非国民通信

ノーモア・コイズミ

有権者の目線

2014-11-29 11:20:22 | 政治・国際

 2010年の参院選の時、当時の首相であった菅直人は日産のカルロス・ゴーンに言及して「首切りのうまい経営者は優れた経営者であるはずだと言ってたくさんの給料をもらっている。国は国民をリストラすることはできない。国民全体を考えたら、リストラする経営者ほど立派だという考えは大間違い」などと宣いました。この辺が菅の頭の悪いところで、ゴーンが日産から給料をもらっている社員達をリストラしたのと同じように、菅もまた国から給与を受け取る国家の従業員たる公務員を標的に人件費削減を進めていたわけです。菅はカルロス・ゴーンと自分は違う思い込んでいたようですが、実際のところ菅はゴーンの劣化コピーが関の山であったと言えます。

 国民は国から給料をもらう立場ではありませんので、リストラの対象になどできようはずもありません。むしろ、国に対して出資する側ですから。それはすなわち民間企業における株主の立場に近い、出資額は少額でも国家の株主として票を投じる権利を持っているのが国民です。ゴーンが株主をリストラできないのと同じように、国が国民をリストラすることなんてできません。実際、リストラどころか「媚を売る」ことの方が一般的だったのではないでしょうか。無能な経営者が従業員をリストラして、その成果を株主にアピールするように、愚かな政治家は公務員の人件費を減らして、その成果を喧伝するわけです。

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 「上」から見た場合と「下」から見た場合、あるいは「傍」から見た場合とで全く評価の異なる人も多いと思います。読者の皆様がお勤めの会社でもそうなのではないでしょうか? 「上」から評価されたからこそ高い地位に就いている人が「下」から見ればとんでもない害悪であったり等々、そんなことは普通にあるはずです。見る角度によって違ったモノが見えてくるのは致し方がないとしても、せめて人を評価する上では一方からだけではなく多面的に見ることが必要であろうと私は考えますが、往々にして「上」から見た場合の評価こそが絶対であり、「下」の人間がツケを払わされるわけです。

 かつて産業能率大によるアンケートで「新入社員の理想の男性上司」に大阪市長の橋下が選ばれたことがあります。コメントを求められた橋下は「市の職員に聞いたら、絶対にそんな順位にならない。同じ組織にいないから無責任に言えるんじゃないですか」語ったようで、これに関しては橋下の方が物事を正しく理解していると言うほかありません。実際に橋下を上司として、その「下」で働く職員達から見れば決して選ばれるはずのない人選であったはずです。しかし、産能大のアンケート回答者にとって橋下は紛れもない「理想の上司」であったのです。

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 実のところ国民にとって政治家は権力を持った「上」であると同時に、自らが間接的に雇用する「下」の存在でもある、そしてしばしば株主が社長を査定するような感覚で政治家に票を投じてもいるのではないでしょうか。現場で働く人間からすればあり得ないレベルの愚か者が社長や役員の座を与えられていることは珍しくありません。しかし、株主や取締役会などの「上」から見れば、それは肯定的に評価されるべき人間だったのでしょう。それと同じように、とんでもない馬鹿が政治家として権力を与えられてしまうことも多々あるわけですが、一種の議決権を持った国家の株主という「上」から見れば、橋下の場合がそうであるように期待の持てる人選になってしまうのかも知れません。もっとも「上」に評価されるべく調子の良いことばかり言う人間は「下」に無理を押しつけるばかりで、「上」に評価される人ほど実際は役に立たないどころか組織の癌にしかならなかったりするものですが――それでも国民は「上」からの評価で政治家を選ぶわけです。

 

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コメント (2)
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