非国民通信

ノーモア・コイズミ

蝶々夫人と日本人

2009-09-08 22:56:56 | 文芸欄

 だいぶ以前のエントリで「(大物)演出家が嫌い」と書きましたが、日本の演出家では浅利慶太が随一のビッグネームでしょうか。この人は活動範囲が広いので方々に顔を出しており(かの大クンニ中曽根康弘とも関係が深いとか)、舞台芸術に興味のない人でも知るところでは長野オリンピックの開会式が挙げられますね。まぁ今さら長野オリンピックと言われても記憶の彼方、ましてや開会式ともなれば尚更のことですが、個人的には印象に残っている部分もあります。それは聖火台に火を点けるとき、プッチーニの「蝶々夫人」が使われていたこと―――

 さてプッチーニというのはイタリアの作曲家で、「蝶々夫人」というオペラの元になった戯曲はまた別の人が書いたわけですが、有名なのはプッチーニが曲を書いたオペラの方ですし、長野オリンピックで使われたのもプッチーニの音楽ですので、とりあえずこのエントリで「蝶々夫人」とはプッチーニのオペラの方を指すものとして読んでください。で、この「蝶々夫人」がいかなる作品かと言いますと……米兵が15歳の日本人女性を現地妻にして、捨ててしまう話です。

 メインヒロインは蝶々夫人こと「Cio-cio-san」、この蝶々さんの父親はMikadoに命じられてハラキリしてしまったため母子家庭なのですが、ともあれ蝶々さんは「Kami Sarundasicoの罰が下るぞ」と警告する叔父の「Bonzo(坊主)」を振り切り、15歳にして米兵ピンカートンの現地妻になります(もちろん、欺されてのことです)。案の定ピンカートンはすぐにアメリカに帰ってしまうのですが、蝶々さんは夫の帰りを待ち続けます。ピンカートンの帰国後に生まれた彼の子供と一緒に。

 で、最後にはピンカートンが日本に帰ってきます。アメリカで結婚した「本妻」を連れて。そこで蝶々さんが未だに自分の帰りを待ちわびていること、子供がいること(他には再婚話を全部断ったとか諸々)を知るわけですが、かといって蝶々夫人とヨリを戻す気にもならず、じゃぁ子供だけでも引き取ろうかという話になります。そこで世を儚んだ蝶々さんは子供を残して自害、感動の?フィナーレです。あらすじはこんなところですが、自民党の定義ならバッチリ児童ポルノに該当しますし、少女を妊娠させて自害に追い込むなんて辺りは、タイトルのイメージだけであることないこと書かれて批判された某エロゲーより酷いくらいですね。まぁ芸術なんてこういうものです。そんな高尚なものじゃありません。変にありがたがっている人が多いだけです。

 ……で、どうしてこんな作品が長野オリンピック開会式のモチーフに使われなければならなかったのでしょうか? この辺は当時の音楽雑誌でも多少の批判はあったような記憶があります。なにしろ日本人とアメリカ人(外国人)の断絶の物語なのですから。日本をモチーフにした西洋人の作品としては最もポピュラーな部類に入るのでしょうけれど、オリンピックの精神に相応しいかは甚だ疑わしいところです。

 人によっては、これも「愛」のテーマなのでしょうか。愛する人をいつまでも想い続ける、美談として扱われるものなのかも知れません。でもその「愛」とやらは実は完全な一方通行で、利用されているだけの関係だったりもするわけです。あるいは、気まぐれで一夜を共にした女性がストーカーとなって主人公男性が追い詰められる、そんな筋書きの映画を観たことがあります(タイトルは忘れました、洋画です)。作中では女性(ストーカーになる前)が主人公男性と「蝶々夫人」を観に行くシーンがあるのですが、この「蝶々夫人」がストーカー女性のモチーフともなっていました。さっさと縁を切りたい男性、一方でいつまでも追いすがる女性、その象徴として「蝶々夫人」が使われていたのです。こうした「蝶々夫人」観は多数派ではないと思いますが、決してお涙頂戴の美談としてのみ語られるべき作品でもないでしょう。

 プッチーニには日本を舞台とした「蝶々夫人」の他に、中国(北京)を舞台にしたつもりの「トゥランドット」という作品があります。周知のように「蝶々夫人」は日本が舞台とあって、極東の島国では大人気なのですが、一方の「トゥランドット」は長らく中国では上演許可が下りなかったそうです。政治体制の違いもあるでしょうけれど「西洋人が見た日本」を諸手を挙げて大歓迎し続けている日本と、「西洋人が見た中国」に難色を示した中国、中国は野暮と言えますが日本は何とも尻軽な印象を受けます。

 これが「中国人が見た日本」や「韓国人が見た日本」となると逆の反応を示すのでしょうけれど、「西洋人が見た日本」は歓迎されるのが通例です。だからこそ「蝶々夫人」は日本で大人気、オリンピックの題材としても使われたわけですが――それって「『西洋から見た日本』を全面的に受け容れますよ」みたいなメッセージを発信しているイメージもありますね。日本はオリエンタリズムを全面的に受け容れます、と。あるいは永遠の片思いの象徴として、「裏切られても騙されても、アメリカを信じて付いていきますよ」というメッセージでしょうか。先方からは気味悪がられているかも知れませんけれど。

 まぁ「蝶々夫人」の音楽そのものはかなり好きなのですが、私はあまり、こういうタイプのヒロインが好きじゃないのですよね。相手を疑わず、利用されても頑なに信じ続ける、片思いであっても「愛」を貫き通す、いつまでも男を待っていてくれる――こういうタイプのヒロインへの需要は少なくないのでしょうけれど、私はあまり魅力を感じません。最後の場面でピンカートンを刺しちゃうぐらいの方が好きかな? 切り落としたピンカートンの首を銀の皿に載せて口づけするくらいやってくれれば妖しい魅力が出てくるのですが、そりゃ別の作品ですね。

 

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11 コメント

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あの (Bill McCreary)
2009-09-08 23:15:31
長野オリンピックの開会式は、とくに相撲取りが登場したところと伊藤みどりのお粗末な聖火点火は面白かったですね。浅利程度の男に総合演出なんか任せるから、あんな代物になるのです。

余談ですが、彼のさまざまな世界への露出度を考えると、美濃部が新劇を優遇したのもある程度うなづけないでもありません。
Unknown (非国民通信管理人)
2009-09-08 23:27:13
>Bill McCrearyさん

 強いて言えば「外国人向け」の日本を演出していたのでしょうかね。どうも「政治力のある」演出家には良い印象が持てません。それでも浅利慶太は絶大な権威であるわけで、まぁ「世に出る」ための能力は色々あるのでしょうけれど……
Unknown (タワシ)
2009-09-09 00:12:27
「蝶々夫人」貴文を読ませて頂いた限りの感想としては、帰る国のある進駐兵なんぞ見初めるからですよ、という感想しか出ません。自分の情操面に問題があるのかも知れませんが。

今の日本がリアルで蝶々夫人のような外交…シャレになってない?
Unknown (ポール)
2009-09-09 04:59:19
> 最後の場面でピンカートンを刺しちゃうぐらいの方が

「芝居はこれでおしまいです」……って、確かに別の作品ですね(笑)。
Unknown (仲@ukiuki)
2009-09-09 09:10:35
>気まぐれで一夜を共にした女性がストーカーとなって主人公男性が追い詰められる、そんな筋書きの映画を観たことがあります(タイトルは忘れました、洋画です)。

それは『危険なジョージ・ブッシュ』じゃなくて、『危険な情事」ではないでしょうか。
何かの映画かTVドラマ(たしかコメディ)の中で、引用(?)されているのをチラと見た気がします。
Unknown (非国民通信管理人)
2009-09-09 23:06:16
>タワシさん

 まぁ周囲の諫めも聞かず、結婚話に舞い上がった蝶々夫人も間抜けですが、そっちに責任を負わせるのは性犯罪者の「被害者に落ち度が~」みたいな発想に繋がるかと。まぁ日米関係の方は、仰るようにそういう関係ですよね。

>ポールさん

 あぁ、それでも良いですね。締めの台詞を蝶々夫人ではなくシャープレス辺りに歌わせるのも演出としておもしろいかも。

>仲@ukiukiさん

 おぉ、たぶんそれです。結構、評価が高かった映画みたいですね。記憶が曖昧なせいか、もうちょっとB級っぽいものだと思っていたのですが。
TBを送ったご挨拶 (kuroneko)
2009-09-11 00:19:53
 関連してエントリーを書きました。わたしのほうは、日本人が欧米を基準にして、自己評価していることへ議論をつなげようと思っています。
 日本のアジア蔑視って、「いち早く西欧化、近代化した俺らってユーシュー」ということで、欧米コンプレックスに根ざした国粋主義だというのも、この「外から目線」の延長にあるんじゃないかなあ、と思います。
Unknown (非国民通信管理人)
2009-09-11 23:37:54
>kuronekoさん

 弊記事のご紹介ありがとうございました。「西洋からの目線」を内面化している――とでも言いましょうか、独特の欧米基準があるんですよね。ある意味では自己否定を含む、歪んだナショナリズムは、やはりその辺りに端を発するのかも知れません。
ありえないキャラ (Ladybird)
2009-09-13 10:50:29
 昔の西洋人のあこがれた日本女性像なんでしょうか.今どきありえないキャラですね.日本でこそ蝶々夫人は「カルメン」の次ぐらいに有名ですが,公平に言って,それほどの作品と思えません.
 確かに,「サロメ」あたりと融合させた作品でも作ると面白いかも.
時系列がばらばらで恐縮ですが (ノエルザブレイヴ)
2009-09-13 12:12:47
あらすじを見る限りでは「何かヘン」のように私には見えましたが、まあ私の思う日本像など当てになりませんしポリス化するのはそれこそ(昔の中国当局の如く)野暮というものでしょう。

さて、
>これが「中国人が見た日本」や「韓国人が見た日本」となると逆の反応を示すのでしょうけれど、「西洋人が見た日本」は歓迎されるのが通例です
のくだりですが、「内容が同じ」であったとしてもそうなりそうな気がします。自分が「上」とみなした相手からは評価されること自体をありがたがるも、「下」とみなした相手だと評価されること自体を屈辱に思う、といったところでしょうか。

>切り落としたピンカートンの首を銀の皿に載せて口づけする
私は桂言葉を思い出しましたが、そういうタイプはフィクションでは面白くても現実の世界ではなるべくお付き合いしたくないところではありますね。

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