非国民通信

ノーモア・コイズミ

手本が悪けりゃ

2018-06-17 22:53:28 | 社会

 子供の虐待云々は定期的に世間を賑わせるものですが、聞くところによると子供を虐待する大人には、自身も親虐待を受けて育った人が多いそうです。まぁ、誰しも最初は身近な大人から学ぶもの、子育て経験の第一は「自分が育てられたときのこと」ですよね。いざ自分が子供を育てるとなったとき、知っているのは何よりも「自分が育てられた方法」なのではないかと。

 体育会系の部活動における「シゴキ」の伝統も似たようなものだろうと思います。そういう「指導」の仕方で育った人の大半は、そういうやり方しか身につけられないものでしょう。世の中には0から独自にシゴキの方法論を編み出すイノベーターもいるのかも知れません。しかし圧倒的多数は、先輩から教わったシゴキの方法を継承していくわけです。

 虐待にせよシゴキにせよ、それが受ける側の望みでないことは確かです。子供が親からの虐待を望むことはない、下級生が上級生からのシゴキを望むはずはない、反対に逃れたいと考えているはずです。ところが子供/下級生の頃には嫌でたまらなかった虐待/シゴキを、自らが親/上級生になったときにも嫌っているかと言えば、必ずしもそうでなかったりするわけです。むしろ積極的に拳を振るうようになったりもするのではないでしょうか。

 まぁ、他のやり方を知らないのなら、そうなってしまうのも仕方がないのかも知れません。もっと別の方法を知る機会があれば、虐待する親もシゴキが趣味の先輩にも、別の選択肢があり得たと考えられます。中には自分が育てられたのとは違うやり方を模索して、その輪廻から外れる人もいるのでしょう。しかし、自分の親なり先輩なりの「正しい」方法論を、長じて実践するようになる人もまた少なくないように見えます。

 実は会社組織でも似たようなところがある、と最近は感じるようになりました。とかく「自分で考える力を身につけさせよう」と部下の問いには答えずクイズを出すばかりの無能な上司が目立つのですが、これもまた自身が育てられたやり方を実践しているに過ぎないところもあるのではないか、と。自分自身が育てられたやり方で、今度は部下を育てようとしているわけです。

 「自分で考えろ」と言って明確な指示を出そうとしない上司に育てられた人間は、「自分で考えろ」と言って判断の責任を部下に丸投げする方法論を学びます。平社員が管理職になったとき、独自の方法論で部下に接するケースが果たしてどれだけあるでしょう。「普通は」自分自身の上司を手本とするものではないでしょうか。そもそも上司なのですから、その真似をするのは間違いではないですよね?

 上司が業務命令として明確な指示を出せば、その責任は命じられたことを実行した部下ではなく上司に求められます。しかし上司は「チャレンジ」を求めただけで、部下が自分で考えて不適切な会計処理を行ったのなら、上司の責任は曖昧になります。このような組織において部下が上司から学ぶのは、まさしく「己の責任を回避する方法」なのかも知れません。

 親は子の手本、上級生は下級生の手本、上司は部下の手本です。部下に対して明確な指示を出すタイプの上司であれば、部下は「明確な指示の出し方」を学ぶことでしょう。しかし、そういう手本を示してくれる人と接する機会がなければ、その方法論を身につけることは困難です。良き「お手本」のいない社会は、ダメな人間を再生産してしまいます。

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