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< リアル 衝撃芸能 ルポ 第6回 > 高倉健、こと小田剛一(たけいち)が死んで、丸2年が過ぎた。あの「養女」小田貴(たか)が隠したい過去と、いまだ消え去らぬ深い謎と闇

2016-11-11 23:09:03 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 かつての人気俳優といえども、日ごとに忘れ去られていくんだなあ・・・と想う。

 JR信濃町駅前に建つ「慶應大學医学部附属病院」の入院患者病棟の中の、3号館の6階にある、有名人が隠れて入院することが多い「特別室」。

 その部屋で、単なる検査入院のつもりが、治療の甲斐も無く、わずか10日後。

 「悪性リンパ腫」が原因で、高倉健こと、小田剛一(おだ たけいち)が、ひっそりとこの世を去ったのが、2014年11月10日、午前3時49分・・・・・・と、いわれている。享年83

 

 コレ、あくまで、その1年半前に「養女」となった小田貴(たか。現在52歳)側からの、「公表」に過ぎない。

 アレから、この10日で丸2年を迎えた。

 だが、その後、彼をキチンと墓参出来る場所は、どこにも無い。それどころか、戒名すら無い。 おカネが、かかるからであろうか・・・・。

 前回の第5回で書いたように、高倉健が江利チエミと住んでいた豪邸は、亡くなった彼の遺志ではなく、「養女」の意思によって完全に跡形も無くぶっ壊され(写真左下)、巨大なる粗大ゴミと化し、その後、更地になった。

 

 いまは、その跡地と、隣接の2棟に、新たに増改築がなされ、豪邸らしきものが、建築中だ。

 だが、巨大な白いカバーが、四隅を覆い、周囲のどこからも、まったく建築の進ちょく状況が見えない。

 なにやら、マスコミと、ファンや世間の目を避け続ける「養女」の性格を具現化したかのように想える。

  来年の2月から3月頃に、新居は完成予定だが、はたして「養女」が単身で住むのか、もしくは建て売り新築住宅として売りに出すのかは、定かではない。

  一方、所属俳優は皆無でも、いまだ会社登記簿上は現存している「高倉プロモーション」の名前を使い、さまざまな税制対策もほどこされている。

 「河野貴(かわの たか)という女性を、生前、高倉健が「養女」にしたいと、高倉プロモーションの専務を九州から呼び出して、彼女に引き合わせたのは本当だ。

 専務が、親類でもあった剛一の死後しばらくして、そのことを認めている。

 剛一の意思で、法的にそのようにした。その瞬間、自分が亡くなったら、唯一の残された「家族」として、「小田貴」と、戸籍上、名前を変えた女性に、巨額の全財産を与える意思があったということ。

 4人兄妹(写真下)のなかで、唯一、生き残っている、実の妹・森敏子には1円も与えないことになるのも承知の上の決意とみる他ない。

  長兄は、今から19年前。長姉は9年前に、すでに他界している。

 23年前、「白桃」(はくとう)という会に入っていて詠んでいた俳句の会を辞めるキッカケとなった白内障を始め、治療・入院するなど経費もかさみ、いくつかの病気を抱えていた、4歳年下の実妹・森敏子(写真左下)の病状を気遣って、時折り電話をしていた剛一の心の裏は、一体、何だったのであろうか?

 人並み以上に、本人いわく「おカネに細かい」剛一であったとはいえ、40億円余の資産があっただけに、その心は理解しがたい。

  (証言でつづるドキュメンタリー映画「健さん」より)

  敏子が自費出版した句集「薔薇枕」(ばらまくら。表紙写真左下)。

   表紙のデザインは、敏子の長男である健が描いた。そう、あの、私にたいしてヤクザ口調で終始怒鳴りまくった男だ。自費で買い取ったうちの1冊は、剛一にも贈呈している。

 だが、そんな剛一が、その行く末に待つ、まさか、自分の墓どころか、その骨さえも全て無くなってしまうことまで、予期していたのであろうか? 望んでいたのであろうか?

 小田貴によれば、当初、焼いた骨は「金庫に入れた」とのこと。

 「養女」小田貴が、その後、森敏子の問いに対して、文面で答えたところによれば、

 「骨は、すべて散骨致しました」とだけ答えている。

 散骨した場所や地点については、まったく無回答。

 本当に、散骨したのであろうか?

 剛一の、最後の主演映画「あなたへ」では、九州の海の沖合で、海にまいている。

 映画でも見せたように、骨は粉々に打ち砕き、パウダー状にするのが通常だ。ソレも、海にだ。

 小田貴は、いったいどこでその作業をして、どこの海に行き、どのような舟に乗って、沖合に行ったのであろうか・・・・・。

 彼の巨額総資産のなかに、伊豆半島の別荘があった。その沖合にであろうか・・・・・・・。

 まさか、家庭の生ごみの中に紛れ込ませて、捨て去ったということは決して無い、であろうと切に信じたいが・・・・・・。

 そんな小田貴は、かつて「女優」として貴倉(たかくら)涼子や、貴倉良子という芸名を持ち、芸能活動をしていたことは、「第3回」で詳しく報じた。

 なかでも、代表作と言ってもいいのが、NHKの単発長編ドラマ「今朝(けさ)の秋」だろう。

 その出演シーンの写真は、この不定期連載の「第3回」や、「第5回」を検索して戴ければ、観られる。

 このドラマ。今月の11月19日や20日に、ケーブルテレビの番組で、視聴出来る。

 彼女の、確かな演技力を見られるはずだ。

 ケーブルテレビ、CSが観られない人は、NHKオンデマンド、もしくは、レンタルDVDで気軽に観ることが出来る。

 そのドラマでの演技力が評価され、当時、下記写真のような記事が世に出ている。彼女が、23歳の時だ。

  実は、この3年後の26歳の時。当時の本名、河野貴(かわの たか)は、華々しく、結婚式を赤坂日枝神社で挙げている。

 相手は、日本人とフランス人のハーフ。だが、すぐ別居し、離婚した。

 貴が当時、父の正夫に話したところによれば、彼が自分の収入を当てにしていたのが分かって、嫌になったからとのこと。

 その後、再婚。

 今度の相手は、先のNHK勤務の番組制作のプロデューサー。

 しかし、これまた続かず・・・・・離婚している。

 2度の結婚生活の間で、子供は出来ていない。

 バツ2で懲りたのか、その後、剛一の世話をするに至るまで、法的入籍や結婚はした形跡は見られない。

 世田谷区瀬田の家に通う家政婦がいるとの情報を得た当時、てっきり、老いた婦人とばっかり思い込んでいた自分。今となっては、悔いているが・・・・。

 他誌で見かけた、近年の彼女の容姿は、すっかり52歳の容貌に変わっていた。

 巨万の富を得た、現「小田貴」なる女性。

 残した物は、一片の骨すら無い、俳優・高倉健。

 この死にざまは、あなた自身が、本当に望んだことですか?

 産まれたばかりのあなたを抱いた、清楚な顔立ちのは、あなたを越えて、90歳まで生き、天寿をまっとう致しました。

 

 それに較べ・・・・・。

 故郷、中間市の菩提寺にも入れず、霊の落ち着き先は、いまだ無し。

 にしても・・・・・あまりにも、哀しい! あまりにも・・・・・です。

 哀れ、と言うしか、ありません・・・・・・

 秘かなる、1人のファンだった者としても・・・・・

  

 

 


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