非国民通信

ノーモア・コイズミ

黒字と借金

2019-12-22 21:54:25 | 政治・国際

 当たり前のことですが、誰かがお金を貸すということは、誰かがお金を借りると言うことです。逆もまた然りで、誰かがお金を借りるということは、誰かがお金を貸すことを意味します。勿論お金を物理的に裁断したり焼却したりすることはできますけれど、原則としてお金は持ち主が変わるだけで、なくなったりはしないものです。

 また「貸す」という言葉こそ使われませんけれど、銀行に「預ける」という行為もまた同様です。借りるのではなく預かっているだけ――ということはなく、銀行は貸し手の求めに応じて返済する義務を負いますから、要するに預金者に借金をしているのと同じ意味合いを持っているわけです。預金残高の多い銀行は、それだけ借金が多いと言うことができます。

 もし預金者から借りた金を銀行が自らの収益で返済しようとしたのなら、それは即座に不可能であることが分かるでしょう。ただ、預金者サイドからすれば返済されても困るので、銀行には資金がプールされている、それだけの話です。預金者が引き出そうとする金額だけを返しているのが銀行という代物ですけれど、だからといって銀行の返済能力を疑う人はいません。

 さて一般会計が公表されると決まって「借金が~」と連呼する人が現れます。銀行であれば預金者から借りている金額の多い方が社会的信用は高いようですが、政府に対しては別の見方をしたがる人が多いのかも知れません。しかしまぁ、銀行から急にお金を返されたら預金者は困るわけです。国債を買っている人もまた、似たようなものではないでしょうか。

 誰かが借金をするということは、別の誰かが貸している、ということです。借金が増えれば、それだけ他の人の貸し付けが増えることを意味します。そこで借り手と貸し手の間のパワーバランスは変わる可能性はあるとしても、お金が増えたり減ったりはしません。この辺は、借り手が日本国政府であろうと何ら異なるものではないわけです。

 金融機関の取り付け騒ぎは、経営破綻するという噂や不確実な情報、デマが引き金になることが多いと言われます。ならば現代は日本国政府を相手に取り付け騒ぎを起こそうとしている反政府勢力の活動が目立つとすら思えてきますが、いかがなものでしょうか。銀行が預金者から借りているお金を返済すれば、その銀行の経営が健全化されると考えるなら、日本国政府の借金も同様なのかも知れませんが。

 財務省やIMFと違って、市場は嘘を吐きません。世界のどこかで金融不安が起こると、決まって「安全な通貨」として日本円が買われ、円高が進みます。世界の金融市場では、日本の通貨は信頼できるものであり続けているようです。日本国政府の借金は増え続けていますが、それは銀行が預金者から借りる金を増やしているのと同じようなものと市場からは見られているのでしょうか。

 なお日本国政府が借金を増やす一方で、日本国の経常収支は大幅な黒字が続いています。経常収支が黒字になりやすいのは新興国であって、一般的に先進国の経常収支はあまり大きくならないのですが、日本は近隣窮乏化政策の総本山たるドイツに次ぐ経常収支の黒字大国だったりします。もう日本は先進国から離脱しているのではないかという話はさておき、「国民一人当り○○万円の借金が~」みたいな言説とは大きく矛盾していますね。

 しかるに経常収支が黒字なら豊かな国かと言えば、そうでもないわけです。例えば収入が20万円で支出が20万円の暮らしと、収入が40万円で支出が40万円の暮らし、豊かなのはどちらでしょう? 日本国を家計で例えるなら、収入が20万円で支出が19万円、一方のアメリカは収入が40万円で支出が41万円みたいなものです。ではこの先の日本国及び政府がどうあるべきかを思うと、少なくとも緊縮財政は違うだろうな、と。

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相変わらず根強い脱成長論と緊縮増税論 (nordhausen)
2021-10-20 20:33:00
https://mainichi.jp/articles/20211018/k00/00m/040/008000c

記事で取り上げられている広井良典京大教授は、典型的な脱成長論者かつ財政危機/緊縮増税論者として知られています。昨今において、矢野康治財務事務次官が「文藝春秋」に「このまま財政赤字を拡大させていけば日本が財政破綻する」という内容の論文を寄稿したことで話題になっていますが、広井教授の主張もそれに劣らずなかなか凄まじいものがありますよね。何しろ彼は「経済成長があらゆる問題を解決するという昭和的な発想から脱却し、持続可能な福祉社会へと転換すべき。政府に求めるのは、まずは大前提として1200兆円を突破した国の借金を何とかすべき」と主張していますからね(正確には「国の借金」ではなく「政府の借金」なんですが。そもそも、デフレ不況が続き、経済成長を放棄した社会で持続可能な福祉社会が築き上げられるのか大いに疑問ですね)。そうなると、日本経済はゼロ成長あるいはマイナス成長への一途をたどり、国(政府)の借金返済のための今よりも苛烈な緊縮増税政策が行われることは確実でしょうね。そうした将来の日本社会が行き着く先は、「持続可能な社会」でも「定常型社会」でもなく、「持続困難な社会」かつ「腐敗、衰退、縮小社会」ですし、そういう社会こそが「将来世代へのツケ」でしょう。広井教授の主張は、少なくとも非正規労働者などの低所得層へ向けたものではありませんね。しかしながら、彼のように既に社会的/経済的に確固たる地位を築き上げた人たちの脱成長論や緊縮増税論、精神的幸福論を好意的に受け止めている人たちが少なからずいるのも事実なのでしょう。

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