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《 リアル 高校野球 ルポ 》 鍛治舎巧「第2回」。秀岳館高校野球部を去らざるを得なくなった、水面下の暗闘とその実態

2017-08-17 00:39:57 | 高校 硬式野球部の真実

 その姿が、甲子園球場のベンチ前に立っていた姿を観た時には、驚いた!

 鍛治舎巧(かじしゃ たくみ)、66歳。

 この大会の試合で負けた、その時点で彼は熊本県八代市にある、「私立 秀岳館高校 硬式野球部監督」を退任せざるを得なくなる

 ソレを惜しむ者は、実は極めて少ない。

 この7月21日には、その八代市で倒れ、救急車で病院に搬送され、緊急入院。公表された病名は「突発性不整脈」。

 突然死も有りうる重病であったものの、幸い難を逃れた

 だが、もしもを考え、そのまま入院加療をしていると思い込んでいた。

 なので、正直なところ、「第1回」でも、入院中で、甲子園では、代理として、野球部長が監督指揮を執るものだと、思い込んでいた。

 記者として、やってはいけないこと。

 なもんで、8月11日。鍛治舎の姿をテレビで見かけた時、亡霊を見た!ゾンビか!と、想ったほど。

 すぐさま、記述を直した。

 甲子園のベンチに、病状を隠して立つ。

 その「あくなき執念」に、おののいた。

 高校の監督というより、「俺の物」「俺のチームだ」「俺の最期は、俺の好きにさせろ」という意識が、その場から、匂い立って見えた。

  さらに、試合に勝って「勝利監督インタビュー」の檀上。

 ネットの一部で、「脳梗塞」までわずらっているとの誤報が出ていたせいなのか、ソレを打ち消そうとするかのように、鍛治舎は、いつも以上に饒舌だった。

 代表質問を、ひとつすると、待ってましたとばかりに、3つほど、まとめて返してきた。

 自身が指揮した作戦の詳細まで、得意げに語り始めたのは、この大会が最期だ、という意識がさせたものか。

 今までの「ベスト4」止まりではなく、「優勝」を手にして俺は監督を辞めてやる!今に見てろよ!という、怒りと共に、反骨心と、堅い意思が、その顔ににじんでいた。

 鍛治舎が秀岳館高校に、監督として就任し、プロとして高額の金銭を得ることになったのは、2014年のこと。

 実はパナソニックでは、すでに専務待遇を解かれており、失脚していた。

 自ら、リストラの刀を振るって次々と社員と重役を斬り捨てた後、今度は逆に、自分がその目にあい、冷や飯を喰っていたころに、そのハナシを持ち掛けられた。

 (学園 ホームページより)

 持ち掛けたのは、秀岳館高校や、中九州短期大学など、複数の学校を多角経営しており、自ら学長・校長、そのうえ理事長まで兼務している中川静也(写真左上)であった。

 秀岳館高校は、かつては「八代第一高校」と言う校名であった。それを、16年前、21世紀の始まりを期に、現在の校名に変更した。

 その頃から実は、野球部は、特待生を全国各地から集め、戦績強化を図っていた。

 数あるそのルートの中学生硬式野球チームのひとつで有ったのが、鍛治舎巧が指揮監督をしていた関西に拠点を置く、「オール枚方ボーイズ」だった。

 毎年、コレと言う実力のある中学生を3人ほど、関西から熊本に行かせ、入学させていた。

 だが、想うような戦績が挙げられぬままの状態が続いていた。

 生徒ひとり当たり、月額少なくとも12万円から20万円掛かる。その人数、毎年20人前後。 

 だが、「投資」が、実らないまま、むなしく年月だけが過ぎ去って行っていた。

 県内では上位にまではいくのだが、全国大会には、今一歩、出られないままの野球チーム。

 一体、何が足りないのだろうか・・・・・・・・。

 そこで、理事長は、不遇の身にいたコトを気付かぬまま、鍛治舎に持ちかけた。

 「ここに来ていただいて、是非、監督をやっていただけませんか?」

  さらに、高給を保証するために、鍛治舎に経営している学校のひとつ、「中九州短期大学」(写真左上)の、副学長のポストまで用意し、三顧の礼で迎えようとまで図った。

 ところが、鍛治舎は、三浦の予想を超える、ある特例条件を提示してきたのだった。

 ( 第2回 おわり )

 

 

 


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