非国民通信

ノーモア・コイズミ

夢を見るほど自衛隊が好き

2012-07-27 23:24:58 | 社会

「迷彩服を区民に見せるな」 自衛隊の防災演習、東京の11の区が庁舎立ち入り拒否(産経新聞)

16日夜から17日午前にかけて行われた陸上自衛隊第1師団(東京都練馬区)の連絡要員の自衛隊員が23区に徒歩で出向き、被害状況や出動要請の有無などを確認する統合防災演習で、自衛隊側が23区に「隊員を区役所庁舎内に立ち入らせてほしい」と要請していたにもかかわらず、11区が拒否していたことが22日までの産経新聞の調べで分かった。区職員の立ち会いも要請していたが、7区の防災担当者は立ち会わなかった。
要請を拒否した区には「区民に迷彩服を見せたくなかった」と明かした担当者もいた。(三枝玄太郎)

隊員の立ち入りを認めなかったのは、千代田中央新宿目黒世田谷渋谷中野杉並豊島の11区。

記事のおわびと削除(産経新聞)

 23日午前1時7分にアップされた「自衛隊の防災演習、東京の11の区は庁舎立ち入り拒否」の記事について、11区で実施されなかったのは待機(宿泊)訓練でした。通信訓練については自衛隊の立ち入りを認め、実施されていました。関係者におわびして、削除します。

 

 さて、この頃は妄想記事のチャンピオンと言えば東京(中日)新聞が突出していて産経新聞もすっかり影が薄くなってしまった感もあるのですが、密かに対抗意識でも燃やしていたのでしょうか、「区役所が自衛隊の立ち入りを拒否!」と事実無根の記事を大々的に掲載したわけです。ところが産経新聞報道で「隊員の立ち入りを認めなかった」とされた11区全ては即座に事実関係を否定する文書を区のホームページに掲載、詳細はリンクを張っておきましたので暇ならお読みいただければと思いますが、各区は挙って産経新聞社に猛抗議、その結果として産経新聞は「おわびと削除」という対応を取ることになりました。やれやれ。

 産経新聞社側も誤りであったことを認めているこの報道ですが、当初は真に受ける人も少なくありませんでした。信憑性に乏しかろうと、信じたがる人は信じたがるものなのでしょう。自称経済誌のお笑い経済言論、お昼の健康番組から週刊誌や夕刊紙のゴシップ報道に至るまで、それを平気に鵜呑みにしたり受け売りしたりする人も目立つわけです。単に騙されやすいから、ではないと思います。他の分野では不確かな情報に流されない人でも、特定の分野では検証を放棄して丸呑みする、みたいなこともあるのではないでしょうか。社会保障受給者叩きとか公務員叩きの類には安易に乗せられない人でも、原発関係では東京(中日)新聞の妄想記事を全面的に信用したり、逆に東京(中日)新聞の嘘には騙されないような人でも、今回の産経新聞の創作記事は疑いもせずに「自衛隊様を受け入れないなんて!」と憤ってみる人がいたりもしました。単に愚かだからではなく、「こうあって欲しい」という願望が先に立ってしまうものなのかも知れません。自分の世界観に添った物であれば、それを信じたがる人も多いのでしょう。

 しかしまぁ、自衛隊に対する批判的な言論がほとんど表に出てくることがない一方で「自衛隊が不当に貶められている」「自衛隊が誹謗中傷されている」云々との被害妄想を披露する人は至る所で目にします。それだけ自衛隊とは日本人にとって特別に大切な存在なのでしょうか。仙谷元官房長官の「暴力装置」発言騒動からも分かるように、それが曲解に基づく物であろうとも、神聖にして不可侵であるべき自衛隊を僅かでも批判的に扱っていると解釈されれば囂々たる非難が寄せられるくらいです(自衛隊に全面的に肯定的な態度でなければ、それだけで反・自衛隊なのです)。今回の各区の素早い対応もまた、日本社会における自衛隊の位置づけを如実に物語っているように思います。自衛隊に否定的であると世間に受け止められることは大いに不名誉なことである、そういう社会であったからこそ「我が区は自衛隊の受け入れを拒んでなどいない! 我々は自衛隊に協力的だ!」との猛抗議にも繋がっているはずです。どの区も例外なく、自衛隊に非協力的であると思われたくはないのです。

 昨今は大津市のいじめ自殺問題が大いに話題に上って、教員サイドの隠蔽もまた大いなる非難に晒されています。ところが自衛隊でもいじめとの関連性が強く疑われる自殺は発生しており、いじめの有無に関するアンケートが行われたにも関わらず、その調査結果は最近まで隠蔽されていたりもしたわけです。あるいは、訓練と称して集団で暴行を加えて隊員を死亡させたなんてケースもあります。そうでなくとも自衛隊員の不祥事は普通に出てくるものです。にも関わらず、自衛隊が大津市の教職員や大阪市の職員のごとくバッシングの対象にされることがないのはなぜなのでしょう。やはり日本人にとって自衛隊とは特別な対象なのかも知れません。ブラックと呼ばれることがない企業でも、研修と称して新人を自衛隊に体験入隊させるのは決して珍しいことではなかったりします。公務員や職にあぶれた若年層など、怠けているとされている層を「自衛隊に入れて鍛え直せ」みたいな論調は定期的に持ち上がります。自衛隊とは日本人の模範であり、あるべき姿である、誰もが自衛隊員のようになるべきなのだと、我々の社会ではそう扱われているかのようです。自衛隊員だって公務員なのですから、もう少し批判的視点があっても良さそうなものですが……

 それはさておき、自衛隊にも当然ながらTPOはあると思います。いかに自衛隊とて対応する状況に応じて、ふさわしい装備で出動するものですよね? 被災地の救援に戦車で出かけたりはしないはずです。そして服装もまた装備の内に含まれるものであり、状況に応じて最適なものが選ばれるべきと私などは考えるのですけれど、どうなんでしょうか。小さいですが写真でも分かるように、産経の創作記事で取り沙汰された自衛隊の迷彩服とは緑色の、まぁ山林で活動するなら身を隠すのに都合が良さそうな服です。普通の人が一般に「迷彩服」と聞いて頭に浮かべる色合いが、これでもありますね。もっとも迷彩服にもTPOがあって、砂漠用の迷彩、都市部用の迷彩など、自衛隊が今回の訓練で着ていたものとは違った色の迷彩服――必ずしも一般の人からは迷彩服だと理解されない服――も世の中には存在するわけです。そんな中で、この「迷彩服」がチョイスされねばならない理由はどこにあったのでしょう。

 都市部で着るのであれば、「敵」に発見されないためではなく、むしろ目立つための服です。しかし単に視認性を高める、災害救助担当者の存在をアピールするという点からすれば、レスキュー隊が着ているオレンジの服など、もっと彩度の高い服を身にまとうのが目的に叶っています。都市型迷彩でもなく、そしてレスキュー隊のような派手な色でもなく、誰もが「迷彩服」として認識するデザインの服を用いるのは、やはり迷彩服によって軍隊であることをアピールすることが総合的に見てプラスと判断されるからでしょうか。ごく一部の例外として迷彩服に拒否反応を示す人もいるかも知れませんけれど、そんな人が表舞台に立つことはありません。「自衛隊以外の」公務員を公衆の面前で罵倒することで支持を広げてきた政治家だって、自衛隊員に対しては敬意を払うものです。税金で雇われているのだからと「自衛隊以外の」公務員を奴隷ぐらいにしか思っていない連中でも、自衛隊にはいつも感謝しています。だから「自衛隊ここにあり」と迷彩服で自己主張するくらいの方が、住民にも歓迎される、住民に安心感を与えるものなのでしょう。だから、都市部での災害救助も迷彩服が合理的、わざわざ迷彩服以外の服装を用いる必要などありえない、と。

 

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コメント (6)
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