非国民通信

ノーモア・コイズミ

よみがえれ族議員

2013-09-04 23:44:28 | 政治

「族議員」報道に批判=自民(時事通信)

 「族議員の復活とは何を指しているのか」。自民党国土強靱(きょうじん)化総合調査会の二階俊博会長は29日の記者会見で、2014年度予算概算要求をめぐるメディアの報道ぶりを批判した。

 概算要求の月内取りまとめに向け、自民党議員がそれぞれの得意分野を中心に歳出圧力を強めている。二階氏は「われわれは災害と関わりが多く、それを一生懸命やったからと言って、族議員との呼称でマスコミが言うのはおかしい」と主張した。

 同日の町村派会合では、町村信孝元官房長官が「自分はこの問題で一生懸命働いていくということを、はばかることは全くない」と強調。「どんどん族議員になってください」と報道に臆することがないよう促すと、出席者からも「そうだ、そうだ」との声が上がった。

 

 何だかこの報道は盛り過ぎと言いますか、断片的な台詞の隙間を記者が勝手に埋めている印象も拭えないところです。まぁ2014年度概算要求の是非はさておき、いわゆる「族議員」の扱いはどうでしょう。二階氏が「族議員との呼称でマスコミが言うのはおかしい」と、「族議員」と呼ばれることを厭う一方、町村氏は「どんどん族議員になってください」と一種の開き直りが見られます。二階氏にしても「族議員」と呼ばれることは嫌がるようでいて、一般に「族議員」と名指されるような政治家の在り方にまでは否定的ではなさそうにも見えるでしょうか。

 私としても、「どんどん族議員になってください」と言いたいです。むしろ「族議員」が悪いものとして与党の内側からも否定されるようになった、族議員が姿を潜めるようになった結果として今に至る政治のポピュリズム化、日本社会の貧困に繋がっているのではないでしょうかね。そもそも「族議員」がダメなら、その対極はどうなのか、族議員の対極的なものとして待望されたのは「しがらみのない」政治家であり、台頭の続くポピュリズム政治家、ポピュリズム政党と言えます。しかし、彼らがもたらしたものは?

 前政権である民主党もまた、族議員的な在り方に強く否定的であった、「しがらみのない」姿勢をアピールしたがる政権でした。詰まるところ、自身の支持母体に便宜を図ることを避ける、むしろ自分たちを支持しない、自分たちの(国政上に限っての)対立政党を支持する層の顔色を窺う傾向が強かったとすら言えます。民主党の最大の支持母体である連合、そこに所属する労組の組合員達を蔑ろにする、むしろ経営側の傍若無人な振る舞いを許すことで、「ほら、自分たちは支持母体を依怙贔屓したりしない、公明正大な政党でしょう?」と胸を張る、そんな立ち位置だったわけです。

 民主党のように支持層の利害関係を代弁しない、支持組織の役に立たない政治家は、はっきり言って「必要がない」と思います。当選しても支持者のために行動してくれない政治家など不要です。むしろ、それぞれの地域や諸々の業界、各種の階層を背負った議員が自分たちの支持基盤のために働き、利害関係をぶつけ合う中で調整を積み重ねていくのが政治としてはマトモ、少なくとも昨今の流行廃りに流されて有権者のご機嫌伺いに奔走する政治よりは格段に真っ当なものではないかと、そう思うところです。

 だから本当に族議員が復活しているのであるのなら、それは好ましいことだと私は考えます。どうにも思慮に欠けるとしか言い様がない「民意」に合わせて、その場その場で調子の良いことを口にするばかりの政治家や、何かに連れ勇ましくも無価値な言動で有権者を焚きつけるばかりの政治家など百害あって一利なしです。むしろ、業界や支持母体、地域と密接に繋がった政治家こそ意味のある政治家である、そして「しがらみがある」とは「ブレーキが付いている」ということでもあると思います。現に何かと暴走するのは「しがらみのない」ポピュリズム政治家であって、族議員ではないはずです。流行次第で簡単に支持層を切り離して独善的に振る舞える政治家と、支持母体と一心同体の利害関係で縛られた政治家、どちらが安心できるでしょう?

 

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