転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」
竹田恒泰氏の五輪選手への「注文」が賛否両論
(J-CASTニュース)

私も以前から一部の『楽しむ』という言葉の使い方が
気に入っていない。ごめんなさい。
「楽しみながら育児をしている」
「受験を楽しんで」
の類いの言い方に出会うたびに、
私の感覚とは相容れない部分があると、前々から感じている。

例えば、野球観戦をして贔屓のチームが勝って、万歳!と思ったり、
小説の世界に引きこまれて何時間も夢中で話の展開を追ったり、
或いは宝塚のフィナーレのパレートで笑顔で手拍子して幕が降りて
「きゃ~、良かったぁ(^^)!!」と思ったりするときの気分を
私は『楽しい』『楽しかった』という言葉で表現しているので、
そのような、我を忘れるような享楽的(笑)な感覚を、
何事かを成したいと懸命になっているときに持つことは、私自身は無い。
私にとって『楽しい』は、自分本位で無責任な、遊びや娯楽に通じる言葉だ。
だから、この文脈で言えば私は、オリンピックで敗退したときに、
「楽しめました」と笑顔で答える選手より、
「悔しい!」と率直に言う選手のほうに、自然な共感を覚える
(勝利やメダル獲得を期待してくれていたであろう人達に対して、
謝るべきだとは思わないが、謝りたいとすれば心情はわかる)。

一方で、結果が常に思い通りになるわけでなくても、
育児とか入試とか競技会などには、『苦難』とともに『喜び』がある、
という感覚は私にもある。
一定期間、自分を甘やかすことをやめて、普段以上の努力をするが、
結果を出せなければ頑張った甲斐が無くなる、とも思わない。
自分を律してものごとに打ち込むことは楽ではないが、
結果を超越したところで得られる、しっかりとした手応えが確かにあり、
それは力を尽くしてきた自分を、自分で肯定する感覚に繋がっている。

そういう意味では、オリンピックで「楽しめました」「楽しかった」
とコメントする選手というのは、私などとは言葉の使い方が異なるだけで、
意味内容は、私の感じるところと、きっとあまり違っていないのだと思う。
要は、「(悔しい結果だったが)やり遂げた喜びがあった。
今回のオリンピックで競技ができたことを振り返ってみて、
今、肯定的な気持ちを持つことができている」と言っているのだろう。
最近の私は、そのように自動翻訳して聞くことにしており、
彼らが『ヘラヘラと』しているとは、受け取っていない。

……違いますかね(^_^;。

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