非国民通信

ノーモア・コイズミ

日本の会社で評価される能力とは

2018-05-20 23:33:41 | 雇用・経済

 よく紋切り型の経済言論では「(日本企業は)年功序列だからダメ」と語られます。この空疎な批判ごっこは少なくとも四半世紀ほど続けられているように思いますが、果たして年功序列が実在している会社は現存するのでしょうか? 往々にして経済誌の類では架空の設定に基づいた日本的経営批判が展開されますけれど、現実世界に向き合うには、もっと別の視点が必要なはずです。

 まぁ、会社に長く勤めているだけの男性正社員が昇進しているケースも、一昔前まではあったのかも知れません。そんな「年を取っているだけ」の管理職が有能か無能かと言えば、玉石混淆と言ったところでしょうか。能力よりも勤続年数を条件に人を昇進させれば、有能も無能も出世するわけです。では、年功序列批判が常態化してン十年の現代において昇進している人は?

 現代は「年下の上司」なんて珍しくありませんし、とりわけブラック企業であれば入社して日の浅い20代の若者が課長、部長と大層な肩書きを持っているのも普通です。もうちょっとマトモな企業でも、同年代の同僚を差し置いて一足飛びに昇進を重ねていく人は、どこの組織でも見られることでしょう。年功序列批判に塗り固められた日本では成果主義、能力主義で年齢問わず若い人でも昇進していくわけです。

 ところが、この「若くして出世する人」が有能かと言えばさにあらず、玉石混淆の年功序列世代とは裏腹に、驚くばかりの無能揃いだったりはしないでしょうか。よくもまぁ、こんな粒選りの馬鹿を揃えたものだと逆に感心させられるのが能力主義時代の管理職達で、ある意味では確かに「選別」されたのだとは理解できますが――日本経済が発展しなくなった要因はこの辺にあるんじゃないかと、そう思えないでもありません。

 

日本とヨーロッパの違い。中島翔哉のブレイクも不思議ではない【林舞輝インタビュー/第1回】(GOAL.com)

よく日本人の選手は、言われたことしかできないとか、自分で考えないとか言いますが、実はこれ長所でもあるんです。こちらで長くプレーしていて評価されている日本人の選手って、言われたことをすごくきっちりやる選手なんですよね。例えば長谷部誠選手(フランクフルト)や岡崎慎司選手(レスター)。

長谷部選手って、やれって言われたことを、どのポジションでもすごいクオリティでやるじゃないですか。今リベロやってるし、ボランチもサイドバックもやっていた。「今このチームに必要だから、これをやれ」と言われた時に、言われたことをきちっとやるのが、一番評価されているところ。逆にそれができない日本人選手は、どんなに才能があっても長くできないし、使ってもらえない。

言われたことしかできないけど、言われたことをきちっとやるのもすごく大事なサッカーの要素で、その部分で今評価されているのが日本人です。「言われたことしかできない」っていうのは一概に悪いことだと思いません。だから、別にヨーロッパがいいとか、全部見習えとか言う気は、全然ないんです。

 

 こちらはポルトガルでサッカーのコーチをしている日本人へのインタビュー記事ですが、「言われたことしかできない」「自分で考えない」云々は、サッカーに限らず日本の労働者に対する紋切り型の評価として定着しています。もっとも、この種の自画像は往々にして実態とは真逆を指すもので、むしろ「言われたことしかできないのはダメだ」「自分で考えないのはダメだ」という日本人の狂気じみた固定観念をこそ表すものだと考えるべきでしょう。

 一方、「言われたことをきちっとやるのもすごく大事なサッカーの要素」であり、海外のチームで高く評価されているのも、それが出来る選手だと伝えられています。この辺は、至極もっともな話ですね。翻って日本の職場ではどうでしょうか。「言われたことをきちっとやる」人が正当な評価を得ているかどうか、そこが重要な点ではないかと思います。

 大体において「言われたことをきちっとやる」だけなら非正規でも十分と軽んじられ、「言われもしないことをやる」人を重用しているのが日本の会社の当たり前であるように感じています。だから私の勤め先でも、「若くして出世する人」は軒並み「言われたことが出来ない」人だったりします。そして言われたことを言われたとおりにやらない代わりに、言われもしないことを勝手にやる、余計なことをやって事態を混乱させる、こうした人たちが「主体性がある」「自分で考えて行動している」と評価され、昇進を重ねているわけです。

 先人の知恵に「船頭多くして船山に登る」との言葉があります。日本の会社の偉い人が意識すべきは、コンサルの戯れ言よりもこの言葉でしょうね。人材を大事にしているつもり、社員の教育に力を入れているつもりで、結局は「船頭多くして船山に登る」ような状況を主体的に作り出している職場も多いように思います。正社員は全員が船頭候補、漕ぎ手は非正規で十分――そうやって船を山に登らせようとしているのです。

 サッカーで考えるなら、ピッチに司令塔は一人で十分です。場合によっては複数の司令塔が共存することもあるかも知れませんが、大体において司令塔が複数いれば混乱を招くだけです。そして司令塔が一人であっても、その司令塔が無能であればやはり混乱しか生まれません。ならば命じられた戦術的役割を「言われた通りにきちっとやる」方が結果は好ましいものが得られるでしょう。

 チームあるいは組織において司令塔が務まるほどの有能は、そうそう見つかるものではありません。「普通の」給与水準の会社であれば尚更のこと、特別な才能の持ち主などいるはずもなく、「平凡な」人を使ってなんとかやっていくしかないわけです。そんな「平凡な」人の集団から、単に意識が高いだけで能力の低い人を「主体性がある」「自分で考えて行動している」と評価して昇進させ部署の指揮を執らせようものなら、待っているのは混沌だけです。

 しかるに多くの日本の職場では、問題意識が不変である、相も変わらぬ年功序列批判と「言われたことしかできないのはダメ」という信仰に凝り固まって現実に対処できていないと言わざる得ません。結果が出ていれば、その方法論は正しい、日本経済が世界を牽引しているのなら日本における経済言論の指摘も正しいと考えられますが――実際は真逆なのですから。

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