第一次世界大戦の結果、ヨーロッパでは3つの多民族帝国が崩壊しました。オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、そしてロシア帝国です。まずはオスマン帝国、こちらはオスマン「トルコ」とも呼ばれることはあるものの、あくまで「オスマン家の帝国」であって、必ずしもトルコ人の支配した国家を意味するものではないとの評価が現代では一般的と言えます。また歴代の皇帝の母親はトルコ人とは限らず、トルコ人同士で婚姻を重ねていた現地人とも相応に毛色は違ったことでしょう。
これは王族にはよくある話で「庶民」が一般に同国人同士で結婚するのとは裏腹に、王家の人間は国外の王室と婚姻関係を結ぶことが珍しくありません。結果として王族というものは得てして外国の血を引いている、庶民がその国の「純血」である一方で、高い地位にある者ほど「混血」の割合が高くなりがちです。オーストリア=ハンガリー帝国は婚姻外交で勢力を拡大してきた「ハプスブルク家の帝国」の系譜を継ぐものであり、家の起源はアルザス(現在はフランス領)と伝えられるところ、そこから様々な王室との婚姻を重ねてきたわけで、オーストリアの皇帝とオーストリアの国民とでは「血筋」が随分と違っていたと言えます。
そしてロシアもまた同様で、皇帝と国民とではルーツが異なる、ロシア帝国の君主は国民を代表するものではありませんでした。端緒を開いたのは17世紀のピョートル1世で、積極的に外国人を登用して西洋化を推し進め、スウェーデンやポーランドを押しのけ他民族帝国としての地位を歩み出します。宮廷や軍隊には外国人が溢れロシア語よりもフランス語やドイツ語が飛び交う等々、ここからロシア皇帝の一族と外国の王族との婚姻も増加、皇位継承者の父親と母親のどちらかは外国人であることが常態化していきます。
例えば1762年(ユリウス暦では1761年12月)に皇帝に即位したピョートル3世の場合、母親こそロシア出身(ピョートル1世の娘)でしたが父親はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン(現在はドイツ)の公であり、元は「カール」と名付けられたドイツ生まれのドイツ育ちでした。これが紆余曲折あって「ピョートル」と改名してロシアの帝位を継承するのですが、ロシアの宮廷に馴染めず外交政策面でもプロイセン贔屓が際立ったことから貴族達の反感を大いに買ったと伝えられます。
このピョートル3世の妻は神聖ローマ帝国の出身で、やはりドイツ生まれのドイツ育ちでした。元は「ゾフィー」という名であったものの「エカチェリーナ」と改名してロシア皇帝家に嫁ぎます。夫とは裏腹にロシアに馴染む努力を欠かさなかった彼女はたちまち宮廷の支持を集め、ピョートル3世の即位から僅か6ヶ月後にはクーデターを決行、エカチェリーナ2世として帝位に就きました。生まれと育ちはドイツでも祖父はロシア皇帝だった夫とは異なり、あくまでロシアに嫁いできただけの外国人が皇帝になったわけです。
もっともエカチェリーナ2世はピョートル1世と並び称される名君で、西は宿敵ポーランドと争いプロイセン・オーストリア・ロシアの3国でこれを分割し、南はオスマン帝国と争い現在のウクライナ東部・南部及びクリミア半島をロシア領に組み込みます。そして現代のウクライナ中央部を治めていたコサックの自治も廃止されてロシアの直接統治となりました。ここがロシアによるウクライナ支配の起点の一つでもあるのですが、それは血統の面では全くロシアと無関係な、ドイツから嫁入りしてきた皇帝によって行われた点は留意して良いのかも知れません。
ロシア帝国の最盛期を築いたエカチェリーナ2世が崩御した後は、公的にはピョートル3世とエカチェリーナ2世の子とされるパーヴェル1世が即位します。その次世代はパーヴェル1世とプロイセン出身の妻との間に産まれたアレクサンドル1世で、アレクサンドル1世の没後は弟のニコライ1世が即位、ニコライ1世とプロイセン出身の妻との間に産まれたアレクサンドル2世、アレクサンドル2世とヘッセン大公国(これも現代はドイツ)出身の妻との間に産まれたアレクサンドル3世と続き、そしてアレクサンドル3世とデンマーク出身の妻との間に産まれたニコライ2世が、ロシアの最後の皇帝となりました。
ピョートル3世は現代日本で言うところの「ハーフ」に該当するわけですが、エカチェリーナ2世は完全な外国出身者、そして次世代のパーヴェル1世は「1/4」(ただし実父がピョートル3世かは諸説あります)、アレクサンドル1世とニコライ1世は「1/8」、アレクサンドル2世は「1/16」、アレクサンドル3世は「1/32」、ニコライ2世に至っては「1/64」しかロシア人の血を引いてはいないことになります。往々にして海外との交流が多い王族ほど国民を代表「しない」ものですが、ロシア帝国は典型的であったと言えるでしょう。
20世紀には混血の王族が多民族国家を統治するスタイルが廃れ、多数派を構成する民族とその代表者による「国民国家」の形成が進みます。かつてのロシア帝国の版図も例外ではなく、当時の流行でもあった「民族自決」の理念に沿って諸々の国家が誕生しました。一方で旧ロシア帝国領内の諸共和国の上には共産党が牛耳る評議会があり、これは奇しくも多民族帝国的な統治と似たところがある、民族自決や国民国家の理念を認めつつも、帝国に代わる新たなイデオロギー(共産主義)による多民族の統合を目指すものであったと考えられます。
政治的な意図を持った解説の場合、ソ連とは「ロシアが」他の14の共和国を支配していたように描かれがちです。しかし実態は「共産党が」「ロシアを含む15の共和国と」「少数民族の自治共和国・自治管区を」統制するものでした。確かに共産党幹部はロシア人が多数派を占めてこそいたものの、アルメニアのミコヤン、グルジアのオルジョニキーゼ、ウクライナ出身で祖国の農業集団化を主導したカガノヴィチ、オデッサ(現ウクライナ)でユダヤ人家庭に生まれたトロツキー、ミンスク(現ベラルーシ)でポーランド貴族の家に生まれたジェルジンスキーなど、ソヴィエト連邦を建設した主要メンバーの出身は多種多様なものがあったわけです。
そしてソ連の初代の指導者こそロシア人であるレーニンでしたが、その後はグルジア人のスターリン、ウクライナ人のフルシチョフ、ブレジネフと続きます。この3人がトップに君臨した期間は1924年から1982年までの58年、ソ連の歴史が1922年から1991年までの僅か69年であることを思えば、あくまで共産党による支配であってロシアによる支配とは言いがたいことが明らかです。ソ連時代に起こったことの責任をロシアに負わせたがる人は目立ちますが、ソ連はロシアだけで構成されていたわけでもなくロシア人が最高権力者であったとも限らない、と言うことは留意しておくべきでしょう。
2022年にロシア軍による直接介入が始まると、俄に「ホロドモール」とおまじないを唱える人々が現れるようになりました。これはソ連時代に農業集団化の過程で発生した飢饉の内、特にウクライナで起こったものを指すもので、ロシアからウクライナに対する加害として描写されることが多いものです。ただ当時のソ連の指導者はグルジア人のスターリンであり、ロシア人ではありませんでした。民意によって選出された為政者の行いであれば国民の責も重いですが、スターリンは暴力革命と粛正で権力の座に上り詰めた人間です。スターリンを「独裁者」と呼ぶのであれば尚更のこと、「ロシア」にばかり一元的に責を求めるのは少なからず強引にも見えます。
元より農業集団化はソ連全土で行われたものであり、ウクライナを狙い撃ちにしたものではありません。ただロシアやベラルーシとは異なり、ウクライナが突出して「上手くいかなかった」結果として飢饉は深刻化しました。そしてウクライナの農業集団化を指導したのは上述のカガノヴィチ、正真正銘のウクライナ人です。ソ連の国際的な地位はロシアが継承しているだけに負うべきものがロシアに多く求められるのは一理あるのかも知れません。しかしソ連を構成していた諸々の国もまたソ連の一員であり、ウクライナもまた多くの共産党幹部を輩出してきた事実がある、ならばソ連の功罪の「罪」の部分は決してロシアだけに押しつけるのではなく、自国の一部としても引き受ける意識が求められるのではと私は考えます。
・・・・・
最後に少し蛇足かも知れませんが、理解を深めるためロシア帝国とソ連の状況を大日本帝国に置き換えてみましょう。もし日本の天皇家が皇后を常に国外の王室から迎えていた場合を考えてみてください。天皇の母親はいずれも清朝やシャム王室(タイ)、阮朝(ベトナム)の出身であり、よくよく考えてみると天皇家に「日本」の「血統」は僅かにしか流れていないことになる、そうなるともはや「国民の象徴」と呼ぶのが難しくなりそうです。しかしロシア帝国の皇帝とは、そういう血統の人間でした。史実での大日本帝国は間違いなく日本人の支配した帝国でしたが、ロシア帝国は少し違うことが分かると思います。
そして大日本帝国で革命が勃発して天皇制が廃止され、「日本国」「朝鮮国」「台湾国」「満州国」及び「琉球自治州」「蝦夷自治州」などから構成される「大東亜共栄連邦」が出来上がったとします。この中で権力闘争に勝利し独裁者の地位を手にしたのが満州人であったり、その後は朝鮮人が最高指導者に2代続いて就いたりした場合を考えてみてください。そんな「大東亜共栄連邦」で何かしら惨事が発生したとして、いったいどこの国の責任になるのでしょうか?
史実での大東亜共栄圏は純然たる日本人の支配でしたが、ソヴィエト連邦の支配者はロシア人とは限らず、時にグルジア人であったりウクライナ人であったりしたわけです。国連安保理の常任理事国の座などソ連の国際的な地位はロシアが継承していますので、その責任もまた引き継ぐ道理はあるのかも知れません。しかしそれだけで済むのかどうか、やはり共産党幹部を輩出してきたロシア以外の連邦構成国、とりわけ2代続けて最高指導者を生んだウクライナは立派な共犯者と見なしうるものです。しかるに旧ソ連構成国は軒並みソ連時代の負の側面から都合良く自国を切り離そうとしてきた等々、こうした点も踏まえて次章ではロシア・ウクライナ以外のソ連邦構成国の独立後にも少し触れてみたいと思います。