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毛沢東家庭の「管理人」の追憶:毛沢東の給料は404.80元

2006-09-09 18:51:17 | 社会

今日は9月9日で、毛沢東が無くなった30周年の日だ。政府紙に色々な記念文章をある。例えば、題名 千万青少年がネット毛沢東を記念 これを見れば、すごいと思うよ、毛沢東がまだ大人気だ。 このニュースの内容見ると、青年ネチズンのコメントにより、「毛主席が無くなったとき、私は七歳。。。。。」そうすると、今年この人はもう37だ、青年と言えるか(笑)

 

 その中に、面白い内容一編「毛沢東家庭の「管理人」の追憶:毛沢東の給料は404.80元」が発見した、参考ください。長いけど。

 

   私は1964年から1976年毛主席が無くなったまで、ずっと主席の家において主席家庭を管理しています。主席の家庭を管理するとは安いことや難しいこともある。主席は一銭も取りませんし、金が如何使っているかも聞きません。難しいところはお金を使うべきところです。主席がマッチを買うとき、ちり紙を買うとき、一銭も払わないことがありません。主席が外でお茶を飲んでも、私がお金を払いに行きます。人民大会堂においても同様です。主席の給料は610元だったが、いまだかつて無い巨大な困難が遭ったため、主席が自分を初めに、給料を404.80元まで下げました。江青の給料は243元です。毛主席夫婦のお金がすべて私が支出しています。この夫婦は割り勘で、自分の明細帳持っています。

   主席が主な支出は食事、100元位。おごる場合も含めます。例えば、民主人士、主席は民主人士の友たちがたくさん持っています。黄培炎、章士钊のような人を招待するときも主席自分のお金でおごりました。もうひとつの支出はタバコです。毎月100元に近いです、そして何十元のお茶代。そのとき李敏、李讷(毛沢東の子女)の学校の費用も給料から支出します。15元一人だったが、物価が上がると共に、30元一人とアップしました。お金使い荒いことは許しません、今月が払い過ぎた分は来月に取り戻します。江青が一人の姉が持っている、同じ30元だった、主席が支出します。彼女が時には縫い繕いにきました。

   もう一つの支出は、家賃、水電気代、家具使用代など、子供、江青の姉、江青の分も合わせました。豊沢園の家賃は主席支払いました。主席の家具もすべてレンタするもので、費用は大体毎月84元。冬の暖房費30元過ぎ、合計120元過ぎだった。

 私が主席の家にいる時間が12年間だった、この12年間に、主席が8000元を支払いして本をかいましたので、私がずっとお金の方は自由に支出できなかった。しかし、どうしても、主要な任務は主席の飯問題を保障することだ、主席の健康を守ることを保障する。主席はこれまで栄養食品をしません、山海珍味も食べないで、1日間の3度の食事でした、彼の食事を見れば、彼は本当に人民のリーダーだと見えます。「特別料理」があるが、しかし彼は家の人に「特別料理は人民が私のために設置したもの、貴方たちは利用できない」と言いました。彼の娘、姉は私たちと同じ、中南海の食堂へ列を作って、食事することでした。主席家庭は一週間に一回集まり、普通は土曜日の夜でした。主席の子女としてそんなに楽ではありません、主席が厳しく要求していました。家族集まりの時、社会でどんな話が流れているとか、どんな本を読んだのか、主席はコメントするときもありました、次はまたどんな本を読むとか宿題を出されました、来週集まりの時に話します。週一回のこの集まりは時間が掛かります。

 主席の料理リストは 4品にスープ1品でした。1つの肉料理、1匹の魚は必ずしなければならない、肉と素半分、1つの全素。

主席を世話を致すとき、二つの難問がある。飯と寝る時間です。主席を呼ばないと、食事しません。ファイルは読み終わりません、手に離せません。

「主席、飯だよ」

「少し待ってて」

「もう少し待っててくれ」と相談が入ったこともあります。

我々は主席の構想を邪魔してはいけないので、どのくらい待つのかが知らないんだ、冷たくなりました。我々はわざと皿と碗を蓋付きにオーダーしました。保温できるし、衛生も守れました。世間に主席が専用の磁器を使うと言う噂があるが、それは真実ではありません。我々はもう一つの要求は磁器の軽いこと、彼は一日中本を持って、手がとてもつかれるでしょう。主席の碗が全て景徳鎮の磁器でしたが、ある日主席が「我が湖南に醴陵と言うところがある、そこの磁器が悪くない」。我々はすぐ醴陵の磁器をオーダーしました、工場の人は技術いい職人を選んで、作り出しました。碗一個124g、すごく軽くて薄い。内外は花飾りを付いている、主に赤色でした。主席がはじめてこの碗を持って、嬉しかった。

「良かった! 郷愁だな!」主席が故郷を愛してますね。主席の食欲が国内外の情勢と関わる。我々は毎日「参考」読んでいました、大事なことがあったら、料理は大体「素」でした、主席が食欲がないから、肉は絶対だめでした。

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主席は魚の頭を食べることが大好きで、魚と鶏の内臓も好きです。中南海に大きな魚が釣りました時、私は買ってきて、魚の頭を取って、残りの分は食堂に売ります。我々はそのまま管理しました。一銭も浪費していません。主席が小さい魚や海老が好き、肉の皮も好きです。主席がカルシウムを補充することはなかった、毎日の食事はとても簡単です。あるとき、「ちょっとおかずを追加しましょう」と勧めたら、主席が「私はこれでいい、たくさんの人が一杯食べられないんだよ」また「中国は私の分が欠けないが、でも、私が金を使わずに国家の物と取ったら、部長たち、省長たち、農村の幹部たちもどんどん取ることになる」。彼は自分の行動をクリーンな政治を示させています。主席が何でもお金を使ってものを取っている。困難時期は堂過ごしましたか。主席が民衆と同じでした。主席の足も食糧不足で腫れたと誰でも信じることが出来ないでしょう。大好きな肉もやめて、肉があったケースがあるが、怒りました。主席も供給品の冊がある、綿布配給切符、油切符、北京の市民はいくらだ、主席がいくらだ。彼の糧食定量は8.5KG、残る分は子供に与える。なぜ困難時期が和したのですか、主席がそのまますごしました、正に人民のリーダーでした。

 

 

 

 

 

                                      


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