非国民通信

ノーモア・コイズミ

一戸建てに住んで何が悪い?

2008-06-23 22:56:08 | 編集雑記

 gegengaさんのところで知ったのですが、産経新聞が色々と酷いようです。産経新聞ですから今さら驚くことではないわけですが、まぁ詳細はリンク先をお読み下さい。

あふれ出る悪意と偏見(かめ?)

 内容はと言えば釜ケ崎の暴動の件で、抗議の先頭に立っていた稲垣氏が道交法違反容疑で逮捕された辺りまでを扱っています。で、府警幹部のコメントとして産経新聞が取り上げたのがこちら、

 「労働者の側に立つ自分をアピールして、活動へのカンパを集めやすくしているのではないか。稲垣容疑者自身、一戸建ての住宅に住み、高級車に乗っていることをどれだけの労働者が知っているのだろうか」

 あーあー、色々な意味で的を外れたコメントですが、類似のものは良く見ます。使い古された印象がありながらも繰り返されるのは、それが有効だからでしょうか。例えばそう、色々と構って欲しそうな赤木智弘さん(今日もリンク貼ってくれるかい?)が『蟹工船』のブームに触れてこう語っていました。「『蟹工船』の世界は、結婚している労働者がいるなど、今のフリーターより恵まれて見える面もある」と。う~ん、さすが目の付け所が(私とは)違いますね(産経新聞やポリとは一緒ですが)。

 そいつはそうと、府警&産経新聞のコメントにgegengaさんは反論されるわけです。

稲垣容疑者がどんな家に住んでどんな車に乗っているのか知りませんが
この書き方
「稲垣容疑者は、活動へのカンパを私的に流用して贅沢している」
と、臭わせているように感じられる。
そうじゃなきゃ
「ドヤ街で労働運動をするような人間は私財を全部なげうつべきだ」ってこと?
そこまで労働運動のハードルをあげられちゃあ、たまらんわな。

 いやはや、全くです。高級車ってのはたぶん誇張でしょうが、一戸建ての家に住んでいるくらいで労働運動に携わる資格を問われるとしたら堪ったもんじゃありません。貧乏にならなきゃ労働者の味方ではないというなら、よほど奇特な人じゃなきゃ労働者の味方なんてしません。何らかの点で恵まれていることを理由にその人を拒絶するなら、それは他人に貧しくなれと迫っているのと同じです。「本気で革命するつもりなら、その美しい顔を潰してみろ!」、そんな発想と同じなのです。

 それはさておき、我々はもっと打算的にならなきゃいけません。先日は労働者にとって望ましい雇用主の条件を問いましたが、今度は望ましい労働運動の指導者の条件を問いましょう。労働運動の目的は何ですか? 待遇改善ですか? それならば、その目的達成のために有用であることが指導者の資質を問う唯一無二の要件です。待遇改善という結果を導くことが出来なければ、いかに献身的で善意溢れる指導者であっても失格です。一方、労働者の待遇改善を導くことができる指導者ならば、彼がどれほど強欲であったとしても、その責務を果たしています。

 ところが、しばしば基準は別のところに動かされます。目的本位の基準ではなく、道徳本位の基準に。すなわち目標達成のために有用かどうかではなく、道徳的な善悪がそれに取って代わるわけです。良き指導者とは献身的で清廉な指導者、強欲にして貪欲な指導者は悪であると。先日のエントリの使い回しですが、どこも似たようなものなのです。そしてこの産経&府警報道は稲垣氏の(ドヤ街の労働者よりは恵まれている)生活環境を引き合いに出し、そして道徳的な判断を迫るわけです。

 ともあれ、このハードルを上げること、労働運動に過剰な自己犠牲を要求することで2つの拒絶が作り出されているわけです。一方は参加することへの拒絶で、労働運動への参加が私財を投げ打つことを要求するなら、自ら進んで労働運動に参加しようなどと思うのは極々一部のスキモノだけになります。そしてもう一方は労働運動を支持することへの拒絶で、その参加者や指導者が十分に犠牲を払っていないこと、私財を投げ打っていないことを理由に彼らの運動を否定する世論がそうです。昨今はとりわけ後者が濃厚ですが、いやはや、いつからこうも献身的であることが当然視されるようになったのやら。

 そもそも献身的であった方が望ましいと思うなら、それは大間違いです。他人の犠牲は厭われるが自己犠牲は美しい、そう思ったら大間違いなのです。いいですか、自己犠牲を賛美するような社会なり共同体では必ず、あなたにも自己犠牲が求められます。善行として。自己犠牲も他人の犠牲も一緒です。もし指導者が極度に献身的な人物であり活動のためにあらゆるものを犠牲にして厭わない、その姿勢が信奉されているとしたら、いずれ参加者であるあなたにも同様の振る舞いが実質的な強制として奨励される日が来ます。むしろ我々は献身的な指導者像に警戒を抱くべきです。一戸建てに住むことを自らに禁じるような指導者は、いずれあなたにその機会が訪れたときに必ずやそれを禁じます。反対に普通に家くらいは建てている、人並みに欲望を肯定している、そういう指導者こそ安心して担げると考えるべきなのです。

 

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23 コメント

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馬鹿 (Bill McCreary)
2008-06-23 23:40:44
>稲垣容疑者自身、一戸建ての住宅に住み、高級車に乗っていることをどれだけの労働者が知っているのだろうか

一言。「馬鹿」

だからどうしたって言うんでしょうね。私だって(笑)一戸建ての住宅くらい住んでいますよ。ていいますか、国民が保守的になるように、自民党政権って、かなりむりやり一戸建ての住宅に国民が住むような政策をしていませんでしたっけ。

例えば以前、南京事件を研究している故・藤原彰氏は、右翼から「南京事件で金儲けをしている」とののしられたそうです。藤原氏は「持ち出している」と反論していましたが、そして藤原氏が身銭を切っていたというのは事実でしょうが、別に金儲けしたって悪いことでは全然ありませんよね。大いに結構なことです。こういったことを批判する人って、資本主義や金儲けを否定しているのかな。あんまりそのようには思えませんけどね。

>自己犠牲を賛美するような社会なり共同体では必ず、あなたにも自己犠牲が求められます。

それが極端になってしまうと、ポルポトみたいになってしまうわけですよね。もっとも日本では、自分ならぬ他人に犠牲を要求する稲田朋美みたいな人もいますが・・・。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-23 23:52:47
>Bill McCrearyさん

 なんと言いますか、庶民の声を装って金儲けが悪にされちゃうところもあるのですよね。一戸建てに住むことが悪いことにされたり、ゆとりのある生活を送ることが悪いことにされる、じゃぁ何を理想としているのか、誰もが安アパートに詰め込まれて貧困に喘ぐ生活を目指しているのかと、禁欲と献身を求める運動の行き着く先はそこでしょうか。そうして自己犠牲が当たり前のことと思われるようになると、他人に犠牲を求める「御上」の声が自然に聞こえてしまうのでしょうかね……
失笑 (Elekt_ra)
2008-06-24 00:20:10
お久しぶりです。
どうもサンケイには、「組合幹部=労働貴族」への嫌悪は相当あるんでしょうね。まあ、これがそのまま橋下知事VS府労連幹部の記事の論調に繋がる感じですが。
まあ、私も某企業の「御用」組合に属してはいますが、人事反転問題なので困ったときはいろいろ助けてもらって、今の希望の職種に就けているわけで、別に組合地本の幹部が一戸建て住んでようが、海外旅行行こうが、組合活動としてしっかりやってくれれば紛れもなく自分にとっては「いい組合」なので、なんで外野がこんなくだらないことに嬉々としているか理解できませんね(笑)
まあ、敢えて穿った見方をすれば、サンケイは他の新聞社よりも福利厚生には恵まれていないとは聞きますが。

ちなみにサンケイはこういうビジネスもやられているそうです。
http://www.fcg-r.co.jp/union/outline/index.htm
Unknown (Akabayan)
2008-06-24 03:51:00
はてブで散々ツッコミ入ってますが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080622/crm0806221249008-n1.htm

>「ダライ集団の正体」みたいな記事だな。


ってコメントがやたらうまいと思いました。


Unknown (Akabayan)
2008-06-24 04:06:04
連続ですいませんが、

>金儲けが悪にされちゃうところもあるのですよね。一戸建てに住むことが悪いことにされたり、ゆとりのある生活を送ることが悪いことにされる、

なんというか、一体、自由経済を守ろうとしてるのはどっちなんだか、ってなかんじになってますよね。 最近のこちらのブログ記事のノリも。

産経のこういうノリって、「自由主義が嫌いなくせしてネオリベ」なんで、なんか余計に醜悪かと。巷のネットで見かけるネオリベさんにも多いです。妙に全体主義的。ネオリベの長所がなくなっちゃってる。

道徳的厳格主義みたいのとネオリベが便宜上くっつくことありますが、ここまでアレな方向で醜くなるのは、日本的というか日本の保守派的特徴や小市民的特徴のせいなんでしょうかねえ。
「かっこいいタカ派の影響力」という題名で以前書いたことですが (貝枝五郎)
2008-06-24 09:12:35
さすがは「非国民通信」ですね。
「みずからも禁欲的であるので自己矛盾はきたしていない」というタカ派の影響力は、説得力をもちうるがゆえに、『週刊現代』で金脈を追及されている安倍前首相や麻生氏よりも、ある意味こわいです。「かっこわるいハト派であっても生きていてよい」という社会的な合意形成をいかにつくるかが課題なんでしょうけれど、「かっこわるい」という属性を持っている時点で本質的にカリスマになりえないので求心力はもちえないでしょうから、カリスマにあこがれる社会的風潮自体を克服しないかぎり、形容矛盾していることをやらねばならなくなりますね。
てゆーか左派にも禁欲的な人が多すぎのような気がします。いや「貝枝の様にオタク電波ダダ漏れな人間がそれよりマシである」という保証もないんですが。
さきほどの書き込みと矛盾しているように感じるかもしれませんが (貝枝五郎)
2008-06-24 09:47:19
先ほどの書き込みと矛盾しているように感じるかもしれませんが「社会にカリスマ待望論があるかぎりは、揚げ足取りをされないために禁欲的であるべき」という主張にはそれなりの妥当性がありそうですね。もちろん、上記のBill McCrearyさんの書き込みにあるように金をもらって南京大虐殺の研究をしても悪いわけではないはずですが、それを悪いと感じる社会風潮があるあいだは、自腹でできる範囲の研究にとどめるという禁欲的な態度も(残念ながら!)必要なのかもしれません。「最悪でも生き残る手段」を考え「臆病者ともいえるほど慎重であって正しい」(『新コータローまかりとおる!柔道編』講談社・24巻・41ページ)という台詞は至言であるように思います。ああメンドクサイ。
ゴリ左翼に通じる (kuroneko)
2008-06-24 09:53:14
福祉にしても労働運動でも、それをやる人は清貧だったり禁欲的だったりすべきで、企業活動をする人は、贅沢してもいい理由ってなんでしょうねえ。

最近は運動シーンもNGOなんかが増えて、ボランティアに頼らず、払える対価は払うべきではという考え方が増えてきたように思う。オールド左翼はまだ滅私奉公的な考えを引きずっているように感じるけど。
というわけで、産経の感性はゴリ左翼と通底しているのでしょう。
何か胸のつかえが下りたような気がします。 (ニュースコープ)
2008-06-24 18:55:59
 前々からよくありますよね、こういった「弱者救済」的運動に携わろうとする人を、当の弱者が「お前らみたいに豊かな生活をしている者に、俺たちの何が分かる!」と罵り、更にそれを(正に3K新聞のような!)「強者の味方」的なメディアや文化人が煽り立てる構図――典型的な「分断主義」という奴でしょうか。労働運動にせよ同和問題にせよ沖縄問題にせよ、昔からありとあらゆる場所で見られた光景です。

 私も以前から沖縄問題に関心を寄せる中で(他の社会問題も同じです)、「所詮は内地人であり、基地のそばに住んでいるわけでもない自分に、どれだけ彼らの気持ちが分かるというのだろう」と悶々とした思いを抱いてきましたが・・・こういう風に書いていただけると、良い意味での「開き直り」と言いますか、胸のつかえが少し取れたように思います。

 にしてもこういった分断主義が、日本におけるこの手の「弱者救済」的運動を軒並み衰退させてしまった――と考えるのは、些か早計すぎるでしょうか。
卑しい考え (単純な者)
2008-06-24 19:11:38
こんにちは。

げすの勘ぐり休むに似たりのひとことですね。
こういう記事を書く人間、採用する編集者、もしかして最初から目的的に書かすということもあるのだからして、その立案者の顔を見たい。反論は管理者さんの
全面勝利に軍配としたいです。

しかし一応の学歴とかいいとこの家族も可愛い子供もいるだろうに心底の「げす」記事です。

昔友人の労働争議の傍聴に行ったら、友人の私生活である恋人関係のあれこれを若い検事が「云わされていた」ので、ヤジってやったら、若いだけにその検事が下向いていたことを想い出しますよ。

では。

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