状を認識する能力」よりも「現状を受け容れる柔軟性」の欠如が問題のような気もします。一昨日の救急車のタクシー利用の件もそうですが、自分の信じたいものを信じる、現状が同であろうと、自分の信じたいものを真実だと思いこむ、そうした性向をどうにかしませんとね。
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Unknown (GO)
2008-12-26 23:05:38
ご無沙汰しております。
現状認識が間違った上でいくら「対策」というものを立てても、まるっきり効果がないのは自明のことですね。
で、
>リスニング能力に全く問題がないとは言えませんが、それ以上に読解能力に不足がある、そう判断するのが妥当でしょう。しかし、一般に信じられている現状認識はどうでしょうか?

英文読解は私も苦手でしたが、巷には日本語の読解、日本語の資料すらまともに読むことができないネトウヨ諸君(ちゃんとした言論媒体に書いている論者でも、このような主張をすれば私はネトウヨ規定をいたします)が多い、これは現状認識が正しくできないやつが多いということになるかと思います。
教育の場で「現状を正確に認識する能力」をつけるには、どうしたらよいのでしょうかねぇ~
返信する
詰め込み教育の復活 (怪人20面相)
2008-12-26 21:38:37
詰め込み教育の復活といったところでしょうが、今まで以上に、ついていけない生徒、落ちこぼれる生徒を多数出すことになるのではないでしょうか。
新指導要領案は、出来る生徒を基準に考え、出来ない生徒への配慮が全くないように思います。
出来ない生徒、落ちこぼれる生徒が学校で、あるいは社会に出てから不利益を被ることがあっては絶対にならないと思います。
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