非国民通信

ノーモア・コイズミ

タブーと信仰

2019-02-17 21:59:54 | 社会

 よく日本(人)は無宗教、みたいな言い方をする人がいて、無知というのは恥ずかしいものだなと思うわけです。この辺は、戦前の論理が今に生きていると言いますか、靖国信仰を「宗教を越えるもの」として位置づけた、すなわち宗教とは別枠で扱ってきた感覚が根付いているせいなのかも知れません。

 

韓国議長「天皇の直接謝罪で慰安婦問題は解決できる」(朝日新聞)

 韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長は7日に行われた米ブルームバーグ通信とのインタビューで、日韓の懸案である慰安婦問題について、天皇が元慰安婦に直接謝罪をすれば解決できるとの考えを示した。同通信は、文氏が天皇を「戦争犯罪の主犯の息子」と呼んだとも報じたが、インタビューに同席した国会報道官はこの表現は否定している。

 同通信は文氏に対するインタビュー記事を8日に、英語と日本語で配信した。それによると、文氏は「(元慰安婦への謝罪は)一言でいいのだ。日本を代表する首相か、間もなく退位される天皇が望ましいと思う」と主張。さらに、「その方(天皇)は戦争犯罪に関わった主犯の息子ではないか。おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるだろう」と語ったという。

 

 「何に対する言及が冒涜として扱われるか」を見れば、その社会における宗教が分かる、と言えます。この韓国議長の発言への日本側の反応を見れば、日本の宗教及び信仰のよりどころが何処にあるかは、一目瞭然ではないでしょうか。天皇とは、日本社会におけるローマ教皇でありムハンマドのようなものであり続けているわけです。

 平成天皇とは呼ばずに今上天皇などと書かれているのを目にすると、あたかも肖像画を描くことが信徒の間で禁忌とされている類いを思わずにはいられないのですが、ともあれ少なからぬ日本人にとって天皇とは、今もなお神聖にして不可侵な存在であるようで、日韓関係は悪化の一途にあると伝えられています。

 なお私としては、韓国議長の認識には誤りがあると考えます。曰く「(天皇が)おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるだろう」とのことですが、そんな簡単な話ではないでしょう。結局のところ日本と北朝鮮との拉致問題のように、国家(政府)間での手打ちが行われたところで個人の恨み辛みは消えない、天皇の謝罪で納得する人もいれば、そうでない人だっていくらでもいるはずですから。

 ただ天皇による謝罪が問題を解決しないとしても、そうする必要がないかと言えば別問題です。戦後、天皇の戦争責任は「なかったこと」にされてきました。これは宗主国アメリカの公認を受けたことではあるのかも知れませんが、当然ながら欺瞞でもあります。日本側が本当に戦時下及び占領下での加害行為を反省しているならば、こうした欺瞞を続けて良いはずがないでしょう。

 日本側として、自分たちは誠意を持って被害国に対応したと言いきれるようになるためには、やはり天皇の戦争責任を認める必要があります。昭和天皇一人の責任ではないとしても、決して昭和天皇に責任がないわけではない、天皇もまた戦犯の一員として被害者に償わなければならない、そうした認識なしに未来へと進むことは出来ません。

 「象徴化」というトリックによって、天皇の政治発言は良くも悪くも封じられてきました。その禁を部分的に破って出てきたのが生前退位だったりもするわけですが、この退位を巡るやりとりを見るに、どうやら天皇自身と「天皇を担ぐ信徒」の意思には少なからぬズレがあることがわかります。

 時代を遡っても、「朝敵」とされた会津藩主の松平容保と、「尊皇」を掲げて討幕運動を繰り広げた人々とでは、むしろ後者の方が天皇自身の意思を問わない、むしろ自身の正当化のために天皇を利用したがる傾向が見られました。その辺は現代も変わらない印象ですけれど、果たして平成天皇の戦争認識はどれほどのものでしょうね。

 制度上、天皇の発言には色々と制約があります。自身の意思を通すよりも、日本政府の意向に沿って発言してきたことの方が多いでしょう。そして日本政府の公式見解としては、天皇に戦争責任はないことになっています。だから、天皇の謝罪などあり得ない、それを求めるのは冒涜になってしまうわけです。果たして天皇自身は何を思っているのか、直訴ならぬ直撃インタビューでもやってみる人がいれば面白いですけれど――信仰の対象は敬遠されるのが常でもあります。


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