転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今年も『広島サマーコンサート』を昨日の午後、聴きに行った。
今回は第一部が高校生、第二部が大学生と大学院生、
という順序で演奏された。
第一部にヴァイオリンが三名あったが、ほかはすべてピアノだった。
名前を知っている生徒さんが何人か出演するからという理由で、
私は第一部だけを聴いたが、約三時間ほどの実に聴き応えのある内容で、
若手演奏家たち15人の熱意をひしひしと感じた。

ほとんどの人が、ショパンのエチュードのどれかと、
ベートーヴェンやシューマンなどのソナタの第一楽章、
というような構成で弾いていたのだが、
ベートーヴェンのワルトシュタインの第一楽章を選んだ人が3人もいて、
コンクール関係?試験絡み?と不思議だった。
ショパンのエチュードの作品番号も、少し重なっていた。
しかし同時に、これだけ並ぶと、聴き比べの面白さを堪能させて貰うこともでき、
聴き手として、曲に対する思いがけない発見もあった。

それとしみじみ思ったのは、
「ショパンのエチュードって、本当に難しいのだな(^_^;」
ということだった。
ショパンのエチュードを聴くと、その学習者の到達点が、
私程度の素人にもかなり容易にわかるような気がした。
ほかの曲なら達者に弾いているように見える・聞こえる人でも、
ショパンのエチュードになると途端にボロが出る(爆)、
という感触を、私は幾度か持った。
勿論、作曲家や作品に対する各自の得手不得手は多少はあるにしても、
ショパンのエチュードを、「指は動きます」のレベルを超えて
ひとまとまりの音楽として表現できるかどうかが、
プロとアマを分ける最低線の基準ではないかと昨日は思った。

ちなみにエチュードと言えば、昨日の第一部の最後の三人の弾いたものが、
ひとつずつ順に、ポゴレリチが80年第10回ショパンコンクールの
第一次予選・第二次予選で選択していた作品番号のものだったので、
私は本筋と関係のないところで、ひとりでウケていた。
13番目の人が作品10-10を、続く14番目の人が作品10-8を、
そして最後の演奏者が作品25-6を演奏していた。

……などというようなことはともかくとして(笑)、
小学生だった頃から折に触れて演奏を聴かせて貰って来た生徒さんが、
いよいよ高校卒業を間近に控え進路を決める年齢に差し掛かっていて、
皆、ここから巣立って行くのだなという感慨が、昨日はあった。
平凡な言い方だが、昨日の人達は皆、青春を一途に音楽に賭けて、
日々、精進してきた生徒さんばかりだった。
芸術の道は、必ずしも頑張った者順に報われるわけではない、
ということは承知の上で、私はそれでもやはり、
皆のその努力がこれからどうか大きく実りますようにと、
保護者か応援団のような気持ちで、思わずにいられなかった。
来年のこの時期、また一段と成長した彼らに会いたいと願っている。

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