非国民通信

ノーモア・コイズミ

経済系のコラムって……

2010-04-28 22:57:32 | ニュース

<経済気象台> 政治家の三方一両損(朝日新聞)

 今、企業も家計も不況の痛みに一生懸命耐えている。そうした中で政府の財政運営も、やりくりが難しい状況になっている。民間需要の不足を当面、公的需要で補おうとすると、歳入面の手当てが必要となるが、歳入は歳入で法人・所得税とも落ち込み、勢い国債に依存せざるを得なくなっている。

 足下の景気対策として効果的な分野で財政支出を実行すると共に、中長期の財政運営計画をきちんと内外に打ち出していくことが必要になる。その場合、国民(企業、家計)にも重い負担を強いるが、ぜひとも国民的議論を経て、思い切った政策を打ち出して欲しい。

 その際に重要なのは、こうした政策立案及びその議論に加わる政治家の覚悟である。政治家が国民を納得させるには、自分たちの身を削る覚悟が必要である。議員定数は、日本の国会議員が衆・参両院で722人、アメリカは上・下両院で535人。人口100万人当たりの議員数は、日本がアメリカの3倍となっている。議員定数を3分の1とまでは言わないが、せめて半分にするくらいの覚悟がないと、国民に増税を納得してもらうわけにはいくまい。

 落語の三方一両損は、3両入りの財布を拾った人と財布の持ち主が共に、「自分がもらうわけにはいかない」ともめているのに対し、大岡越前守が自分のお金を1両出して二人に2両ずつ渡し、「二人とも3両もらうところが2両になるので1両の損。自分も1両出すから1両の損」と言って、納得させる話であるが、まずは政治家が身を削ることが必要である。その上で、企業、家計にも相応の負担に応じるようお願いするのが筋というもの。政治家、企業、家計の三方一両損が望まれる。

 まぁ「経済」と銘打たれたコラムはどこも同じようなものですが、朝日新聞の「経済気象台」のアレっぷりは週刊ダイヤモンドに勝るとも劣りません。よくもここまで粒よりの馬鹿を集められるものだと、むしろ感心してしまうほどです。とりあえず1、2段落目は普通の話なのですが(こんな「普通」の話で原稿料がもらえるとは羨ましいですね)、3段落目から先はどうでしょうか。「三方一両損」などと本人はうまいことを言ったつもりかも知れませんが、経済以外の領域でこんな与太を垂れ流そうものなら、それこそいい笑いものだと思います。

 まず前提となっている議員定数の件ですが、日本の人口当たり議員定数がアメリカの3倍というのは間違っていないにしても、アメリカ以外の国と比較した場合はどうなのでしょう。日本の人口当たり議員数はOECD30カ国中29位です。そしてアメリカは30カ国中30位です。最下位グループに属するドイツでも日本の2倍、英仏でも日本の3倍程度は議員がいるわけで、日本の議員数が多く見えるのは議員数が極端に少ないアメリカと比べた場合に限ります(ちなみにスウェーデンやフィンランドとなると日本の10倍程度)。単にアメリカとだけ比較して高低や多寡を論じるのであれば、日本の法人税は低いということにもなりますが(アメリカの方が日本より法人税が高いですから)、この辺をどう考えているのでしょうか。法人税の国際比較ではアメリカを比較対象から外し、議員定数の国際比較ではアメリカとだけ比較する、経済に「詳しいフリ」をしている人はしばしば都合の良いデータだけを抽出して物事を論じる傾向がありますが、引用したコラムもその類のようです。

 そもそも「三方一両損」と言いつつ、それぞれに課される負担と、負担に応じる余力は全く異なっているはずです。議員定数削減にしても大政党や党幹部には痛くもかゆくもない一方で、小政党や新進の政治家にとっては死活問題になります。「企業」「家計」に課される「損」はどうせ消費税が想定されているのでしょうけれど、富裕層と貧困層では税の重みも全く変わってきますし、輸出戻し税で逆に儲けが出る輸出企業と国内産業とでは消費税の持つ意味は全く異なるわけです。「三方一両損」が本当に「全員に等しく」負担を求める構想なのかどうか、その実態は極めて怪しいと言わざるを得ません(そもそも政治家が減る=国民の声を吸い上げる人が減るわけで、むしろ国民には二重の損に繋がります)。

 たしかに、国民性にあった考え方には違いないのでしょう。この国の世論の動向を見ていると、どうも求められているのは結果の平等は元より機会の平等ですらなく、「負担の平等」であるような気がしますから。(それが事実かどうかはさておき)税金を払っていない人や、過剰な業務を課せられていない、楽な仕事をしている人(=世論が想定するところの公務員)などへの風当たりの強さは、「負担の平等」を求める心から来ているのではないでしょうか。金額面では微々たる問題に過ぎない給食費の未納なんかに過剰に反応するのも、それが「負担の平等」の理念に背くものであるからだと考えれば納得がいきます。負担を「負わない」人が存在することにこそ我々の社会が最も強い憤りを見せるとしたら、「三方一両損」という言い回しは国民感情に合わせたものなのかも知れません。経済論議は情に訴えてナンボの世界のようですね。

 

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コメント (5)
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