転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



歴女の娘が萌えるかと思ったら
「維新にはあんまし興味ないんよ~」。

西郷さんより更に高いところから、
市内を見下ろしていらっしゃる島津斉彬公であった。

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市街地には維新の立役者となった薩摩出身の人々の、
関連の史跡や資料展示館などがいくつかあるが、
私が思っていた以上に、西郷隆盛と大久保利通は「ご近所さん」で、
二人の生誕の地や生い立ちの場所などは、
ほんの目と鼻の先という位置関係だった。

大山巌の名も、そうした薩摩出身の偉人たちの中にあり、私が、
「この人、大山捨松の夫」
と言ったので、娘に呆れられた。

娘「捨松って、あの留学の」
私「そうそう。津田梅子と一緒に行った」
娘「どして大山巌本人じゃなくて、そっちから覚えてるかな~」

津田梅子の伝記を読んだときに、捨松のキャラが私には印象的だったのだ(^_^;。
大山巌との間柄も、当時の日本人夫婦としては珍しい感じだったし。
まあ深くは追求しないで(^^ゞ。

維新ふるさと館』には維新関連の様々な展示があった。
私はテレビをとにかく観ていないのでウトかったが、
近年では『天璋院 篤姫』が大河ドラマになったことで、地元でも話題だったようだ。
篤姫の輿入れのときの記録を見ながら主人が、
「渋谷から江戸城まで行列だって。たいぎ~~」
と心底、うんざりしていた(殴)。そら遠いわな……。
ちなみに私にとって天璋院で忘れがたいのは、『我が輩は猫である』の中の、
「天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって」
という台詞だ(爆爆)。

それはさておき(^_^;、このミュージアムでとても面白かったのは、
『維新への道』というロボット・パフォーマンスのお芝居で、
黒船来航→桜田門外の変→明治維新→戊辰戦争→生麦事件→薩英戦争→西南戦争、
あたりの流れが、とても簡潔なカタチでドラマに仕立ててあった。
今だからこそ、こうして概観だけを見れば「ドラマ」で済むわけだが、
あの時代、渦中にあった人達の生活はどのようなものだっただろうか。
世の中を動かすとか、社会の仕組みを変えるなどという大それたことは、
多大な犠牲を払わなければ、決して成し遂げられないものなのだ。
改善とその恩恵だけを甘受する「時代の変革」などというものは、なかった。
戦争を知らないせいか、今の日本人は政権交代の期間さえ持ちこたえられず、
そういう意味では、考え方が万事、甘いということだろうなと思ったりした。

それにつけても、西郷さん人形のハイスペックなことには、驚かされた(爆)。

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