ボスキャリ初日で見られる状況は、日本人留学生が、外資系企業のブースに長蛇の列を作る一方、日本企業のブースに閑古鳥が鳴いているのが現実だ。
ここでも、日本企業の魅力度は低く映っているのである。そして、日本企業に勤めることが決まった学生は、心なしか肩身が狭いようにも見受けられる。
それでも、ボスキャリに出展している日本企業は日本においては就職人気ランキング上位の企業ばかりである。そうした日本の人気企業であっても、有力な米国大学の優秀な日本人留学生からは敬遠されるのが実態である。
ボスキャリで学生を採用した某大手日本企業のC氏は次のように話す。
「初めてボスキャリに参加しましたが、希望するトップスクールの学生からは全く応募がありませんでした。とりあえず、語学のできる学生を採用したものの、米国的に自分の権利だけ主張して、義務である仕事の内容はお粗末。もうボスキャリには参加しません」
米国への日本人留学生が日本企業で活躍していくことで、人事政策において内向きの日本企業に風穴を開ける起爆剤の役割が期待されるが、日本企業が採用できる留学生の質と企業が期待する質に、現実的なギャップが存在しているようである。
前回のこのコラムでも書いたが、給与や待遇を世界標準にするのはグローバル化時代に取り残されないためにも絶対に必要だ。
ボスキャリ、というのはボストンで開かれた日本人留学生向けの就職斡旋フォーラムだそうです。見出しでは「日本企業にそっぽ向く日本人留学生」とありますが、同時に「日本人留学生にそっぽ向く日本企業」の存在も浮き彫りにされているように思います。引用元記事の前回のコラムでは、韓国の企業がゴールドマン・サックスやマッキンゼーに内定が出ている20代半ばの欧米の学生を年収1500万から2000万円の高額で自社に釣ろうとしていることが触れられていますが、例によって日本企業は待ちの姿勢に徹しているようです。日本企業にとって採用とは学生が頭を垂れて乞うもの、企業側が自ら出向いて条件を引き上げるなど、あってはならないこととでも考えているのでしょう。
ともあれ外国語や海外生活に適応できる人にとって、日本企業は魅力がないことが伝えられています。賃金が高いわけでもない、労働環境の悪さはつとに有名、一世代前であれば「地道にコツコツ務めていれば徐々に賃金が上がる」という武器があったはずですが、今となっては絶えず賃下げの圧力に晒されるばかり、ちょっと雲行きが怪しくなれば「ただ乗り社員」呼ばわりされて首切りのリスクに晒される、これでは人が集まるわけがありません。外国語が苦手だったり海外生活に不安のある人ならいざ知らず、アメリカ暮らしの長い留学生に日本企業を選ぶ理由がないのは当然です。
「希望するトップスクールの学生からは全く応募がありませんでした」と、日本企業の採用担当者は語ります。学校で習ったことは否定する、学生気分では困る云々と煩いくせに、相変わらず学校歴へのこだわりが強い様子が窺われます。そもそもトップスクールの学生にふさわしい待遇を用意できていたのでしょうか? 単に留学生の出身国の企業だという理由だけで、相対的に低賃金でも優秀な学生が大挙して押し寄せてくるなどと思っていたとしたら、まぁ甘ったれるのも大概にしろと言うほかありません。そんな甘えが通用するのは、超買い手市場の日本国内だけです。
「米国的に自分の権利だけ主張して、義務である仕事の内容はお粗末。もうボスキャリには参加しません」とも日本企業担当者は言い放ちました。グローバル化に対応するつもりなら、「米国的」なるものに学ぶ姿勢も必要なのではないかと思われますが、「義務である仕事」ばかりを押しつけたがる、自国の流儀を押し通そうとしているわけです。この辺もやっぱり日本でしか通用しない、海外では通用しないやり方だからこそ優秀な学生を確保できない結果に繋がっているのでしょう。
全く明るい兆しの見えない日本市場(こうなった原因は企業の過剰な賃下げにもあるのですが)から海外市場に目を向ける、海外進出を加速させる企業は後を絶ちません。先日取り上げた日立など、事務系の新規採用者は全員「グローバル要員」だそうです。海外留学者を活かせない日本企業がグローバルを語るのも臍が茶を沸かすような話ですし、それ以上に全員を「グローバル要員」とするのは無駄が多いようにしか思えなかったのですが、要は日本的な労働観、日本的な労使関係も一緒に海外進出させたいというのが日立に限らぬ日本企業の思惑なのかも知れません。現地人や留学生を採用してしまうと、「米国的に自分の権利だけ主張して、義務である仕事の内容はお粗末」な人が増えてしまう、それよりは日本の従順な社畜をそのまま海外に持ち込みたい――これでは優秀な人材が集まらないのも無理ならぬ話です。
>要は日本的な労働観、日本的な労使関係も一緒に海外進出させたいというのが日立に限らぬ日本企業の思惑なのかも知れません。
ということなのかも。そう考えると、いまの新入社員たちが海外勤務を嫌がるのも(前にもコメントしたように)まことに妥当な判断だということになるでしょう。
労働者と企業はある意味対等であり
アメリカンな学生なら
当たり前ですがタイム伊豆マネーなんだから
どこかの歌劇団じゃないが清く正しく美しいのを
労働者側だけに求めるとは
優秀な人材を確保したければそれにふさわしい待遇を用意しなければならないはずなのですが、買い手市場になれきった日本企業には難しいことなのでしょうね。グローバル化というのなら、雇用や労働環境もグローバル化しなければならないはず、それなのに日本流の労使関係を堅持しようとしているからこそ、色々とガタが来るのかも知れません。
>介護員さん
それが日本の労使関係なんですよね。労働者側が雇用者に無償でサービスをするのが当然と思われている、アメリカ式の「働いた分の対価を払え」という至極当然の感覚が理解できていないようですから。
>2823さん
収穫なしなんて思えるのは、それこそ採用担当者の不作為と責められてもおかしくないはずなのですが、結局のところ求職者側を詰っておけば済まされる、そんな風潮が強いんですよね……
>ローリーさん
海外生活に対応できる人は、他所の企業に出て行ってしまいますよね。そして他の企業に逃れられない人だけが残る――人材確保という面では、どう見てもマイナスです。
元もとの由来は、郭隗が燕の昭王に献策した、優秀な人材を集めたいのであれば、まず、身近に居る人材を厚遇しなさいというものですが、まさにそれに該当すると思います。
優秀なグローバル人材を集めたいのであれば、まず、国内の従業員に国際的に見て劣らない待遇を与えなさいということになるでしょう。
根本的な問題は、本当に人材を求めるのであれば、良い待遇を用意すべきなのにそれを怠り、国内でしか通用しない古い精神論で語るバカな経営者や人事担当者が跋扈している現状ですね。
最近の法人減税論もそうですが、日本の財界・経営者層は、求めるばかりで与えようとしません。
日本には、人材が居ないというよりも、昭王のようなまともな経営者がいないというべきですね。
現状、正社員も非正社員も安く使い捨てているようでは、国際的に活躍できる人材が集まる筈もないですし、一部の企業のように、見返りも無しにグローバル人材になることを求めても達成不可能であるか、レベルアップした社員が逃げ出すだけでしょう。
契約どおり有給を取得しても、契約にないサビ残やら強制飲み会の参加やらを断っても、
「権利の乱用」になるんでしょうね。
この国はいまだ近代的な契約の概念が浸透していませんね。封建領主が農奴を使う感覚で経営している。
「サムライの国」はその名に違わず未だに中世半ば、
せめて中世末葉のグローバルな大航海時代くらいにはなってほしいですね。
今となって企業が海外に流出するより先に、グローバル化に対応できる人材が高い賃金を求めて海外に流出することを心配した方が良さそうに思えてきますね。従業員よりもまず、経営する側がグローバル化して欲しいところですが……口ではグローバル化を語りつつも実際は日本流を押しつけるばかりなのですから、どうしようもありません。
>yazakikumiさん
言うなればビジネスライクな関係が、日本の労使関係においては好まれないのかも知れません。本来ならば契約に基づく関係であるはずが、どうも日本企業においては主従関係のごと着物と勘違いされている、封建領主に喩えられるのももっともなことだと思います。
>princessmiaさん
脱出できる人は脱出した方が良いでしょうね。海外暮らしの負担と日本企業で働くことの負担を天秤にかけて……