転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ついに、業者さんを頼んで土蔵の中身を出す仕事に着手した。
昭和5年の春に「金沢のおばば」が贈ってくれたという七段飾りの雛人形だけは
残しておいて欲しいと母がかねてから言っていたので、
これだけは箱の内容まで詳細に確認して除けておいたが、
あとは原則的に処分する方向で、朝から運び出して貰った。

凄まじく多くのものが出てきたが、総じて書簡の類いがなかなかであった。
大正元年に天皇陛下ご即位記念にうちの曾祖父が書いた毛筆の何か(爆)が
発掘され、100年ぶりに陽の目をみたブツなのかと感心し、
捨てるのは当面保留して、座敷の祖霊舎の下に入れておくことにした。

また、私の両親が結婚する前、昭和33年に、母の父(私の母方の祖父)が
父の父(私の父方の祖父)に宛ててしたためた何か(汗)も掘り出された。
漢字と旧仮名遣いのカタカナで書かれており、
母方の実家の血筋について縷々(るる)述べてあったようだったが、
令和のオバさんである私には、解読がしんど過ぎ、畳んで抽斗に仕舞った。

あとは、若かりし頃の両親がやりとりした何か(恥)も出土した。
誰しも、最初から90歳だった訳ではないことが、よくわかったが、
ポエマー風味で、あまりよく読まないほうが良い感じがしたので、
無言で封筒に戻して、とりあえず居間のテーブルの上に置いた。
これらは、いつの日か棺桶に入れてやろう(大汗)。
あの世で存分に恥じらい給え。

倒壊の心配さえあった土蔵だが、どうにか二階の作業も可能だった。
二階を人が歩くたびに、頭上から異音がし、ばらばらと砂みたいなものが
……いや、ハッキリ言おう、
ネズミやヤモリのフンに違いないものが、ふんだんに落ちてきて、
天井板がせわしなく大きくたわむので、見ているだけで心臓に悪かった(写真左)。

    

二階には足の踏み場もないほどの書籍、衣類、屏風、掛け軸、などがあり、
奥には巨大な長持がふたつ安置されていた。中身は座布団だったが(爆)。
更に、戦時中に使ったのであろう、名前入りの行李、鉄かぶと、などもあった。
メルカリに出す元気もないですよ、私は、もう(汗)。(写真中央)

土蔵の二階の床というものを、私は生まれて初めて、きょう、見た(写真右)。
まだ完全には終わっていないが、目処は、ついた。
明日、また。

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